kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

「心理カウンセリング」の名のもつパワー―ココロゴトcafe@渋谷

東京メトロ副都心線東急東横線「渋谷」駅。

13A出口のエレベーターから地上に出て、右に曲がること徒歩1分(もかからない)のところに、「ココロゴトcafe」という、不思議な雰囲気のカフェがあります。

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「ココロゴトcafe」とは、一般社団法人プロフェッショナル心理カウンセラー協会(略称:聴くプロ協会)が開いているカフェ。

www.kikupro.jp

「聴くプロ協会」の活動内容の中には、「高い資質を備えた熟練の心理カウンセラーに活動の場を創造するサポート」があるようなので、おそらくその試みのひとつとして、心理カウンセラー+カフェ=「ココロゴトcafe」が構想され、このようなかたちで実現されているかな、と推測。

 

渋谷の中心部にある商店ビル街の中、しかも駅出口から徒歩1分もかからない好立地にもかかわらず、都会の喧騒にそぐわない、不可思議なオーラを纏っているためか、あるいはゴールデンウィーク中日の平日の午前中だからなのか、渋谷の駅前にいるとは思えないほど、静かで落ち着いた雰囲気。わたしが来たときにはお店の中には、数名のお客さんがいるのみでした。

 

わたしは、研究関係のミーティングのための待ち合わせで利用したのですが、「待ち合わせなんですが…」との一声に、何から何まで、配慮と心遣い、ちょっとした労りの気持ちにあふれたご対応をいただき、そのひとつひとつに、、心をうたれました。

 

カフェが事前注文・支払い方式だったので、「外で待ち合わせて、2人そろってから入ったほうがいいですか?」と尋ねたところ、即座に「注文しなくても、中でお待ち合わせしていただいていいですよ!」とお声がけいただいたり。

結局、カフェラテを頼んで中で待ち合わせをさせていただくことにしてテーブルで待っていると、「ハート」のラテ・アートが描かれたカフェラテが届いたり。

 

そして、あまりにラテ・アートの「ハート」がもったいなくて、口をつけられずに眺めていたら、スタッフの方が近くにあるスケッチブックを手にとって、「ここに来られた方がこうやって自由に絵を描かれるんですよ。よかったらお待ちになる間にご覧になってください」とスケッチブックを手渡してくださったり。

待ち合わせていた方がいらっしゃった途端に、「お話ししやすい席に移動されますか?」とお声がけいただいたり。

 

そんな労りと優しさあふれる声にみちびかれて、地下に入ってみると、「カフェ」というよりは、「プレイルーム」といったほうが良いような部屋が広がっていました。

棚には、たくさんの小さな人形が置かれ、各テーブルの近くには、小さな色えんぴつセットとスケッチブックが置かれています。 

 

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 …そんなひとつひとつの言葉かけ、カフェのなかにあるひとつひとつのものが、「わたしがここにいること」を肯定的に受け止めてくれているように感じます。

 

スケッチボードと色えんぴつは、わたしが、何かを描き出すのをじっと待ってくれているし、棚に並べられたミニチュア・ドールたちは、わたしにいろいろな物語を呼び起こしてくれます。

あらゆるものが、わたしがゆっくり何かをするのを待ってくれている。

「待つ」ということは、その待たれる相手を肯定することなのだ、と実感しました。

 

考えてみれば、都会にあるカフェは、どこもたいてい混雑していて、「わたしがここにいること」が受け入れられるどころか、否定されることのほうが多いですよね。

自分がその場にいることは誰かにとっての「邪魔」にしかならず、「わたしはここにいちゃ、いけないんだ」と、随分と居心地の悪い、申し訳ない思いをするものですが、ここの場所は、「わたしがここにいること」を許してくれる、受け入れてくれるがいる。

そのことに、素直に、感動しました。

 

「ココロゴトcafe」は、2014年にオープンしたそうで、今年で3年目を迎えるとのことでした。

irorio.jp

 

わたしは今回体験しなかったけれど、棚に並べたミニチュア・ドールたちを使った「ミニチュアでトークや、テーマを決めてクレヨンで白い紙に絵を描いていく「クレヨンでトーク、いろいろな写真でコラージュを作っていく「写真でトークなどの「ココロトーク」メニュー(各回30分、3,000円(税抜き))もとても好評のようで、わたしがカフェにいる間に、5名くらいの方々が「ミニチュアでトーク」を体験していました。

 

「ココロトーク」のレポート記事では、「心理テストもできるカフェ」のように、「自分の深層心理がわかっちゃう!」みたいな書かれ方がしているようですが、そばで見ていた感じだと、「深層心理がわかっちゃう」かどうかはあまり意味がなくて、それより、自分がつくった箱庭やコラージュなどを、(カウンセラーという名の)他人と囲みながら、その箱庭やコラージュの意味を語り合い、つくりあげていくことに大きな意味があるのではないか、と思いました。

 

これは別に、箱庭やコラージュでなくても良いわけて、自分の作った作品を、他者とともに囲んで、そこにある意味を語り合っていく…そんな場があることが大切なのですよね。

 

にも拘わらず、箱庭やコラージュが必要とされるのは、私たちの多くが、「心理カウンセリング」と名がつくことではじめて、アートや遊びの活動にとりくめたり、あるいはそれを通じて、自分と向き合おうと思えたりするからなのでしょう。

 

ふだんから、もっとみんなが自由に表現できたり、遊んだりしながら、そこで表現されたものをみんなで語り合える場があれば、「心理カウンセリング」という名前そのものが不要になり、「カフェ」だけで十分その役割を果たせるようになるのかもしれないですね。