kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

書く。部@「アートセンターをひらく 第Ⅱ期」展

水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催されている「アートセンターをひらく 第Ⅱ期」本プログラム内の「部活動」として開催されている「書く。部」に、「顧問」として参加しています。

アートセンターをひらく 第Ⅱ期 部活動|現代美術ギャラリー|水戸芸術館

 こちらのページで説明されているように、「ギャラリーをアーティストや来場者の『創作と対話』のために活用」した第Ⅰ期に対し、第Ⅱ期では「展示と対話」がテーマ。「展覧会を軸に、対話とさまざまな活動を育む場」としてのギャラリーが目指されています。

第Ⅰ期・第Ⅱ期と2つの期間にわたって展開されている「アートセンターをひらく」という一連のプロジェクトに対しては、すでに『美術手帖』に、中尾英恵さん(小山市立車屋美術館・学芸員)の詳細なレビューが掲載されているので、ぜひそちらをご覧ください。

bijutsutecho.com

「書く。部」にこれまで「顧問」として関わってきたものとして、気になってしまうのは、この記事の中の次の部分です(下線・太字は引用者)。

「展示と対話のプログラム アートセンターをひらく 第Ⅱ期」では、「創作と対話のプログラム アートセンターをひらく 第Ⅰ期」の成果としての作品展示が行われた。7つの作品から、何かしらの「テーマ」や「ストーリー」を読み取ろうとすると、袋小路に陥る。その思考方法自体が、慣習に陥っている。

これは、お決まりのテーマ展ではない。高らかに宣言はされていないが、アーティストの選択には、丁寧なジェンダー、人種的配慮がなされている。多様性が共存している社会の縮図のようでもある。そして、作品のメディアにおいては、インスタレーション、映像、染織、パフォーマンス、絵画、身体表現と異なる方法が選ばれている。鑑賞者における従来の美術史優位のヒエラルキーを崩し、ダンスをしている人、手芸をしている人、様々な知識や経験を持つ人が、それらの知識や経験を駆使して鑑賞することで、美術史もひとつの知識として、フラットな立場での「対話」がつくられるようになっている。

「公共を構成する人とは誰か? 中尾英恵評『アートセンターをひらく』」-美術手帖

 

「7つの作品から、何かしらの『テーマ』や『ストーリー』を読み取ろうとすると、袋小路に陥る」と指摘されているとおり、「アートセンターをひらく」以前に、水戸芸術館で展示されていた展覧会のような感覚で、「アートセンターをひらく 第Ⅱ期」の展示を見ようとすると、混乱に陥ってしまうようです。

昨日も、「なぜこの順番で展示されているの?」という質問をされた、という話を聞いたり、たまたま展覧会について話しているなかで「再キュレーションが必要」という人がいたりするのを見ました。

「アートセンターをひらく 第Ⅱ期」のページにあるとおり、この展覧会は「アートセンターをひらく 第Ⅰ期」に行われたアーティスト・イン・レジデンスの成果展なのだから、展示の順番に意味はない(と言い切って良いと思う)。でもそれが、現代美術館のギャラリーの中に展示されているために、「この順番には何か意味があるのでは?」「なにかキュレーション的な意味があるのでは?」と読み取ろうとしてしまって、混乱してしまうのでしょう。

この記事はそういう感覚を「その思考方法自体が、慣習に陥っている」と批判している。のだけど、一方で、混乱している鑑賞者の皆さんを見かけたり、そういう人たちと話をしている身としては、「かといって、この展覧会の中に『慣習的な思考方法』とは異なる、オルタナティブな思考方法が提示されているわけでもないしなぁ…」とぼんやに思ってしまうのも事実。

もちろん、「アートセンターをひらく 第Ⅱ期」では、おなじみの対話型鑑賞プログラム「ウィークエンド・ギャラリートーク」のみならず、「冬のこらぼ・らぼ」として「あーとバス 番外編」や、視覚に障がいがある人との鑑賞ツアー「Session!」「美術と手話」と展示を軸に対話を行うための数多くの対話型鑑賞プログラムが予定されており、それらによって「様々な知識や経験を持つ人が、それらの知識や経験を駆使して鑑賞することで、美術史もひとつの知識として、フラットな立場での「対話」がつくられるようになっている」ともいえるのかもしれません。

でも、なんだか、それってちょっと奇妙。

複数のアーティストを招聘するタイプのアーティスト・イン・レジデンスの成果展が、閉じられた美術館という場所で行われていて、その成果展で展示されている作品には特につながった「テーマ」「ストーリー」はないから、鑑賞者の力でなんとか意味を創り出してね!と、突然ポーンと投げだされた気がしています。

それが「フラットな立場での『対話』」と言われたら、そうなのかもしれませんけど、考えれば考えるほど、奇妙。

 

とはいえ、そんな奇妙な状況を面白がれるのも、「書く。部」のような、無手勝流の活動の力だとも思うので、昨日の第2回活動では、勝手に、展覧会を楽しんじゃうためのアイデアをいろいろ試してみました。

 

まず、個人活動としてやってみたのは、展示作品をひととおり鑑賞したあとで、「ZENタイル ソロ」を使って、鑑賞体験をふりかえる活動。

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ZENタイルで鑑賞体験をふりかえる

わたしは、第1回の対話型鑑賞会に参加できなかったので、言語化するために、まずそれぞれの作品から感じた感情を掬いだしておきたいな、と思って、ZENタイルでゲーム的にふりかえってみました。

今、あらためてギャラリーマップと対照しながら見直してみると、完全に、第3室(呉夏枝《彼女の部屋にとどけられたもの》)と第4室(ハロルド・オフェイ《村のよそ者》)を逆にとらえて配置してしまっていますが、展示室を一通りめぐってみたときの気持ちの流れを自分なりにとらえられた気がします。

ちなみに、右下の方にある「熱」「愛」は、「磯崎新―水戸芸術館縁起―」のひとつとして展示されているタワー建築動画を観た際の感情を表しています。「え!あれ、全部観たんですか!」と言われましたが、わたしにとっては胸が熱くなる動画でしたよ。建築工法!

 

その後ようやく、「書く。部」第2回活動としてやってみることになっていた、展示室ごとに「一言」「1フレーズ」をつけてみる活動にトライ。

 

ちょうど昨日は、「あーとバス」と、砂連尾理さんによる「変身」ワークショップ」が開催されている日でもあったため、「あーとバス」スタッフの人たちに子どもたちとの会話のなかで印象的だったエピソードを聞いたり、「変身」ワークショップの参加者に、経験の中で感じていることを取材したりして、そこからキーワードやキーフレーズを出していったりしました。

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「書く。部」第2回活動用の取材メモ

最終的には、自分自身が各展示室の作品に向き合いながら感じたことをもとに、「一言」「ワンフレーズ」を作ってみて、みんなで共有。

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各展示室の作品にキャッチコピーをつけてみる

共有したあとに、それぞれの「一言」「ワンフレーズ」に出てきたキーワードの共通点や差異について話しながら、新たなキーワードが出てきたり、そこからまた作品の意味の捉えなおしが起こったりして、なかなかホットな議論の場が展開されました。

 

「書く。部」では、今後、年明けになんらかのかたちで、「書く。部によるギャラリーガイド」を作成・配布できるようにしていくつもりです。

水戸芸術館のホームページでは、すでに申込締め切りということになっていますが、いろいろなかたちで、ゆるやかにかかわれるように活動そのものを考えていますので、せっかくの「フラットな対話」の機会ですので、「袋小路」に陥らずに、自分の目と耳を使って、感情と思考を動かしながら、自分なりの作品の意味をつくっていこう!というかたは、今からでもぜひ、お声がけください。

あと1~2回、活動を予定していますので、いろいろな方と、作品の意味をつくる対話をしていけたら、と思っています。