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kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

マクロな状況的実践/ミクロな状況的実践

リミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」

リミニ・プロトコルの「Cargo Tokyo-Yokohama」に乗ってきた。
http://festival-tokyo.jp/program/rimini/

トラックを改造した専用車両に乗車して、天王州アイル駅近くの駐車場から、横浜港駅近くの駐車場まで移動する公演である。
チケットは発売15分程度ですべて完売してしまうという、伝説の公演。
これを見られるというのは、幸せ以外のなにものでもない。

この公演に「荷物」として参加した、いろいろな方に聞いたところ、
「『物流』をすでに知っている者にとってはそれほど面白くない」とか
「この公演ができたことだけでもすごいけど、なにかもっとできたはず。もったいない」など、
批判的なご意見も聞くけれど、
とりあえず、リミニ・プロトコルのこれまでの仕事と比較してどうだったとか、そのような意見とはちょっと違ったところで感想を述べてみたい。

わたしは、普段から、「ミクロVSマクロ」「鳥瞰的VS状況的」・・・等々ののつながりのありかたというか、その複層的な関係性のありかたに興味のある人間なので、ドライバーたちの状況的実践と、彼らを管轄するコーディネーション・センターの実践、そしてさらにマクロな次元にある政治的状況など、「物流」をめぐる複層的に重ね合わされた状況が経験できるという状況に、素直に感動した。

まず、わたしが思い出したのは、サッチマンやグッドウィンらによる、「コーディネーション・センター」の分析である。

今回の公演のテーマである「物流」に重ね合わせていえば、ドライバーたちの車のスピードや労働時間、走行している場所などを記録するディスクを収集し、彼らを管理するパノプチコン的な部署が、「コーディネーション・センター」と呼ばれる。
サッチマンやグッドウィンらは、「コーディネーション・センター」が単に、現場の状況を俯瞰し管理する(いわゆる)「パノプチコン」ではなく、その「コーディネーション・センター」で行われる実践そのものも、非常に状況的であることを明らかにした。つまり、「コーディネーション・センター」に従事する労働者も結局は、ひとつの現場的実践にかかわっているのであって、それはドライバーたちの現場的実践となにも変わらない。
そして、そういうさまざまな位相での現場的実践の複層的な関係性のなかで、わたしたちの社会的状況はできあがっている。
彼らの研究によって導かれる知見はそういうことであったように思う。

「Cargo Tokyo-Yokohama」によって経験できるのは、まさにその複層性でははかったか、とわたしは思う。

わたしが乗るトラックを運転してくれている二人のドライバーは、「コーディネーション・センター」によって管理されることの不自由さを語る。しかし、映像上に出てくる当の「コーディネーション・センター」のスタッフも、作業服を着て倉庫の側で仕事をしている。結局、複層的に重なるいくつもの「現場」があるだけで、「物流」にはどこまでいっても「中心」が存在しないような、そんな気さえしてくる。
公演の合間合間にテロップで流れてくる、「物流」の歴史だけが唯一、俯瞰的な視点をもっている。
終ったことをものがたる「歴史」という唯一の俯瞰的な視点。しかし、おそらくその時代・場所にたってみれば、結局は複数に重ね合わせられた「現場」しか見られなかったに違いない。
そんな気がしてくるのである。

そして、わたしたちが見られるのが、ミクロな現場のみであるにも関わらず、そのミクロな現場は否応なくマクロな政治的状況とつながりあっている。
ドライバーの一人、青木さんは、日系ブラジル人で、「免許を剥奪されてしまったら仕事がなく、生きていけない」という。いま、目の前で運転しているこの人の身体のなかに、間違いなくマクロな政治的状況が宿っている。

そういう意味でいえば、わたしたちは、いま生きているミクロな現場のなかに、マクロな政治的状況をちらりちらりと垣間見ている。確実に。

しかし、それは果たして特別なことだろうか。
いや、そんなはずはない。
わたしたちが生きている、いま・ここだってまったく同じことだ。
わたしたちが見られるのは、いま・ここの現場しかないけれど、その現場は間違いなくマクロな状況とつながっている。そしてそのマクロな政治的状況をわたしたちは日々、ちらりちらりと垣間見ている。

「個人的なことは、政治的である」というテーゼを持ち出すまでもなく、そういうことは確実にあるのである。

2時間30分の長いドライブのなかで、わたしが考えていたことはそういうことだ。

でも、実をいうと一番感動したのは、横浜の配送センター(?)の頂上までのぼったときに見えた富士山だった。

来年もよい年になりますように。