kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

文学者にまなび、あそぶ!現代メディアの文章表現~『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』

酒井信(2019)『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』(左右社)を読みました。

わたしが担当している「初等教科教育法(国語)」の中で、ある学生たちのグループが「炎上」をテーマにした模擬授業を考えたい! と言っていて、その学生たちと「どんな炎上ツイートを教材にしたらよいか」について相談していた時期に、たまたま書店でこの本の帯(「炎上しない技術と文章力」)を見つけ、「これは、あの学生たちの参考になるかも」と思い、本書を入手しました。

このような経緯があったこともあり、わたしにとって本書は、「炎上しない文章術」について書かれた本というイメージがあったのですが、全体を通して読んでみると、「炎上」について取り上げられているのは、主に、はじめの2回分(「第1回 個人のネット炎上パターンとその予防策・善後策」と「第2回 企業のネット炎上パターンと情報メディア・リテラシー」)だけ。第3回に「メディアの基本理論を踏まえた文章表現とメディア・リテラシー」があるものの、基本的には、大学初年次生向けのアカデミック・リテラシーのテキストである。

そういう意味では、「内容紹介」で、「「企業のSNS担当者」「ビジネス・パーソン」におすすめ」と書いてしまうことには、少し違和感がある。

本書の「はじめに」にあるように、「現代的なメディア・リテラシーを高めるための教育と文章作成の教育を組み合わせた」、大学初年次生向けの基礎教育テキストと位置づけたうえで、その内容のいくつかが、「企業のSNS担当者」「ビジネス・パーソン」にも有用でありうる、というほうが正確であるように思える。

 

そんな実用的な側面よりなにより、本書の面白さは、「炎上」対策をはじめとした「現代的なメディア・リテラシー」と、文章作成教育の組み合わせ方、その独特なアプローチにあるように思う。

本書の著者は、『最後の国民作家 宮崎駿』(文春新書)や『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社)の著者である酒井信氏。メディア論の専門家でありながら、文芸批評家でもある酒井氏による「現代的なメディア・リテラシー」と、文章術とのつなぎ方が非常に独特で、興味深い。

 

その「つながり」に用いられているのが、文学者によるテキストである。

たとえば、本書の第4回・第5回では「コミュニケーション能力を高めるための文章表現」として、三島由紀夫の『レター教室が取り上げられている。

 

三島由紀夫『レター教室』が「今日の価値観に照らし合わせて考えると、古さを感じる表現もあるが、全体として小説や戯曲のようでありながら、社会批評や実用書でもあり、手紙に限らずメールやSNSを用いたコミュニケーションにも応用可能な内容が含まれる」(『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』、p63)と紹介され、『レター教室』における三島の文学的表現にならいながら、「感情を豊かに表現する文章」「頼みごとをする文章」「断る文章」「よく知らない相手に対する文章」をトレーニングするという流れである。

この「演習」では、実際に、三島由紀夫の文学的表現(としかわたしには思えない)にならって、文章を書いてみる活動が示されている。たとえば、次のような三島のテキストにならって、ワークシートの空欄を埋めるかたちで「お金を借りる文章表現」を完成させるというような活動である。

 

…(前略)

 青春のバカバカしさに対して客観的な立場に立つことのできる、知性ゆたかな人が、それをまるで、庭土の上に戸惑うアリのようにながめながら、軽蔑と気まぐれから、一つまみの砂糖を投げ与えるように、お金を貸してくれることを夢みています。

…(後略)(三島由紀夫「借金の申し込み」『レター教室』)

 

これにならって、学習者たちは、「あなたのように(1      )人が、私をまるで(2     )のようにながめながら、(3      )のようにして、お金を貸してくださることを夢みています」の空欄を考える。

自分と相手との過去・現在・未来にわたる関係性を考えること、そしてユーモラスに表現すること、がここで求められるポイントである。

このような三島由紀夫のテキストにならった演習が続いたあとに、「第6回 メールの文章表現と基本的な敬語の使い方」が続く。

 

2019年8月1日に開催された日本学術会議によるシンポジウム「日本学術会議公開シンポジウム 「国語教育の将来:新学習指導要領を問う」をはじめ、高等学校学習指導要領の改訂によって、「文学」の定義がより狭隘なものになるのではないか、という懸念が、文学関係者から寄せられている。

「文学的文章」が「実用的文章」「論理的文章」と並ぶひとつのカテゴリーとして示され、まるで、「文学」とは「論理的」でないもの、「実用的」でないものと位置付けられてしまっているようだ。

この懸念が、はたして「懸念」でしかないのか、あるいは、高等学校学習指導要領の改訂によって、あるいは、その先の実践の展開によってそれが現実化してしまうのかどうかは、まさに、今ここから、私たちが「文学」をどのようなものとして実践していくのか、にかかっているように思う。

本書は、「メディア・リテラシー」という名で、また「(実用的な)文章表現の技術」をまなぶためのテキストとして、文学者によるテキストを位置付けた点で、私たちが今後、この問題について考えていくための実践的な示唆を与えてくれる。

 

それに比して、「炎上」を取り上げた第1回~第2回でとりあげられる事例では、日本ディズニーの公式Twitterアカウントによって、2015年8月9日にツイートされた「なんでもない日おめでとう。」などが、単に「公共性を損ね、社会常識に反する書き込み」と評されており、そこで生じていたコミュニケーション上のトラブルを、送り手、受け手、社会・文化的背景などの視点から分析的にとらえるような記述はなされていない。

nlab.itmedia.co.jp

もちろん「演習」として、これらの炎上事例について、学習者に自分の考えを書かせる課題はある。けれども、炎上事例を「社会常識に反する」「公序良俗に反する」といったかたちで断罪してしまう姿勢は、従来の情報モラル教育やネットリテラシー教育にありがちな、教条主義的な姿勢と通ずるところがあり、残念に感じてしまう。

文学者テキストにまなぶ文章表現が、ユーモラスな表現によって、固定的な関係を解きほぐしていくようなものであっただけに、そのような学習と、炎上事例をもとにした現代的なメディア・コミュニケーションの学習とをうまく接合することはできないものだろうか。

おそらく、これについて考えていくのは、本書を読んだ私たちに託された、次なる仕事なのかもしれない。