kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

キャラクター自己増殖期

特別授業「あなたはどんなキャラクター?〜イメージからキャラクター創造まで〜」

近隣にある中等教育学校で特別授業をしてきました。
この学校では「総合的な学習の時間」の中で、年に4〜5回、「ゲストティーチャー」を呼んでその人の講義を聞く・・・ということになっているようでした。わたしは別に専門家というわけでもないのですが、今回、講義をさせていただくことに。

授業の構成は以下のとおり。

(1)テーマ紹介(3分)
(2)キャラクター日米比較(10分):「ミッキーマウス」と「Hello Kitty」の違いを見つける
(3)日本キャラクター人気の秘密:「Hello Kitty」を事例として(5分)
(4)日本キャラクターの現在形:第三のキャラクター「ゆるキャラ」(5分)
(5)日本におけるキャラクター創造の歴史:戦後から現在まで(20分)

【10分休憩】

(6)「Activity:キャラクターを作ろう!」の説明(5分)
(7)Activity:キャラクターを作ろう!(30分)
(8)キャラクター認識と差別(5分)
(9)「研究をすること」とは?研究をする上で大切なこと・苦労話(5分)

最後に、生徒による謝辞・質疑応答(5分)

「(5)日本におけるキャラクター創造の歴史」は東浩紀編『網状言論F改』所収の東浩紀論文にのっとって三期にわけ、それぞれを「キャラクター草創期」「キャラクター爆発期」「キャラクター自己増殖期」と名付けました。が、第三期の名前は再考の余地があると思います。それこそ、東氏による「データベースの時代」にのっとって、「データベース化期」とでも名付けたほうがよかったのかもしれませんが、これだといまいちよくわからないばかりか、わたしの言いたいことの半分しか言っていないのでやめました。

「自己増殖期」という言葉を用いたのは、「キャラクターがキャラクターを産む時代」という意味をこめたかったからです。「キャラクターがキャラクターを産む」というのはどういうことかというと、それは要するに、あるキャラクターが生まれると、そのキャラクターの要素が分解され、その分解された要素の断片的なモザイクによってまた新たなキャラクターが生成される・・・ということです。「要素に分解され、その分解された要素の断片的なモザイクによって・・・」というあたりが「データベース化の時代」と絡んできます。
ただ、東氏は「大きなデータベースと小さな物語」という言葉に示されているとおり、データベースから物語を作り出すのはあくまで消費者個人を想定しているように思います。このあたりが「キャラクター論」としてはいささか使い勝手が悪い。もちろんアニメやゲームなど、オタク的コンテンツだけを視野にいれるならそれで十分ではありますが、「キャラクター」はそれだけにおさまらないのです。
「第三のキャラクター」と呼ばれる「ゆるキャラ」をも視野に置こうとすると、確かに、キャラクター的要素の「データベース」は想定できるけれど、データベースを読み込んであらたなキャラクターを作るのは「消費者個人」ではないし、そもそもそれによって快楽を得ようとする人は(たぶん)いないでしょう。そもそも「ゆるキャラ」には「地方のPR」くらいしか目的がなく、その目的がキャラクターによって果たされるのかどうかもよくわかりません。「なぜ存在しなければならないのか」と問われれば、「キャラクターだから」としか答えようがないわけです。とにもかくにもなんかよくわからないけど、「キャラクターって面白いからキャラクターを作ってしまおう」という発想。これこそ、「キャラクターがキャラクターを産む時代」の最終形態(?)だと思うのです。「『キャラクター』的なもの」そのものが意味を担ってしまい、なんとなく「キャラクターを作ればなんとかなるはず」「キャラクターを作らなきゃ」という漠然とした思いが出現してしまっている時代。

わたしが「キャラクター自己増殖期」という言葉で言おうとしたのはそういうことです。
・・・とそんなことまで授業で説明しようとしていたのに(←無理)、残念ながら言えなかったので、ブログで補足してみました。

なんだか予想以上に「でじこ」の反響が良すぎたので、そこの説明で時間を使いすぎました。反省。