kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

平安時代の恋愛スタイル

まだ日本が、ロマンティックラブ・イデオロギーに染まっていなかった頃、人々はどういうふうに出会い、仲を深めていたのだろう。それは、きっと今とはまったく違うものであるに違いない。そんなことが、妙に気になる。

わたしは小学5年生のときに、平安時代の古典作品にはまりまくった。その理由のひとつは、当時、氷室冴子の『なんて素敵にジャパネスク』シリーズが流行していたことである。しかし、わたしにとってそれ以上に、衝撃だったのは、その『なんて素敵にジャパネスク』以上に、『枕草子』や『源氏物語』や、百人一首にとりあげられるような和歌の世界観がエロくて、クールで、大人だったことだ。
当たり前といえば、当たり前なのかもしれないが、思春期にまだ入るか入らないかの境目にいたわたしは、やたらドキドキした。そして、『なんて素敵にジャパネスク』シリーズに、ちらほら出てくる濡れ場シーン(…といっても、未遂に終わることが多い)に、キャーキャー言っている同級生たちが幼く見えたものだった。

小学生の頃から、なんとなく封建的なジェンダー規範に敏感だったわたしにとって、その封建的な時代のずっと前の時代に、清少納言が自分から三行半つきだしたようなかたちで、夫と離婚していたことも衝撃だった。

恐るべし!平安時代

…これが、小学5年生のわたしの率直な感想だ。

最近、小学校教員資格認定試験の二次試験対策に、小学生向けの古典文学作品集に目をとおしているのだが、その中で久々に『枕草子』を読んで、あらためて、当時の衝撃を思い出した。以下、第84段「里にまかでたるに」からの引用である。
ちなみに引用元は少年少女古典文学館シリーズ4『枕草子』(大庭みな子訳)。このシリーズは面白いので、好きです。訳者のセレクトがすばらしい。

 則光とはこんなふうにおたがいにかばいあってもいたが、べつになんということもなく、遠のいていたころ手紙がきた。
「まあ、おもしろくないことがあったにしても、むかし契った仲なのだから、遠くからでも見ていてください。」
とあった。則光はつねづね、「いっておくけど、おれにはぜったい、歌など詠んでよこさないでくれ。歌はかたきみたいなもんだ。もうこれをかぎりに別れようと思うときに歌をよこしたらいい。」といっていたので、返事に、

くずれよる妹背の山のなかなれば
 さらによしのの河とだに見じ

と書いてやったが、ほんとうに見もしなかったのでもあろうか、返事もなかった。
 その後、昇官して遠江の介になり、縁も切れてしまった。

The END!

ここら辺の嫌味なやりかたは、まるで自分を見ているようで、むしろ凹みます。…が、わたしだったら、きっと、もっと書くはず。うん。たぶん。

枕草子』のこういう文章を見るたびに、『枕草子』って「随筆」っていうよりは、ブログに近い文章だよなぁと思います。まあ『枕草子』がどう出回っていたかを考えれば、文学作品というよりは、ブログ的な受容のされかたをしていたのでしょうから、そういう感想を持つのもそれほど的外れではないのかもしれません。
源氏物語』だってきっとネット小説とかケータイ小説みたいな出回り方をしていたのだろうと思います。で、「紫の上」の段だけ流行しちゃったから「紫式部」なんて名前つけられちゃったりしてね。それってハンドルネームじゃん。

話がずれました。

そんなわけで、当時の恋愛の顛末をこうして見てみると、むしろ現代社会の最先端(?)をいっているようにも思えるのです。

いちおー、リコンしたんだけぉ、「妹」って呼ばれるくらい仲良かったんだよね。だけど、サイキン、なんとなくうまくいかないなーって思ってたら、ノリミツが遠くにシューショクすることになっちゃってぇ、で、なんとなく別れちゃったんだー。

…って、学生の恋愛かっ!
そしてそんな話、ブログ上にごまんとありそう!むしろ、やめてくれっ!

わたしの知り合いが、「ケータイでのメールのやりとりは、平安時代の短歌のやりとりに似ている」という英語論文を発見したそうですが、そういう話が出てくるのも、感覚的にはわかるような気がします。もし、「日本文化」的なるものがあるとしたら、むしろ、こういう恋愛やら文章やら、さまざまなものの根底にあるスタイルこそが、もしかしたら、それにあたるのかもしれません。