kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

第二言語学習の楽しみ

今週のはじめあたりから、英語学習にはまっている。
きっかけは、教員採用試験情報を調べていたときに、TOEICTOEFLのハイスコア取得者を特別枠に指定する自治体があることを知ったことである。もちろん中学校・高校の英語教員採用試験ではすでに多くの自治体で、英検・TOEICTOEFLによる特別措置が行われているけれど、小学校教員まで特別措置が行われるところがあるとは知らなかった。数年後、小学校に「外国語活動」という名の英語教育が導入されることを考えれば、当然といえば当然の措置なのかもしれないけれど。

そんなわけで、久々に英語を勉強して、TOEICのハイスコアをねらってみようと思い立ち、英語を勉強しはじめた・・・のだが、これがなんとも、面白い。

大学院で研究漬けの毎日を送った人間にしかわからないかもしれないけれど、研究漬けの毎日を送ったあとで、いわゆる「受験勉強」をすると、この上ない面白さを感じてしまう。研究というのは、先の見えない世界を延々とひとりで歩く作業なので、「自分が道を作っている」という面白さも当然あるけれど、先の見えない重苦しさもある。そんな先の見えない苦しみと何年もつきあっていると、明確な正解のあるわかりやすい世界が、なんとも楽しく、ハッピーに思えてきてしまうのである。

「受験勉強」は、詳しくみればいろいろな意味での向き・不向きはあるのだろうけど、基本的には、努力すればなんとかなるし、努力すればなんとかなるような「正解の道」がすでに用意されている。またそれについての情報も豊富だ。
研究は、はじめの方向を間違えれば、いくら努力してもゴールから遠ざかっていくだけだということが往々にしてありうる。しかも、誰も正解を知らないし、とにかく自分を信じるしかないという怖い世界である。

さらに言えば、第二言語学習はわたしが昔勉強していたときから、より効果的で楽しい学習方法がバンバン開発されてきていて、書店に並ぶ教材ひとつとってみてもとても魅力的だ。NHKラジオ講座も聴いてて、まったく飽きない。これだけ豊かで魅力的な教材がたくさんあるのに、どうしてTOEICTOEFL対策のためだけに、年間ウン十万もかけて、わざわざ英会話スクールに通わなければならないのか。わたしには理解しかねるところがある。短期間で会話のレベルをアップしなければならない人たちが、そんなにたくさんいるのだろうか。

そんなわけで、なんとも、面白い英語学習である。
あまりに面白いので、本来の目的であったリスニング対策のための番組のほか、無駄に「基礎英語?」から「基礎英語?」まで聞いている。
「尋ねるの“ask”。過去型は、edをつけて“asked”となります」とか、「過去分詞型は、今まで何々した、ということをあらわす構文で・・・」とか、そんなすでに知っている内容の説明が出てくると、妙にうれしくなってしまう。でも、ネットで人々の反応をみてみると、むしろ「簡単すぎる講座は、『そんなの知ってるよ!』と言いたくなってイライラするので、少し難しめの講座を選んだほうが良い」などと書いてあるので、知っている情報がでてきてうれしくなるのは、むしろ少数派なのかもしれない。

リスニング対策はずっと続けていると、「英語耳」のようなものができて、あたかも雲がはれるように、英語の意味がスッと入ってくる瞬間が来るらしい。それはどういう瞬間なんだろう。今から楽しみである。