kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

情報リテラシー教育の谷――RPG型図書館ガイダンス・プログラム「Libardry(リバードリィ)」

全国大学国語教育学会第129回大会(西東京大会)にて、「情報リテラシー教育におけるつながる学習(Connected Learning):RPG型図書館利用ガイダンス『Libardry(リバードリィ)』の試み」というタイトルで発表を行ってきました。(プログラムPDFはこちら)。

 

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昨年度から、常磐大学ゲーミフィケーション研究会のメンバーとして開発・運営に関わってきた図書館ガイダンス・プログラム「Libardry(リバードリィ)」のデモンストレーション版(以下、DEMO版)についての実践報告です。

www.tokiwa.ac.jp

 

この「Libardry(リバードリィ)DEMO版」に参加した学生たちの意見やアイディアを受けて今年4月に開発・実施した「Libardry-0」については、茨城新聞の動画ニュースでも取り上げていただきましたので、こちらの動画をご覧いただくと、本プログラムの様子をだいたい理解していただけるかと思います。

 

 

昨日の発表の後、さまざまな方から質問やコメントをいただくことができましたが、大学関係者の皆さん(大学の教職員や学生)と、現職の小・中学校の先生方とで、本プログラムの意義についての認識が大きく異なっていたことが印象的でした。

 

端的にまとめていえば、大学関係者の皆さんからは(「Libardry (DEMO版)」「Libardry-0」のどちらについても)「これは必要なプログラムだ」「ぜひ、やってみたい」という反応。

逆に、小学校・中学校の現職教員の方からは、(おそらくその後の展開として少しご紹介した「Libardry-0」についておっしゃっていたのだと思いますが)「このような活動はすでに小学校・中学校でも行われている」「自分の学校ではすでにやってる」「子どもたちはすでにできている」という反応でした*1

「小学校の子どもたちでも日本十進分類法(NDC)は知っている。テストできるレベルで知っている」「自分の学校では、学校司書が子どもたちが図書を返却しに来た際に、NDCで返却場所を指示することで、子どもたちにNDCを理解させようとしている」・・・など、具体的なお話をいろいろ教えていただきました。

そのようなお話を、大学の初年次教育に関わっているある先生と一緒に伺いながら、ふたりで、「そうだとしたら、なぜ、あんなにNDCのことを知らない大学生たちがいるんでしょう?」と首をかしげたりしていました。

 

おそらくこの背景には、図書館利用教育および情報リテラシー教育をめぐる年代ギャップの問題はもちろんのこと、学校や地域によるギャップの問題があるように思います。

 

日本図書館協会ホームページでは、「学校図書館」について以下のように説明されています。

 学校図書館は、学校のカリキュラムを支援し豊かにすることを目的として設置さるもので、日本では「学校図書館法」により、すべての学校に図書館の設置が 義務づけられています。子どもたちが生きていくうえで必要な情報獲得能力を身につけるとともに、読書の楽しみを知る手助けをする重要な役割を担っていま す。学校図書館にはその専門的職務を担う「司書教諭」を置くこととされていますが、一定規模以下の学校には配置されていません。また、専任の職員がいない 図書館も多く、資料と子どもたちを結びつける「人」の不在が課題となっています。(「図書館について」-日本図書館協会HP

 

学校図書館」は本来、「読書の楽しみを知る手助けをする」だけでなく、「子どもたちが生きていくうえで必要な情報獲得能力を身につける」役割を担っていること。

一方で、「専任の職員がいない図書館も多く」「司書教諭」すら配置されていない学校があるなど、「『人』の不在が課題」となっていること。

 

これらのことが、このギャップが生じる原因を説明してくれているように思います。

 

学校図書館の本来の目的が「子どもたちが生きていくうえで必要な情報獲得能力を身につける」ことであるのであれば、その使命を自覚した取り組みを行おうとする学校司書・司書教諭の方が、NDCの教育に取り組もうとするのは当然のことのように思います。

一方で、その使命を自覚し取り組みを行おうとする「人」すら存在していない学校図書館がたくさんあるという実態があるわけです。

文部科学省による「学校図書館の現状に関する調査の結果について」(平成26年度)では、学校司書を配置している学校の割合は前回より増加しているものの、小学校で54.3%、中学校で53.0%であることが示されています。まだ半数近くの小中学校には学校司書に存在していないわけです。高等学校では64.5%の学校に学校司書が配置されており、小中学校より状況は良いものの、前回調査より減少している点が気になります。

 

半数近くの小学校・中学校に学校司書が配置されておらず、司書教諭や国語科の教員の努力に任せられているなかで、本や読書に関心のない子どもたちが、学校図書館・公立図書館に入る機会もほとんどないまま、「図書館での本の並び方には共通したルールがある」ということすら知らないままに、大学に入学してしまうという現状は、それほど不思議なことであるとは思えません。

 

その一方、現在では、公立図書館のほうがNDCとは異なる、「カルチャー・コンビニエンス」の論理に基づいた図書の分類を行おうとしているという実態も進行しつつあります。

www.news-postseven.com

 

わたしは、公立図書館の機能・役割はもっと自由に議論されても良いと思ってはいますが、一方でこのような現実が進行することで、子どもたちが情報リテラシーについて学習する機会のひとつが変質せざるを得ないことについても無視すべきではないのではないか、と考えます。

 

本発表終了後、ある質問者の方から、インターネットが普及した現代社会において、インターネットの情報ではなく、あえて図書館にある図書・雑誌にあたることの意義を考えるための資料として、広がる“読書ゼロ” ~日本人に何が~ - NHK クローズアップ現代をご紹介いただきました。

 

www.nhk.or.jp

 

これは、もっと議論されていくべき重要な問題だと思います。

私自身の問題としてこれからも考えていこう。そう思った学会発表でした。

 

 

*1:質疑応答の時間には、ある小学校の現職の教員の方から「自分の小学校でもやってみたいので、学校図書館で活用できる可能性を知りたい」という質問がありました。このコメントは、その質問を聞いての反応だと思います。ここからも、学校や地域によって取り組みのレベル・内容に大きな差があることが推察されます。