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kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

世界が自分100人の村だったら

さきほどの記事の引用が少しわかりづらいので、同じ内田樹氏のエッセイ「想像力と倫理について」(『街場の現代思想』、文藝春秋)から、かなりクリアで印象的な一節を引用しておきます。

 私たちが自分に課すべき倫理的規範はある意味で簡単なものである。
 それは社会の全員が「自分みたいな人間」になっても、生きていけるような人間になることである。

まったくもってそのとおりだと思う。
「他人の身になって考えなさい」は道徳教育のおきまりテーゼだが、
「他人の身になって」考えているような気になっている人ほど、暴力的な人間はいない。
ストーカーや、モラルハラスメントがその良い例だ。

『世界が100人の村だったら』にならって、
「世界が自分100人の村だったら」という話を想像してみると、良い。
そこで、いったい何が起きて、
その村はどうなっていくのか。
そのことを考えてみたら良いと思う。

とりあえず、
わたしが100人いる村は、
それぞれの村人が、ちょっぴり互いにお節介ではありますが、
基本的にはみんなが孤独を愛しているので、
それほど互いの価値観に干渉するということもなく、
泣いたり、凹んだりしながらも、それなりに暮らしていけそうです。

だけど、村でトラブルが起こると、みんなが自分ひとりの責任だと思いこんで、村人総鬱状態になります。
それだけは、いただけません。
「トラブルの責任は、みんなでちょっとずつ引き受けていきましょう」という態度が、この村には必要そうですな。