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kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

芸術祭遺産の風景~「いちはらアート×ミックス2017」

今週のお題ゴールデンウィーク2017」。

 

2017年4月8日(土)から5月14日(日)にかけて千葉県市原市南部エリアで開催されている「いちはらアート×ミックス2017」に行ってきました。

ichihara-artmix.jp

 

 

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「いちはらアート×ミックス」は、2014年に第1回が開催されて、今回は2回目。

その間にも、IAAES[旧里見小学校]で展示が行われていたり、市原湖畔美術館で地域イベントやワークショップを同時開催するような展示が行われていたりすることもあり、なんだかんだと毎年、市原には足を運んでいるような気がします。

そのため、今回が第2回目と聞いたときには、「まだ2回目だったのか」という気持ちでした。

 

2014年に開催された「いちはらアートミックス2014」から今回までの経緯や、開催内容の違いについては、こちらの産経ニュースの記事に詳しく書かれているようです。

www.sankei.com

 

■市民参加を刺激

イベントの開催は、森遊会をはじめとする地域の活動を刺激するのも狙いの一つだ。内田未来楽校も地元で「報徳の会」という会ができ、活動拠点としている。イベントの実行委員会には、アートを通じて地域住民の参加意識を喚起し、町の活性化につなげたい思惑がある。

 

実は、3年前の芸術祭は集客に苦戦し、目標の半分にも達しなかった。実行委によると、プロのアーティストによる出展だけだった前回の反省から、今回はイベントのあり方を練り直したという。開催期間も予算も圧縮し、その分「市民がヒーローになる芸術祭」とうたって地域の積極参加を促す。ワークショップを予定するなど、都会と里山の交流を図れるような「仕掛け」を多数企画している。

 

開催期間と予算の圧縮、そしてプロのアーティストによる出展を重点化することへの反省から企画が練り直されたためでしょうか。

今回の「いちはらアート×ミックス2017」の広報では、「市内外の芸術家ら三十一組が、市内七つのエリアで絵画や造形物といった多彩な現代アート約四十点を展示」(東京新聞)といった数値をよく目にするのですが、その多くが「いちはらアート×ミックス2014」のときに展示されたものであるようです。

 

もちろん、前回終了後に「残したい」という市民からの声がわき上がり、地元の人たちが保存団体「森遊会」を結成して保存に努めてきたという《森ラジオステーション》(上記産経新聞の記事より、p2)や、同じく地域の人たちが「報徳会」という団体を結成し運営を行ってきた「内田未来学校」など、前回の展示を受けて新たな活動が巻き起こり、それが部分的にリニューアルされるかたちで、あるいは市民による保存活動の成果として展示にいたることは、ひとつの地域アートの成果の展示のかたちであるといえるでしょう。

 

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けれども、それをもって「31組の芸術家が参加」と言ってしまってよいのかどうか、という問題は、また別であるのではないでしょうか。

「いちはらアート×ミックス2017」のフライヤーを見ると、「森ラジオステーション」は、作家名「木村崇人」で、作品名が「森ラジオステーション×森遊会」となっています。

市民団体は、はたしてアーティストである木村崇人さんの「作品」なのでしょうか?

そして木村さんが2014年に創作した作品を、森遊会の方々が保存し続けたことで、2017年の「いちはらアート×ミックス」でもそれを鑑賞できることをもって、それを「1組のアーティストが参加」と記載しうるのもなのでしょうか。

 

同じことは、市原湖畔美術館のKOSUGE1-16《High-Ho》《Toy Soldier》、アコンチ・スタジオ《Museu-m-Stairs/Roof of Needles & PIns》、クワクボリョウタ《Lost Windows》、木村崇人《星ぶどう》にも言えるでしょう。

おそらく、「いちはらアート×ミックス」の予算の中で制作された作品だからこそ、今回の「参加作品」としてカウントされているのかもしれませんが、前回の「いちはらアート×ミックス」以降、何回か、市原湖畔美術館に足を運んだことのある私のようなものにとっては、美術館の常設作品のようなものに見えます。

それが今回の「31組の芸術家が参加」の中に入っているというのが、わたしにとっては違和感がありました。アーティストが「参加」するというのは、ただ、かつていつか制作されたものが見られるという、それだけの状態のことを意味しているのでしょうか?

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わたしは、プロのアーティストの出展への比重を見直し、市民参加のための企画に舵を切ることを批判する気持ちはまったくありません。

むしろ、「いちはらアート×ミックス」が、地域の人にとって意味のあるアートイベントになるためには大切な第一歩と考えています。

しかしそうであるのであれば、なぜ「31組の芸術家が参加」などと言ってしまうのでしょうか?

地域の人々の営みの成果を、作品名の中に押し込めたりしてしまうのでしょうか?

私には、そのことがわかりませんでした。

 

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「市民がヒーローになる芸術祭」を謳おうとしながらも、それがチラシにも新聞やニュース等の記事にも、ほとんど表に出てきておらず、実態とずれたかたちで対外的な文言が横行してしまっている印象はぬぐえません。

そして、「市民がヒーローになる芸術祭」のなかで、アーティストたちはどのように位置づけられるのか、という点も不明瞭なままです。

しかしそんな状況であるにもかかわらず、限られた予算の中で、「市民がヒーローになる芸術祭」の中での作品のありかたを模索し、そのひとつの答えとしての作品を展示しているアーティストたちの作品は、地域でのアートの在り方についてそれぞれの視覚で問いを投げかけるようなものになっていたように思います。

 

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そして、彼らアーティストたちが、まさに、「いちはらアート×ミックス2014」から続くネットワークや関係性のなかで見いだされ、招聘されていることも、とても重要な事実であるようにも思います。

 

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彼らアーティストたち自身が、前回から受け継がれた大きな遺産のひとつであるわけです。