kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

北澤潤《リビングルーム イン ネパール》

研究の世界を問い直すプロジェクト

 アートプロジェクトの世界と研究の世界を行ったり来たりできる、というなんとも得がたい身分にある私にとって、もっとも幸せなこと。
それは、なんといっても、研究の世界にヴィヴィッドな洞察や知見をもたらしてくれる作品やプロジェクトと出会えることだと思っている。

 北澤潤さんの一連のプロジェクトは、そういう、すてきな洞察をもたらしてくれるプロジェクトのひとつ。
 エスノグラフィーの手法を用いて研究をしている多くの人々に、彼のプロジェクトを知ってもらいたい、と思っている。そして彼のプロジェクトが問いかけ直してくる、エスノグラフィーという手法の意義や課題について議論したいとも。

 
 現在進行中のプロジェクト、《リビングルーム イン ネパール》は、まさにエスノグラフィー的なプロジェクトだなぁ・・・と思う。
 《リビングルーム》は、「地域に元々ある空間と家具、物々交換のシステムを利用して町なかに開かれた『居間』をつくるプロジェクト」である。*1
 北澤さんはこれまで、北本団地(埼玉県北本市)両国本町(徳島県徳島市)と日本の複数の場所に「居間」をつくってきた。
 その「居間」をつくるプロジェクトがついに日本を飛び出して、ネパールへ行った。
 2011年7月20日から8月31日まで、ネパールのカトマンズ近郊にて、北澤さんはそこに住む人々と物々交換をしながら、「居間」を作り出そうとしている。

かなたからの「手紙」

 
 この、物々交換によって「居間」をつくる・・・という試みそのものが、社会学的に(あるいは文化人類学的に?)魅力的なプロジェクトであることはもちろんなのだが、特に今回のプロジェクトについて記事を書きたいと思ったのは、《リビングルーム イン ネパール》が、「物々交換のシステムを利用して町なかに開かれた『居間』をつくる」実践に加えて、その「『居間』をつくる」プロセスを・・・そして、その周りで生じる、日々の様々な出来事を「手紙」によって伝えるという実践が加えられているからである。



 約1週間に1通ずつ送られてくる「手紙」。
 8月末の今日。その手紙の数はついに4通目となった。


 
 「手紙」には、さまざまな「肌理」と「質感」を持つものが同封されている。
 そのさまざまな肌理と質感をもつもののすべてを「手紙」というには誤解がある。・・・もしかしたら「便り」といったほうが良いのかもしれない。
 

 ポストカード、ニュースレター、様々な大きさの写真が両面に並べられたフォト・ポスター・・・
 ・・・そして、いつも同封されている、「おみやげ」。


 「おみやげ」として同封されているものは本当にさまざまで、
 これらはもしかしたら、「居間」をつくるための物々交換のなかで、たまたまその場にあったものなのかもしれない。私と同じように「手紙」を受け取っている、他の人は、いったいどんな「おみやげ」を受け取っているのだろう・・・と、想像してみると、想像は果てしなく広がっていく。

 
 わたしが初めて受け取った「おみやげ」は・・・、いまだにそれなんなのか、どのように使うものなのかがわかっていない(笑)。

 「お香みたいなもんじゃないの?」と夫に言われて、「そうか」と思っても見るけれど、そうだとしても、もうひとつのヒモと布をしばったものはなんだろう・・・。
 いまだにその正体がわからぬまま、遠い土地の風のにおいだけを残しつつ、それらは我が家にありつづけている。

 そんな謎をかかえたまま、届いた2通目の「手紙」。
 そこに入っていたのは、緑色のクレヨンで「Somav」(?)という文字と、なにやら扇風機のような二重丸の絵が描かれたざら紙のような包み。
 それをあけて、中に入ったものを広げてみると、なんとビックリ、すてきな「おみやげ」が登場。

 「ああ、包みのざら紙に描かれていた絵はこれだったのね。」と妙に納得。
 一番目にもらった「おみやげ」の正体がいまだに謎だっただけに、もらった「おみやげ」の意味がわたしにもわかったこと・・・「うれしい!」と思えたことそのものに感動してしまう。

 遠くにいる誰かが持っていたもの・・・それが物々交換によってその場に持ち込まれ・・・それが「手紙」に同封され送られてきて・・・、そしてそれがいま、わたしのもとに届き・・・、その長い長い《贈与》のコミュニケーションの果てに、わたしがそれを「うれしい!」と思う。
 それって、本当にすてきなことだと思ってしまう。


 そんな感激の1週間後に届いた「手紙」に同封されたいた、「おみやげ」はこちら。


 ・・・なんと、スプーン!
 わたしはこれを見て、とてもビックリした。 
 突然、遠いネパールの世界が、わたし自身の意味の世界の中に違和感なく現れたような気がした。
 これはスプーンである。わたしが見ても・・・きっと、これを物々交換に持ってきたであろう人にとっても。
 いままで、とっても迂遠なコミュニケーションを感じ、それを楽しみにしていたわたしにとってこれはとても衝撃だった。もしかしたら少しガッカリしていたのかもしれない。けれど、それ以上に驚きのほうが大きかった。突然、見知らぬ世界がわたし自身の知っている世界であったことの衝撃。


 そうして迎えた今日の4通目。今度はなんだかやたら封筒が分厚い。
 開けてみるとそこに入っていたのは・・・

 「Exercise Book」と書かれた(おそらく)学校用ノートと、「Strong Cord No.30/500」と書かれた糸。
 わたしは「異世界との出会い」というところから、かなり隔たったところに来てしまったようで、今、わたしの目の前にあるのは、まぎれもなく、労働や学校など、毎日繰り返される退屈な日常である。
 これが物々交換に持ってこられたのだとしたら、それを持ってきた人の気持ちはわたしにもわかる。
 学校のノートは「勉強しよう」という気持ち、「勉強させよう」という気持ちで購入してみるのだけど、結局使い切らずにそのままになってしまうノートが1冊や2冊でてきてしまう。
 それはまったく同じことだ。こちらの世界でも、あちらの世界でも。――退屈な日常は、世界中どこにいっても、つながっている。

民族誌という「手紙」

 こうして日々、送られてくる「手紙」を受け取りながら、考えていたのは、「民族誌(エスノグラフィー)」というもの、あるいはそれを記述するという営みのことだった。

 見知らぬ土地にでかけ、そこでの出来事を記述し、伝えるという営み。
 それは、まさに、こうして日々送られてくる「手紙」を書き、さまざまな「おみやげ」とともに、誰かのもとに送るという実践に、とても近いのではないか、と思う。

 それは、民族誌(エスノグラフィー)を記述しようとするその対象が、いわば(都市社会学)のように、私たちの身の回りの社会であってもまったく同じことだ。

 そこには、わたしが送られてきている「おみやげ」に感じたように、一方で、まったくその意味がわからないよう理解不可能なモノがあるかと思えば、もう一方に、まったくわたしたちの生活と同一平面でつながっているかのようなモノもある。
 その両方がある生活のなかで、エスノグラファーは「文化」を記述し、それをかなたの世界にいるわたしたちに送ってくる。

 《リビングルーム イン ネパール》の「手紙」が、民族誌(エスノグラフィー)と異なるのは、「おみやげ」を含め、さまざまな肌理や質感をもつ様々なモノによって、雑多なものを雑多なままに、複雑なものを複雑なままに、私たちに届けることができるところだろう。
 では、民族誌(エスノグラフィー)を記述するという営みが、雑多で複雑なものをそのまま届けることができないのだとしたら、エスノグラファーはいったい何ができるのだろうか。

 この問いを、私たち研究者は考えていかなければならないような気がしている。