kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

芸とエンターテイメントとアートの間

ひさびさに一人暮らしのアパートに帰ってきたら、
加納真実さんの第二回ソロ公演「時間、時間!加納の小一時間!!2!!」のDMが届いていて、狂喜乱舞しました。
http://www.accircus.com/news/kanoujikan_iwato/kano_iwato.htm


「これは芸か?アートか?それとも・・・? 
青ジャージの身体ひとつで、日常を危うく生き抜くすべての人々に・・・ 」

こんな謳い文句で、パフォーマンスを行う加納真実さん。

芸なのか、ただのエンターテイメントなのか、はたまたアートなのか、
まったくよくわからないのだけど、ただそこにある「パフォーマンス」としか言いようのないもの。
そこに、果てしない魅力を感じてしまう、わたしがいます。

・・・というわけで、これ↓
加納実さんの代表的なパフォーマンス(だとわたしが勝手に思っている)「恋人よ」です。

なにが、一番スゴイって、
ハッキリ「これは「芸」が入っている」とわかる箇所が、2箇所くらいしかないところだと思います。

アートとエンタテイメントの間といえば、
わたしの中では、田中偉一郎氏の一連の作品も、まさにそんな感じ。
ちなみに以下の写真は、「ストリート・デストロイヤー」という作品*1

「アート」という枠組みで出されているのだから「アート」なのだろうけど、どう見ても、単純に笑えるし、単純に笑うしかないような気がする。

こういう作品群を見ていると、
そもそも「アート」とか「大道芸」とか「エンタテイメント」とか、そういうカテゴリ自体、いつの時代に誰かが作り上げたものでしかないことに、あらためて気づかされる。

「『アート』という枠組みを壊す」とか、
「『エンタテイメント』の限界を超えて・・・」
そんな肩ひじ張った言い方をせずに、ただ目の前にあるものを「おもしろい」と思ったり、笑えたり・・・そんなところから、枠組みとかカテゴリの意味を問い直させてくれるこういう作品が、わたしは好きだ。

*1:写真をよく見ていただければわかると思いますが、割れた側溝の蓋に拳をつきたて、あたかも田中氏自身が側溝を破壊したかのように見せかけています