kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

小学校「外国語活動」の欺瞞

現在、小学校教員認定試験対策のため、
平成20年3月に告示された新学習指導要領を読んでいます。

多くの方はすでにご存じだと思いますが、
新学習指導要領から、小学校に新しい領域「外国語活動」が加えられました。
この「外国語活動」の「内容」のひとつに、
「2(3)異なる文化をもつ人々との交流等を体験し、文化等に対する理解を深めること」
…というのがあります。
ここまでは、まあ良いのですが、
次の「指導計画の作成と内容の取り扱い」の文言に、わたしは驚きました。

「1 指導計画の作成に当たっては、次の事項に配慮するものとする。
(1)外国語活動においては、英語を取り扱うことを原則とすること。」

…いや、もしかしたら中学校「英語教育」へのつなぎを考えたら、「あたりまえ」のことだと思われるかたもいらっしゃるのかもしれません。

しかし、
■日本語指導必要な外国人児童・生徒、2万5400人に
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20080802-OYT8T00271.htm

このニュースに示されているとおり、日本にいる外国人児童生徒の母国語別は、ポルトガル語が圧倒的に多く、それに中国語、スペイン語が続き、この3言語で全体の74%を占めます。

日本に住む子どもたちにとって身近な異文化といえばこれら3言語を話す人々であるはずなのです。
そうであれば、「異なる文化との交流」をうたうとき、わたしたちは、まっさきに彼らのことを問題とすべきであるはずです。

それなのに、そんな現状をまったく無視して、
「英語を取り扱うことを原則とする」
…と言ってしまうことのできること。そのことに、わたしは驚いたのです。

もしかしたら、この指導要領を支持する方々は「英語は国際語」だと思っているのかもしれません。
英語さえ知っていれば、さまざまな国の人と話すことができるのだ、と。
しかし、それも「英語」をめぐる言語イデオロギーに巻き込まれているだけのように思えます。

もし「英語」を「エスペラント語」のように「世界共通公用語」として位置づけるのであれば、それも良いでしょう。
だとしたら、「英語」は単なる記号として教えるべきであって、
ことさら「異文化理解」「異文化交流」を主張するのは、単なる欺瞞でしかありません。


一方で、外国人児童生徒への対応がまったく進まぬまま、
「国際化」に対応するとうたって、小学校から「外国語活動」という名の英語教育をはじめるという…。
この「ズレ」に気持ち悪さを感じるのは、果たしてわたしだけなのでしょうか。