kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

教育情報化のための政治的・法律的環境

先日、8月末に文部科学省初等中等教育局長から、各教育委員会に向けて「教育情報化の推進に対応した教育環境の整備充実について(通知)」と題した通知が発信されました。

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本通知では、8月26日に中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会から、次期学習指導要領に向けた審議のまとめ(案)が出されたこと、本案のなかで、「ICT環境も含めた必要なインフラ環境の整備を図ることが重要である」とされていることに触れながら、その一方で、地方公共団体間の整備状況の差がますます拡大しており、このままでは教育格差が生じかねないという懸念が示されています。

 

事実、同じく8月に公開された「学校における教育の情報化の実態に関する調査:平成27年度結果概要」では、①学校におけるICTの整備状況と、②教員のICT活用指導力について、各自治体ごとの取り組みの実態が数値化して示されているのですが、概して、人口規模の小さな自治体では比較的取り組みが進んでいるのに対し、人口規模の大きな自治体では、あまり取り組みが進んでいない状況が見てとれるように思います。

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もちろん、「1人1台タブレット」「1人1台教育用コンピューター」の理想を考えれれば、小規模な自治体ほど、その実現に手が届きやすいということもあるのかもしれません。

ハード面の整備についていえば、大規模な自治体、大規模な学校ほど、児童・生徒全員をカバーしうるような教育環境の整備が難しいという現状はあるでしょう。

 

しかし、問題になっているのは、果たしてハード面だけなのでしょうか?

今回公開された速報値からは、ハード面のみならず、ソフト面の問題も見えてきているように思います。

特に、②教員のICT活用指導力に関する項目が、①と連動するような状況であることは、教育情報化の取り組みにおける格差が、単に、予算等の関係からハード面の整備が「行き届かない」という問題のみではないことを物語っているように思います。

 

その根底には、教育の情報化に関する想像力の欠如、

あるいは、想像しようとすることそのこと自体への忌避感があるように思います。

 

このことについて、今年の8月、ある高校の校内研修会で、「授業におけるICTの利活用」についてお話しした際に考えることがありました。

 

この校内研修会では、「研修会の事前準備が、一番のICT研修でした」と研究部の先生に苦笑されるほど、「あれはできますか?」「これはできますか?」と要望を言いまくりました。

 

今回の研修を担当してくださった先生方は、わたしの要望のひとつひとつを丁寧に検討してくださり、何ができて何が実現できないのかをきちんと調べ、確認してくださり…、わたしには、先生方の真摯な対応に心から感謝したものでした。


このように、わたしがフルセットで「自分がICTを活用してやってみたいこと」についての要望を伝え、さらにそれに対して先生方が真摯に対応してくださったからこそ、わかってきたことが、たくさんありました。

一番の大きな発見は、神奈川県下の学校におけるICTの使いにくさ(!)です。


もっとも驚いたのが、強すぎるフィルタリング機能


まず、生徒用だけでなく、教員用のパソコンにまでフィルタリングがかかっているということに驚きました。

そして、それ以上に、驚いたのが生徒用パソコン&タブレットのフィルタリングの強さ。

 

わたしから言わせれば、もはや授業に支障がでるレベルです!

実際に、わたしが研修会のなかでアクセスしてみたいと思ったウェブサイトのうち、Googleアンケートは一切不可。

その他、学習資源として有用だと思い紹介しようとしたサイトのうち2つにアクセスができませんでした。

そのため、研修会内で予定していたワークショップの内容を、直前になって大幅に変更せざるを得なくなりました。


個人的な推測ですが、どうも、オフィシャルでない団体や個人の制作したサイトには一切つながらないようになっているようなのです。

NHKのウェブサイトや、大学などの研究機関が政策しているアーカイブやデータベースにはアクセスすることができました。


しかし、誰もがアプリを作れるようになった現代において、個人の教育者やプログラマーなどが、ゆるやかなネットワークの中で、教育・学習にも使えそうなアプリやウェブサービスを作ることは、日常茶飯事です。

 

また、Googleフォームで制作したアンケートやテストのサイトに生徒がアクセスできないとすると、Google appsに登録しないと、Google が提供するこれらのサービスはほとんど使えないことになってしまう。

 

要するに、すべてが事前に登録しなければならず、まったく小回りがきかない。

そんな教育・学習の可能性を阻害するようなフィルタリングは、意味がないどころか、「教育情報化の推進」という意味では有害ですらあります。


せっかくハードとしてのICT機器(タブレットや教育用パソコン)が配られても、それを活用するための法や政策やきちんと整備されていなければ、それは「使えないもの」になっていくだけです。


今回公開された調査結果に見られる、神奈川県での「教育の情報化」の取り組みの進みの遅れを見て、もしかしたらその背景には、「教育の情報化」に関する政治的・法律的環境の未整備の問題が大きく横たわっているではないか、と思いました。


少なくとも、タブレットや教育用パソコンがかなり充実したその高校での研修を準備する中でわたしが直面したのは、「あれも使えない」「これも使えない」という八方ふさがりな状態でした。


私はまだ、教材研究に時間がとれる大学教員の身だからそれでもなんとか代替措置が考案できる。

しかし、時間がない中で教材研究をしなければならない先生がただったら、あれだけ「あっちもダメ」「こっちもダメ」な状態になったら、簡単に心が折れると思います。それで出てくる言葉が「ICTはつかえない!」なんだとしたら、こんなに悲しいことはありません。


きっと、ICTに精通した方に行政の担当者になっていただくというのは難しいでしょうから、せめて、デジタル・テクノロジーとインターネットを愛好していて、「これがないと生きていけない!」というレベルで、日常的にテクノロジーを使用している人たちと行政の担当者が同じテーブルを囲み、「教育の情報化」のための政治的・法律的環境の整備をどのように進めていけばよいかを、考えていっていただけないものでしょうか。

 

神奈川県に限らず、おそらく今、いろいろなところで、ICT教育の政策レベルでの問題が出てきているのではないかと思います。

パッと考えてみただけでも、フィルタリングの問題と、タブレットの持ち帰りの問題と、Google apps利用の個人情報の問題くらいは思いつきます。

 

これらの問題を、政策レベルでどのように解決していくのか。その知恵を共有しながら、洗練させていく時期はすぐそこにきている気がします。

 

今は、法レベルで何か問題になった例はまだ、見えてきていない段階です。

しかし、近い将来、いまの著作権では対応できない事例が、教育の現場からも、もっともっと出てくるでしょう。

著作権教育」も単に、いまある著作権を知りなさい、守りなさい…というレベルから、「著作権のありかたを提言する」レベルへと進化していくでしょう。


そういう政治的・法律的な環境の問題に、もっともっと焦点が当たっていくといいのではないか、とあらためて思いました。

 

教育情報化の推進の問題は、けして、ハードだけの問題ではない。

それをとりまく、法律や政策や、社会、文化などをどうしていくか、という問題でもあるのです。