今年3月に横浜・ジャック&ベティで開催されていた、「柳下美恵のTHE ピアノ & シネマ vol.8「キートンのセブン・チャンス」「ロイドの福の神」」で、『ロイドの福の神(For Heaven's Sake)』を観てきました。
国立近代美術館フィルムセンターが、自館の所有する日本の初期アニメーション作品をオンライン公開した「日本アニメーション映画クラシックス」 が公開されたことで話題になったときにも、本サイトで見られるアニメ映画をいくつか見てとても新鮮な気持ちになりましたが、草創期の映画をいくつも見ることで、現在ある映画のありかたを相対的に見直すことは、メディアリテラシーの学習を考える上で、本当に重要なことであるように思います。
こんなこと、わたしがいまさら言うまでもないくらい、ありふれた陳腐なことなのですが、あらためて、そう思います。
たとえば、今回鑑賞した『ロイドの福の神』は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でオマージュされたことで有名ですが、そのシーンに限らず、とにかく、カー・チェイスがすごい!
現代の映画では、CGバリバリでカー・チェイスのシーンも作っていくわけですが、CGがない時代のカー・チェイス(!)となると、それはやっぱり、みんなが単に頑張っているわけで……それを考えると、いろいろすごい。
自転車をバスが追いかけるシーンがあるのですが、カメラワークでの見せ方とか、本当に感動します。
Harold Lloyd: For Heaven's sake.(1926)
Youtube動画で見られる動画でも、そのカーチェイス・シーンのすごさは見ていただけるのですが、これを、映画館のなかで、ピアノ即興演奏付きで見るという経験は、また格別です。
「映画館」という存在そのものが経験を生み出す舞台であり、「映画」を観るという経験そのものが1回生のある、その場限りのものであること。
そういう経験そのものができるということ自体が、今のメディアのありかたを相対化して捉えうるに十分なものです。