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Literacy, Culture and contemporary learning

セカイ系児童文学――『だれかを好きになった日に読む本』

「本当にだれかを好きになった日に読んだら恋愛どころじゃなくなる本」との評判高い(?)現代児童文学研究会(編)(1990)『だれかを好きになった日に読む本』(偕成社)を読みました。

 

本の表紙画像を見て、「そんなおおげさな」と思われた方もいらっしゃると思いますが、そういう方は「だれかを好きになった日に読む本」でGoogle検索してみれば良いと思います。いかに多くの方々が、少年少女たちへのトラウマ化を懸念されているか(そして実際にトラウマ化しているか)が実感できるかと思います。

たとえば、こちらでも紹介されています。

matome.naver.jp

 

とはいえ、この児童文学アンソロジーに収録されている作品のすべてが、トラウマ系だというわけではありません。

「トラウマ系児童文学」として名高いのは、本アンソロジーの最後に収録されている以下の2つの作品です。

 

(1)川島誠『電話がなっている』

(2)那須正幹『The End of the World』

 

川島誠『電話がなっている』は、「電話がなっている(川島誠) | 後味の悪い話まとめサイト@2chオカルト板」で紹介されているところが、なんかすごいです。

 

これらの作品が、『だれかを好きになった日に読む本』という児童文学アンソロジーに入っていることについて、「なぜこの作品を小学生向けの児童文学アンソロジーに入れたんですか?」「少年少女にトラウマを植え付けようとしたとしか思えない!」という声を見かけました。

これらを収録した意図について、本書の最後の「解説」に石井直人さんが下記のように記されています。

 

さて、児童文学が、もっとも得意とする恋愛は、初恋です。はじめて異性の存在を感じたときのとまどいが、あざやかです。・・・

(中略)

・・・反対に、二人のあいだに割り込んでくるものもあります。貧困、戦争、近未来の管理社会、核戦争後にやってくる核の冬とよばれる死の世界。だれかを好きになる。わたしをわかってもらいたい。あなたにそばにいてほしい。本気で思う。それなのに二人を邪魔するものがある。だれかを好きになるということは、いままで気づかなかった世の中の仕組みに直面することでもあるわけです。ですから、どの作品も、恋愛という一つのテーマから読めばすべてということはありません。「観音だんご」「電話がなっている」「The End of the World」は、読み応えのある複雑なものですが、どうか作品が逆説のかたちでしめそうとする人間のほんとうの姿を考えてください。恋愛というテーマをつきつめていったとき、はげしく切実な人間と人間のつながりのありかたがしめされるでしょう。(pp.187-189)

 

あれ。これってもしかして、「セカイ系」みたいなお話ですか?

 

もちろん、主人公をとりまくごく狭い人間関係が世界の行く末を決めてしまう「セカイ系」と、だれかを好きになる(=主人公をとりまく人間関係が変化する)ことで、いままで気づかなかった世の中の仕組みに直面する(=元来問題をはらんでいた世界とつながる)ということは、まったく逆のことを言っているようにもみえます。

 

事実、『電話がなっている』でも『The End of the World』でも、終末期的な世界はまったく変わらず、むしろ、主人公をとりまく人々はそのなかで翻弄され、世界とともに終末へと向かっているようにすら見えます。(結果として作品に救いがなくなり「トラウマ系」と呼ばれるのでしょうが。)

でもやっぱりどこか、「セカイ系」くさい。

セカイ系」のにおいがする。
2年前に話題になったこの記事のなかで、ボカロ小説の「セカイ系」くささが指摘されていましたが、すくなくとも、私にとっては、同じくらい「セカイ系」くさいお話です。

www.n11books.com

 

『だれかを好きになった日に読む本』が1990年出版ですから、そこに掲載されている作品そのものが発表されたのは、1980年代。

そう考えてみると、「セカイ系」的な物語というのは、児童文学のなかですでに先取られていたということでしょうか。

そしてそれと同じような物語の構造が、ボカロ小説のなかにも引き継がれているのだとすると、・・・なんだかそこに、現代の児童文学(YA文学)に共有されたテーマや問題性のようなものがあるような気がしてきます。

 

もしかしたら、これを切り口にしながら、児童文学(YA文学)とサブカルチャーとのつながりを見ていくことができるかもしれないですね。

なんとなく性別越境したいボクら・その2

児童文学におけるセクシュアルマイノリティについて考えるため、引き続き、如月かずささんのYA文学『カエルの歌姫』(2011年)を読みました。

前回読んだ『シンデレラウミウシの彼女』は、講談社YA! ENTERTAINMENTシリーズということもあり、装丁からして「ヤングアダルト向け」(!)という感じがしましたが、『カエルの歌姫』は、一般書と同じ装丁のため、一見して「ヤングアダルト向け」かどうかはわかりません。

しかしながら、本作品は、第45回日本児童文学者協会新人賞受賞作であり、「児童文学」として高い評価を得ていることがわかります。

 

 

この作品、Amazonのレビュー(『カエルの歌姫』)からもお察しいただけるように、なによりまず、『電車男 』や石田衣良アキハバラ@DEEP (文春文庫) 』につらなる(?)「オタク文学」(そんなものがあるのかどうかわかりませんが)として面白かったです。

 

最近は、ゆるゆるまったりな文化系サークルや部活動をテーマにした小説も増えてきて、物語の登場人物にオタクが登場したり、はたまた主人公になったりするケースもしばしば見かけるようになりました。が、主人公(とその友達集団)もオタクで、好きになる相手とその家族(姉のみですが)もオタク(!)の恋愛ストーリーってはじめて読んだ気がして新鮮でした。

もちろん2010年代の中高生向けに描かれる物語での「オタク」なので、「オタク」といっても深夜アニメ見てたり、ニコ動のボカロソングが好きで「歌ってみた」をよく見ている・・・という程度です。(主人公は、「歌ってみた」に自分で投稿もしてますが。)

 

そして、この作品の面白いところは、そういうオタク・カルチャー的なものが、ジェンダーセクシュアリティーにおける「他者」へのまなざしを、やわらかなものにしている点だと思います。

『カエルの歌姫』では、主人公の男子生徒が自分自身のジェンダーアイデンティティに違和感を持っている。その違和感に対して彼がとった一連のジェンダー越境的な行動に対する辛辣なまなざしを、オタク・カルチャーが見事にやらわげる。

もちろん、これは、理想を描いたファンタジーに過ぎないけれど、主人公がジェンダーに対する違和感に対してアクションを行う場も、それを受け止めるための価値観の枠組みも、オタク・カルチャーのなかにある、という点は、今後の可能性を考えるうえで、とても面白いと思います。

 

さて、では、本作品におけるセクシュアル・マイノリティの描かれ方について感想を述べたいと思いますが、あいかわらずネタバレになりそうなので、以下をお読みいただく方はご覚悟ください。

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なんとなく性別越境したいボクら・その1

「セクシュアルマイノリティと児童文学について考えること」で書いた決意表明にしたがって、セクシュアルマイノリティが登場する児童文学・ヤングアダルト文学を読みはじめています。

 

まずはじめに手にとったのは、如月かずさ(2013)『シンデレラウミウシの彼女』。

 

ガクとマキは兄弟のように育った幼なじみで中学の同級生。
部活も一緒のバスケ部という仲良しコンビ。
だが、二学期初日、教室にマキの姿はなく、心配したガクが放課後にマキの家に様子を見に行ってみると、なんとマキが女子になっていた!しかもガクとマキ以外誰もマキが男だったことを覚えていない。
マキがとつぜん女子になってしまった理由は、実はご近所の祠の恋の神さまのある思惑が関わっていて……?(講談社ブック倶楽部より)

 

講談社ブック倶楽部の本文紹介の最後の文が、「ずっと、そう思っていたはずだった。」で終わっていたので、「そんなこと最後に書かれたら、あとはやることはひとつですよね!?」という謎の確信(?)をもって、つい、この本を手にとってしまったわたしです。が、そこはさすがに児童文学。けして「やることはひとつ」ではありませんでした。当然です。

中高生向けの図書という意味では、YA文学もライトノベルもそんなにターゲットは変わらないはずなのですが、それでもやはり、YA文学は児童文学の一種であるということなのでしょう。

 

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セクシュアルマイノリティと児童文学について考えること

夏休みに入る直前に、ある学生と話したことをきっかけに、児童文学におけるセクシュアル・マイノリティの表象に興味をもちはじめました。

 

学校におけるセクシュアル・マイノリティの問題については、以前と比べればかなり広く認知されるようになってきていると思います。

今年4月には文部科学省「性同一性に関わる児童生徒に対するきめ細やかな対応の実施等について」という通知を全国の国公私立学校に提出。それがNHKニュースをはじめ、いくつかのニュースなどにも取り上げられました。

「Change.org」では、セクシュアル・マイノリティの子どもたちに配慮した教科書を求める署名サイトが公開されており、現在すでに2万人以上の賛同署名が得られているようです。

www.huffingtonpost.jp

 

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