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kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

「願かけ」考

2009年になってはじめての更新です。
あけましておめでとうございます。kimistevaです。「無理をせずにやっていこう」「無意味な文章はアップするのをやめよう」と思い立って、このブログをはじめたため、あまり更新していない(その割には無意味な文章も多い)ブログですが、それでもこのブログを読んでいただいている方は、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、正月といえば初詣です。
都市社会学に「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」という概念がありますが、その分類でいうと、完全に「ゲマインシャフト」にカテゴリー化される我が故郷の初詣に今年もいってまいりました。地域で有名な神社というわけでもない、小さな神社の現・宮司さんは、幼い頃近所に住んでいたおさななじみの父親で、巫女さんは当のおさななじみとその姉妹、そしてその母親と親戚たちです。さらにいうと、次の宮司候補もわたしのおさななじみ。ようするに、ひとつの家族でこじんまりとやっている近所の小さな神社なのです。
そういう地域の小さな神社にはたいてい、それを支える「青年団」のような組合があって、祭をとりしきったりするものですが、この神社でも初詣になると、地域の人々が無料でお汁粉やらトン汁やら甘酒やらを配ります。
あるとき、ふと気が向いて、町の中央にある少し大きめの神社に初詣に行ったとき、甘酒は300円で「販売」していましたから、この神社がいかに小さな「ゲマインシャフト」的社会の中に息づいているかがわかります。


初詣といえば、「願かけ」ですね。
今年は100年に1度の大不況とか言われているせいで、各地の神社や寺には「願かけ」をするための初詣客がたくさん押し寄せたと耳にしました。
この「願かけ」。実は、わたしは小学校4年生のときを境に、パタリとやめてしまいました。きっかけは、当時通っていた習字塾においてあった、「仏教コミックス」のシリーズを読んだことです。その習字塾では、寺のお坊さんが習字を教えてくれていたのです。いわば「寺子屋」。そして、わたしは「寺子」でした。今でもまったく字はうまくありませんが、仏教のことにはやたら詳しくなりました。「学習」というのは、どこでどう生じるかわからないものです。

このシリーズの中のある一冊の本の中に、「お寺の仏様に、お願いをするのは実は間違っている。仏様は常にあらゆる人々を救おうとなさっているから、それぞれの人たちが自分の個人的なお願いをしても、仏様は困ってしまう。」というような趣旨のことが、(マンガで)かかれていて、当時のわたしはその論理に妙に納得したものでした。
当たり前のことですが、世の中には、ウィン-ウィンの関係でおさまらないことも多くあるわけです。ゼロサム・ゲームになった場合、片方の人間の「自分が利益を得たい」という願いをかなえてしまうと、それは同時に相手の不利益を引き起こしてしまうわけです。また、時間移動をテーマとして扱うSF作家たちが想像してきたように、あらゆる事象が複雑に絡み合った因果のもつれあいの中にあるのなら、たとえ、「あと1秒だけ長生きしたい」という、誰にも迷惑をかけないような小さな願いでも、それが他の人にのっぴきならない影響を与えることだってあるかもしれない。そう考えたら「願かけ」なんてするべきではないな。小学校5年生のわたしはそう思いました。仏教を信じる信じないはともかくとして、自分の利益は自分にできる領分の中で追求すべきだと。

このことを久々に思い出したのは、昨年末に放映されたNHK週間子どもニュースを見たときでした。
番組中、子ども記者が成田山の仏僧に「初詣」についてインタビューをする場面が放映されました。子ども記者が仏僧に「初詣にくるお客さんのお願いごとはどんなものが多いですか?」と尋ねると、仏僧は「初詣にくるお客さんは、家内安全とか商売繁盛とか、そういう個人的なお願いが多いですね。」と答えたあと、「…だから、そういうお願いはかなうことが少ないです。」と付け加えました。子ども記者はおそらく、仏僧の言っていることの意味がわからなかったのかもしれません。あるいは時間の関係だったのかもしれません。すぐに次の質問に移ってしまいました。


個人的なお願いは、かなうことが少ない


これは、とても大切なことだと思っています。
初詣客を迎えるまじかに、大勢の初詣客を迎える成田山の仏僧が、このことをあらためてNHKで述べたことに、わたしは敬意を表します。

「まあ、そんな堅いこと言わず」といわれそうですが、現在の不況のありかたを見ていると、あらゆる人々が、「個人の利益の追求」ということについて、もう一度、考え直してみるべき時期に来ているのではないかと思うのです。
今年は、いろいろな意味で、良い年になるといいですね。