kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

LGBT・セクシュアルマイノリティ教育のための学習リソース集@神奈川

NPO法人Re:Bitによる公開講座「LGBTの自立/就労を応援するためにできること」@横浜))に参加してきました。

LGBTとは、「レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルトランスジェンダー」の頭文字をとった総称で、一般的には、セクシュアルマイノリティを包括的に示す言葉として使われることの多い言葉です(定義はこちら

rebitlgbt.org

この公開講座は、今年度3回シリーズで開催される予定で、今回はその2回目。1回目は先週、「LGBTってなんだろう?」というテーマで開催されたということでした。さらに、その数日前には、同じ会場で、LGBTの若者を対象にした「10~20代のジョブトーク!」@横浜も開催されていたようで・・・、「横浜レインボーフェスタ」といい、なんだかすごいぞ、横浜!というかんじがします。

 

事実、横浜市は今年から、LGBTへの支援を充実させるべくさまざまな事業を展開しているようです。神奈川新聞のこちらの記事では、横浜市が今年11月からLGBT支援を充実させるためにはじめた2つの事業(交流スペース事業、相談事業)が紹介されています。

www.kanaloco.jp

 

さて、本日の公開講座では、「LGBTの自立/就労を応援するためにできること」というタイトルで、Re:Bit代用理事でもあり、認定キャリアカウンセラーでもある薬師実芳さん自身が、LGBT当事者のキャリアサポートをするなかで出会った、LGBTの自立/就労上の困難についてもお話がありました。

 

その中で、学齢期の児童・生徒たちの問題として挙げられていたのが、「働くおとな」としてのロールモデルの不在。社会のなかではたらくLGBT当事者のイメージがないため、うまくキャリア形成をしていけない・・・という問題があるようです。

 

今年の6月に朝日新聞のウェブ記事で紹介されていた、LGBTカップルの「かぞく」の動画は、LGBTの「おとな」「かぞく」として生きることの具体的な姿をわたしたちに見せてくれました。

www.asahi.com

これと同じように、LGBTとして「はたらく大人」の姿をつたえることが、LGBTに関する教育を、キャリア教育の視点から考えていくための第1歩として、必要なことなのかもしれません。

では、学齢期の子どもたちに「働くおとな」としてのロールモデルを持ってもらうには、どうすれば良いのでしょうか?

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学校だからできること/学校だからできないこと――横浜レインボーフェスタ2015「大学生ディスカッション」

前回の記事に引き続き、「横浜レインボーフェスタ LGBT2015」についてのレポートです。

(イベント全体の様子については、ハフィントンポストに掲載されていたこちらの記事などをご覧ください。)

 

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「横浜レインボーフェスタ」では、1日目と2日目に、大学のセクシュアルマイノリティー・サークルによる「大学生ディスカッション」が行われていました。

2日目の「大学生ディスカッション」については、毎日新聞にもとりあげられていて、どのような話題でディスカッションが行われたのかを知ることができます。

また、当日参加されていた文教大学セクシャルマイノリティサークル「のとまる」さんが、ご自身の活動ブログで記事もアップされています。

 

★毎日新聞- LGBTフェス:大学生がセクシャルマイノリティーの現状を討論 横浜

ameblo.jp

 

あまりご存じない方も多いかもしれませんが、現在、北海道から沖縄まで、日本各地の大学にセクシュアルマイノリティの当事者やその理解者・支援者(アライアンス)の学生たちが参加する公式・非公式のサークル・学生団体が存在しています。

matome.naver.jp

 

わたしが在籍していた大学にも、在学時すでに「サークルQ」というセクシュアルマイノリティ・サークルがありましたが、あらためて調べてみたら、さらにサークルが増えていました。

毎日新聞の記事では、中央大学「mimosa」のハルキさんが「すべてのメンバーの需要に応えるのは難しいのが正直なところ。最近は、各大学にセクマイサークルが二つあることも珍しくなくて、当事者だけのサークルと、LGBTを知ってもらうための発信系のサークルが二つあることがよくある」とコメントされています。

おそらく、そういう理由で、サークルが増えたのかもしれないですね。

セクシュアルマイノリティ」「LGBT」と一口でいっても、それは、「男/女という二分法的なジェンダー観+異性愛」を違和感なく受け入れている人たち以外をざっくりまとめて呼ぶための、かなり乱暴なカテゴリーに過ぎないわけです。

先日、ハフィントンポストで「『ズッキーニ』って何?LGBTだけじゃない12の性的志向まとめてみました。」という記事がアップされていましたが、このように示されると、「セクシュアルマイノリティ」とそうでない人びとの間にある、ゆるやかなセクシュアリティのグラデュエーションが見えてくるような気がします。

そのグラデュエーションの間のどこかに位置づく人たちが、「セクシュアルマイノリティ」と呼ばれているだけに過ぎないのですよね。

www.huffingtonpost.jp

 

また、自身のジェンダーセクシュアリティをオープンにしたい度合いも多様でしょうから、そもそも、セクシュアルマイノリティであるだけで、ひとつのサークルに入らざるを得ないということ自体、無理があるのでしょう。

それぞれのニーズや目的にあわせて、セクシュアルマイノリティ・サークルが分化したり、新たに作られていった結果、大学に複数セクシュアルマイノリティ・サークルが存在している現状は、とても自然なことだと思います。

 

2日目は、ディスカッションのテーマが「大学生のセクシャルマイノリティー、アライ(支援者)ができること」であったこともあり、このようなサークルの多様性と多様なニーズへの配慮、地域との連携のありかたなどが話し合われたようでした。

 

このように2日目のディスカッションについては、新聞記事などですでにレポートがアップされているので、こちらの記事では、1日目の「大学生ディスカッション」についてご紹介したいと思います。

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「アライ系腐女子」の生きる道――横浜レインボーフェスタLGBT2015――

「横浜レインボーフェスタ LGBT2015」に参加してきました。

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【画像】横浜レインボーフェスタLGBT 2015 最速レポート - Letibee Life

【画像】横浜レインボーフェスタLGBT 2015 2日目 最速レポート - Letibee Life

 

実は、わたくし、「東京国際ゲイ&レズビアン映画祭」には何度か行ったことがあるものの、映画祭以外のLGBT系イベントに参加するのは、初めて。

 

映画祭だけに参加してきた理由は、とっても簡単!

「東京国際ゲイ&レズビアン映画祭」は、けっこう腐女子(&腐男子)フレンドリーであることを積極的に打ち出してくださっているのです。すでに10年前には公募プログラムの中で、自称・腐女子でもある渡辺直美監督による、腐女子たちの青春ストーリー『青春801あり!』を上映してくださっています

また、昨年3月には、スタッフブログの中にこんな記事も掲載してくださっていたりして、「やおい・BLは単なるファンタジーとはいえ、ゲイの皆さまへの暴力・搾取でることは重々承知しております。でも(ファンタジーとはいえ)好きだからこそ、なにかお役に立ちたいとは思ってるんです!本当です!でも、ごめんなさい!」と日々申し訳ない気持ちでいっぱいになっている、わたしのような「ごめんなさい」系腐女子の皆さんには、とてもとてもありがたい存在なのです。

「BL班」まで作ってくださるなんて・・・もはや、腐女子側としても「それでいいんですか?」と言いたくなります。映画祭のスタッフの皆さん、本当にありがとうございます。

tilgff.seesaa.net

 

一方、こちらの記事にも書かれているとおり、「BL目線の「萌え」目当てだと、失礼なんじゃないか?」という気ちは常に持っておりますので、単に映画を鑑賞するだけの映画祭はともかく、セクシュアル・マイノリティ当事者の皆さんが集まって、自分の友達・仲間を見つけたり、自分たちの生活の今後のために活動をしたりする場に参加するのは、(いくら動機そのものは、「応援・サポートするためにもっと知りたい」という気持ちであっても)よくないんじゃないか、そもそもノンケが行くのは場違いなんじゃないか・・・、と思っていたのでした。

 

そんなこんなで二の足を踏むこと、はや10年。

偶然4月から移住してきた横浜で、初のLGBTイベントが開催されるということもあり、また、一緒に行こうと声をかけてくださった方もいたので、不安な心を持ちながらも参加してみたわけですが・・・・・・なんか、わたしの不安はまったく不要だったようです。

 

まず、「ノンケが行くのは場違いなのでは?」という心配は、まったく不要だったことに、すぐ気づきました。

会場の公式グッズには、自分自身がLGBT当事者であることを示す缶バッジやシールだけでなく、自分自身がLGBTフレンドリーであること、すなわち、「アライ」(=アライアンスalliance)であることを示すグッズも並列して売られていたのです。
LGBT当事者でなくても、「アライ」としてその場に参加することができる。そういうメッセージがそこには存在しているのだなぁ、と思いました。

★NHKオンライン | 虹色 - LGBT特設サイト | 連載 | 今月のアライさん

 

そして、「LGBT当事者として悩んでいるわけでもないのに・・・」という不安も不要だったようです。考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、セクシュアル・マイノリティ当事者の皆さんも含めて、みんな、「人生に悩んでいて・・・」とか「LGBTが差別される社会を変えるために・・・」とか、そんな真面目な動機を全面に押し出して参加しているわけではありませんでした。

もちろんそういう思いをもって参加されている方もいるのだろうし、ただ楽しみに来ている人たちも多かれ少なかれ、みんなどこかにそういう気持ちはあって来ているのだと思います。

が、その場の雰囲気だけからいうと、けっこうみんな、「萌え」的欲望まるだし(?)で、自分が楽しみたいから来てます!という感じだし、実際、すごく楽しそうです。

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いつものご飯の喜び/架空のご飯の誘惑――ビブリオバトル@ゼミ

お題「秋の夜長に読みたい本」・・・ということで、先日、ゼミナールで開催した「ビブリオバトル」について報告します

 

わたしのゼミは、今年の10月からスタートしたばかり。

ゼミへの参加を希望してくれる学生たちが気になっていること、やってみたいことを聞きながら、ゼミでの活動を考えていくことにしました。

そんなかたちではじまったゼミの第1回で、ある学生が自分のアルバイト先(おそらく、塾講師)での経験から、「ビブリオバトル」についての話題を出してくれました。

他の参加者に聞いてみたところ、どうやら、「ビブリオバトル」そのものを知らない学生も多く、ほとんどの学生は経験したことがないとのこと。

「では、なにはともあれ、まずはやってみよう!」ということで、みんなで「ビブリオバトル」をやってみることにしました。

 

今回のテーマは、「食」

 

ゼミナールのLINEグループを通じて、公式ルールをみんなに知ってもらい、ほかに何か質問があればその都度、聞いてもらうことにして、それぞれ準備を進めてもらうことにしました。

そんな感じで実現した「ビブリオバトル」のなかで、学生たちが紹介してくれた本をお示ししたいと思います。

 

まずはじめに紹介してくれたのが、よしながふみきのう何食べた?(1) (モーニング KC)』。

 



よしながふみさん自身が、糸井重里さんとの対談で、「食べもので、ゲイの人がいる話」と説明されているくらい、「食」がいろいろなドラマの中心に置かれている作品。

よしながふみさんの作品の多くには、「食」が重要な役割を果たしているものが多いのですが、これはまさにその代表作といえるでしょう。

よしながふみ作品における「食」については、こちらの論考(講演会記録)で、「食とジェンダー」の視点から分析されていて、大変興味深かったです。

 

青山友子(2010)「よしながふみのマンガに見る<食>とジェンダー」『比較日本学教育研究センター研究年報』

 

そして、よしながふみ作品で「食」といえば、こちらのエッセイマンガも外せないですね。他の作品と比べて評価のわかれるところもあるようですが、「よしなが作品における「食」の意味を考えるうえでは、外せない!」と個人的には思っています。

 

 

「食」といえばこれ!…ということで、2名もの学生が紹介してくれたのが、瀬尾まい子『幸福な食卓 』。中高生におすすめする本の定番品でもあるようで、「『食』をテーマにした本」ということで、他の人からおすすめされる定番といえば、この本のようです。

人生のなかで起こるさまざまなドラマのなかで、変わらずそこにあるものとしての食卓。戻ってくるための“拠り所”としての「食」が、そこには描かれているということなのでしょう。

 

3番目に紹介された、群ようこかもめ食堂は、まさに、そういう“拠り所”としての「食」の場をつくりたい、という思いが、見の丈にあったかたちでゆっくりできあがっていく話といえるかもしれません。

心の“拠り所”としての「食」は、奇妙なかたちで、それを取り巻く人間たちの関係をつないでいきます。

次に紹介された、有川浩植物図鑑』は、そんな「食」がつくりだす、人間たちのつながりを「恋愛」としてクローズアップした作品といえるかもしれません。

 

紹介されたときには、カバー裏や口絵に描かれたたくさんの野草の写真も紹介されたりして、まさに『植物図鑑』(!)という感じがしましたが、作品そのものは、有川浩さんらしい、ちょっと変わった恋愛ストーリー。

そんな物語を、「食」という視点から紹介しれもらったことで、また違った魅力が見れたような気がしました。…そうか『植物図鑑』は「食」の話でもあったのか。

 

「これも『食』?」と言いたくなるような本の紹介といえば、最後に紹介された、上原菜穂子『獣の奏者』。

 紹介してくれた方からは、ファンタジー作品である本作の中に出てくる、架空の食べ物の魅力について語っていただきました。

リアルには存在しない食べ物であるにも関わらず、なんだかおいしそうな、架空世界の食べ物たち。どんなものだかわからないこそ、ミステリアスな魅力にあふれていて、だからこそ余計に美味しそうに感じてしまう。…そういう気持ちはだれしも持ったことがあると思います。

 

九井諒子ダンジョン飯 (ビームコミックス(ハルタ))』は、なんだかわからないけど美味しそう!…と思ってしまう、ファンタジー世界の架空の食べ物へのあくなき欲望(?)をうまく掬い取ってくれたマンガだという気がしています。

 

 

今回のビブリオバトルではご紹介するチャンスがありませんでしたが、わたしが用意していた本は、「あの物語に出てきたあの食べ物が食べてみたい!」 という、わたしたちの夢を叶えてくれるレシピ本たちでした。

 

ひとつひとつ、見るたびに新たな発見と感動があり、いずれも選びがたかったので、今回は、ご紹介するだけで済んで良かったかもしれません。

 

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なお、今回のチャンプ本は、群ようこかもめ食堂でした!

わたしも、すでに映画は観ていたものの、ご紹介を聞いていたら、映画をみてから小説を読むのもステキだなぁ、と思ってしまい、即座に紹介者の方からお借りして読んでしまいました。

映画の美しさとはまた異なる、ゆっくりとした時間の流れるステキな小説でした。

 

すてきな本をご紹介いただいた、ゼミナールの学生の皆さん、本当にありがとうございました!

情報リテラシー教育の谷――RPG型図書館ガイダンス・プログラム「Libardry(リバードリィ)」

全国大学国語教育学会第129回大会(西東京大会)にて、「情報リテラシー教育におけるつながる学習(Connected Learning):RPG型図書館利用ガイダンス『Libardry(リバードリィ)』の試み」というタイトルで発表を行ってきました。(プログラムPDFはこちら)。

 

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昨年度から、常磐大学ゲーミフィケーション研究会のメンバーとして開発・運営に関わってきた図書館ガイダンス・プログラム「Libardry(リバードリィ)」のデモンストレーション版(以下、DEMO版)についての実践報告です。

www.tokiwa.ac.jp

 

この「Libardry(リバードリィ)DEMO版」に参加した学生たちの意見やアイディアを受けて今年4月に開発・実施した「Libardry-0」については、茨城新聞の動画ニュースでも取り上げていただきましたので、こちらの動画をご覧いただくと、本プログラムの様子をだいたい理解していただけるかと思います。

 

 

昨日の発表の後、さまざまな方から質問やコメントをいただくことができましたが、大学関係者の皆さん(大学の教職員や学生)と、現職の小・中学校の先生方とで、本プログラムの意義についての認識が大きく異なっていたことが印象的でした。

 

端的にまとめていえば、大学関係者の皆さんからは(「Libardry (DEMO版)」「Libardry-0」のどちらについても)「これは必要なプログラムだ」「ぜひ、やってみたい」という反応。

逆に、小学校・中学校の現職教員の方からは、(おそらくその後の展開として少しご紹介した「Libardry-0」についておっしゃっていたのだと思いますが)「このような活動はすでに小学校・中学校でも行われている」「自分の学校ではすでにやってる」「子どもたちはすでにできている」という反応でした*1

「小学校の子どもたちでも日本十進分類法(NDC)は知っている。テストできるレベルで知っている」「自分の学校では、学校司書が子どもたちが図書を返却しに来た際に、NDCで返却場所を指示することで、子どもたちにNDCを理解させようとしている」・・・など、具体的なお話をいろいろ教えていただきました。

そのようなお話を、大学の初年次教育に関わっているある先生と一緒に伺いながら、ふたりで、「そうだとしたら、なぜ、あんなにNDCのことを知らない大学生たちがいるんでしょう?」と首をかしげたりしていました。

 

おそらくこの背景には、図書館利用教育および情報リテラシー教育をめぐる年代ギャップの問題はもちろんのこと、学校や地域によるギャップの問題があるように思います。

 

日本図書館協会ホームページでは、「学校図書館」について以下のように説明されています。

 学校図書館は、学校のカリキュラムを支援し豊かにすることを目的として設置さるもので、日本では「学校図書館法」により、すべての学校に図書館の設置が 義務づけられています。子どもたちが生きていくうえで必要な情報獲得能力を身につけるとともに、読書の楽しみを知る手助けをする重要な役割を担っていま す。学校図書館にはその専門的職務を担う「司書教諭」を置くこととされていますが、一定規模以下の学校には配置されていません。また、専任の職員がいない 図書館も多く、資料と子どもたちを結びつける「人」の不在が課題となっています。(「図書館について」-日本図書館協会HP

 

学校図書館」は本来、「読書の楽しみを知る手助けをする」だけでなく、「子どもたちが生きていくうえで必要な情報獲得能力を身につける」役割を担っていること。

一方で、「専任の職員がいない図書館も多く」「司書教諭」すら配置されていない学校があるなど、「『人』の不在が課題」となっていること。

 

これらのことが、このギャップが生じる原因を説明してくれているように思います。

 

学校図書館の本来の目的が「子どもたちが生きていくうえで必要な情報獲得能力を身につける」ことであるのであれば、その使命を自覚した取り組みを行おうとする学校司書・司書教諭の方が、NDCの教育に取り組もうとするのは当然のことのように思います。

一方で、その使命を自覚し取り組みを行おうとする「人」すら存在していない学校図書館がたくさんあるという実態があるわけです。

文部科学省による「学校図書館の現状に関する調査の結果について」(平成26年度)では、学校司書を配置している学校の割合は前回より増加しているものの、小学校で54.3%、中学校で53.0%であることが示されています。まだ半数近くの小中学校には学校司書に存在していないわけです。高等学校では64.5%の学校に学校司書が配置されており、小中学校より状況は良いものの、前回調査より減少している点が気になります。

 

半数近くの小学校・中学校に学校司書が配置されておらず、司書教諭や国語科の教員の努力に任せられているなかで、本や読書に関心のない子どもたちが、学校図書館・公立図書館に入る機会もほとんどないまま、「図書館での本の並び方には共通したルールがある」ということすら知らないままに、大学に入学してしまうという現状は、それほど不思議なことであるとは思えません。

 

その一方、現在では、公立図書館のほうがNDCとは異なる、「カルチャー・コンビニエンス」の論理に基づいた図書の分類を行おうとしているという実態も進行しつつあります。

www.news-postseven.com

 

わたしは、公立図書館の機能・役割はもっと自由に議論されても良いと思ってはいますが、一方でこのような現実が進行することで、子どもたちが情報リテラシーについて学習する機会のひとつが変質せざるを得ないことについても無視すべきではないのではないか、と考えます。

 

本発表終了後、ある質問者の方から、インターネットが普及した現代社会において、インターネットの情報ではなく、あえて図書館にある図書・雑誌にあたることの意義を考えるための資料として、広がる“読書ゼロ” ~日本人に何が~ - NHK クローズアップ現代をご紹介いただきました。

 

www.nhk.or.jp

 

これは、もっと議論されていくべき重要な問題だと思います。

私自身の問題としてこれからも考えていこう。そう思った学会発表でした。

 

 

*1:質疑応答の時間には、ある小学校の現職の教員の方から「自分の小学校でもやってみたいので、学校図書館で活用できる可能性を知りたい」という質問がありました。このコメントは、その質問を聞いての反応だと思います。ここからも、学校や地域によって取り組みのレベル・内容に大きな差があることが推察されます。

あなたがペニスをナイフにするのなら・・・――近藤史絵『あなに贈る×(キス)』

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児童文学におけるセクシュアル・マイノリティを探るプロジェクト第5弾として、近藤史絵さんの『あなたに贈るキス (ミステリーYA!) 』を読みました。この作品は現在、新装版も発行されていて、そちらでは本作品の主人公のその後についての短編も読めるらしいので、今度はそちらも読んでみたいと思っています。

 

 

 

感染から数週間で確実に死に至る、その驚異的なウイルスの感染ルートはただひとつ、唇を合わせること。昔は愛情を示すとされたその行為は禁じられ、封印さ れたはずだった。外界から隔絶され、純潔を尊ぶ全寮制の学園、リセ・アルピュス。一人の女生徒の死をきっかけに、不穏な噂がささやかれはじめる。彼女の死 は、あの病によるものらしい、と。学園は静かな衝撃に包まれた。不安と疑いが増殖する中、風変わりな犯人探しが始まった…。(あらすじ―「BOOK」データベースより)

 

読者コメントを読むと、「感染から数週間で確実に死に至る、その驚異的なウイルスの感染ルートはただひとつ、唇を合わせること」という設定が受け入れがたく、読み進めるのに困難を感じる方がいらっしゃるようです。が、わたしにはなぜか、その設定がすんなり受け入れられてしまって、その設定から派生されるように生じるそのほかの近未来SF的な設定――セックスよりもキスのほうが淫らな行為であるとされていることとか、同性愛は自然な愛の結果としてありえるけれどキスはありえないと主人公が感じることとかー―も、すべて、「キスが感染ルートとして特定されたあとの世界なのだから、そうなるよね」と、これまたすんなり受け入れられてしまいました。

 

HIVの感染ルートとして同性による性行為がターゲットとされたあとに生じた、同性愛者への偏見・差別などを考えれば、それほど飛躍した想像ではないと思うのですが、そもそもの前提が受け入れられないと、やはりここにもハードルを感じてしまうのでしょうか。

 

本作品は、近未来SF的な世界を舞台にしたミステリー小説です。

あなたに贈る×(キス) (PHP文芸文庫)』の帯に、「真相に辿りついた時、それまでの景色が反転する。」とありますが、まさにそのとおりなので、ネタバレになるような発言は自戒したいと思います。

が、それでも避けられないところはあると思うので、以下は、本書をお読みになってから読み進めることをおすすめします。

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一人称代名詞という主戦場――スーザン・クークリン『カラフルなぼくら』

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私を呼ぶときの代名詞には、本当は〈彼ら〉を使ってもらいたいんだ。男と女の両方が自分の中にいると思うから。でもそれを理解できる人はほとんどいないので〈彼〉でいいよ。長い間ずっと〈彼女〉だったから、そろそろ交代してもいい時期だ。女子でいるのは好きじゃない。彼女とはお別れだ。しっくりこなかったしね。

―――ナット(「ナット 第三の性」『カラフルなぼくら』p.220)

 

2015年のラムダ賞(LGBT文学に与えられる賞)児童・YA文学部門に入賞しているノンフィクション『カラフルなぼくら: 6人のティーンが語る、LGBTの心と体の遍歴 (一般書) 』を読みました。

2015年にラムダ賞を受賞したばかりのLGBT児童文学作品が、すでに邦訳で読めるってすごいことだな、と思います。
はじめは、ノンフィクションあるいは、リアリスティック・ファンタジーのようなかたちで、リアルなセクシュアル・マイノリティを描く児童文学・YA文学に関心があったのですが、この本はそれ以上のパワーがありました。

セクシュアル・マイノリティに対してそれほど理解が進んでいるわけでもない日本で、こんなに即座に邦訳が出ているのもうなづけます。それほど、人間としてとても普遍的なテーマに迫っている作品だと思いました。

たとえば、「著者あとがき」には、次のように書かれています。

 

『カラフルなぼくら』の基本構想は、文章と写真を組み合わせて、セックスと疎外感をテーマにしたナラティブ・ノンフィクションを作ることだった。このふたつの普遍的テーマは、生活、文学、美術などの分野において常に深く結びついている。私が目指したのは、性的傾向の基本的特徴を探ることで、特に、若者が自分のセクシュアリティジェンダーを認識しはじめる決定的時期に興味があった。つまり本書は、自分が女であることに気づいた少年と、自分が男であることに気づいた少女についての本になる予定だったのである。しかし、調べを進めていくうちに、この計画が次第に形を変えていった。(「著者あとがき」『カラフルなぼくら』p.289)

 

「調べを進めていくうちに、この計画が次第に形を変えていった」とはあるけれど、著者の普遍的な問題へのまなざしは、この本をまっすぐに貫いています。

だからこそ、私たちは、たとえ自分自身がセクシュアル・マイノリティでなくとも、また自分自身のジェンダーアイデンティティセクシュアリティに迷ったり悩んだりした経験がなくとも、本書で紹介される6人の声に、どこか共感するところを見いだすことができるのだと思います。

とはいえ、この本のタイトルだけを見て、「セクシュアル・マイノリティのことだから自分には関係ない」と思って通り過ぎる人は多いでしょう。それはとても残念なこと。だから、このことはいくら強調しても、強調しすぎることはないと思います。

 

この本は、セクシュアル・マイノリティの本ではない。

なんらかのジェンダーアイデンティティをもち、なんらかのセクシュアリティをもつ、あなたのことが描かれた本です。

 

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