kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

政治的イデオロギーのコスプレ

帰宅したら、鳥肌実の全国時局講演会のDM(通称:「赤紙」)が届いていた。
夏休みももう終わりである。

皇紀弐千六百六拾八年 鳥肌実全国時局講演会「天照大演説」
http://www.torihada.com/kouen_info_hon.htm


「現代文化論」担当講師のY先生は、仲良くなった留学生の院生には、「これから先、母国に帰って、大学の講義で日本のことを紹介するんだったら、鳥肌実はハズせないから、知っとくといいヨ」と言っているそうだ。
「おいおいそれはどうなんですか?」とツッコミを入れたくもなるけれど、確かに、ポストコロニアリズム理論の文脈で、日本の「現代文化」を語ろうとするとき、きっと、彼は外せない存在なのだろうと思う。

特定の政治的イデオロギーをパロディ化する、という行為はおそらくどこでも見られる現象なのかもしれない。
鳥肌実が、それらとまったく異なるは「政治的イデオロギーのパロディを生きる」というその生き方そのものを、ファッション化してしまった、という点においてである。
これについては、雨宮処凛も同様で、鳥肌実雨宮処凛が、ひとつのサブカルチャーとして受け入れられていることそのものが、日本の現代文化の特徴なのだろうと思う。

「「右翼」(「左翼」)しちゃってる自分を楽しむ」というか、
政治的イデオロギーの「コスプレ」を楽しむというか、そういう感覚。

ファッションとしての「右翼」。
それは、ただ「ファッション」にすぎないので、言ってしまえば「ナンデモアリ」である。
だから、鳥肌実のパフォーマンスには、厳密に言えば「右翼」ですらないものも多く含まれる。ただ「それっぽい」ものならナンデモイイのだ。だって、それは「ファッション」なのだから。

たとえば、このイメージは、どちらかといえば、ヒトラーのイメージに近いのではないか、と、わたしは思う。

実際、わたしが初めて鳥肌実の講演会を観にいったとき、まるでビデオのコマ送りのような彼の動きを不思議に思って、隣にいた友人に、
「鳥肌って、なんであんなコマ送りみたいに動くんだろう?」と聞いたら、その友人は「ヒトラーの大衆プロパガンダ映画の真似じゃん。kimistevaともあろう人間が見たことないの?」と、あまりに的確な答えを返してきた。
・・・いや、そりゃ見たことはあるけど、それを「右翼」芸人が、パフォーマンスでやるなんて、想像できなかったのだ。わたしには。

しかしその後、彼のさまざまなパフォーマンスを見ていると、ヒトラーから、パンクロックから、Gothic&Lolitaまで、とにかく「それっぽい」と思われるようなさまざまな要素が、雑多に盛り込まれていることがわかってきた。
ヒロポンはともかくとして、シンナーは「右翼」とは一切関係ないだろっ!・・・と、わたしはあえてツッコミたい。

こうなってくると、もはや「『右翼』っぽさ」って、いったいなんなのかもわからなくなってくる。
全国のゴスロリ少女たちは、鳥肌実を「中将」と呼び親しんでいる。鳥肌実時局講演会の看板の前で、「万歳」をして写真をとるゴスロリメイクの少女たち。彼女たちにとって、「右翼」っていったいどんなもので、何が「『右翼』っぽさ」なんだろう、とふと疑問に思ったことを、いまさらながら思い出した。