kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

アイデンティティのブリコラージュ―横浜吉田中学校DSTプロジェクト

お題「最近気になったニュース」

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2017年12月19日の東京新聞に、横浜吉田中学校でのDST(Digital Story Telling)プロジェクト記事が掲載されたとのお知らせをいただきました。

www.tokyo-np.co.jp

横浜吉田中DSTプロジェクトは、横浜国立大学で学んでいる留学生や日本人学生がサポーターとなり、横浜吉田中学校に在籍する外国につながる生徒たちの語りをともに生成し、彼らのストーリーを、映像作品(=デジタル・ストーリー)にしていくプロジェクト。

このプロジェクトの作品上映会が、12月9日に、横浜吉田中学校にて開催されたのですが…

このたび、私、幸運にも、その上映会に参加することができました!*2に、共同研究メンバーとして参加しているためです。上映会は広く公開しているわけではなく、学校の関係者やプロジェクト関係者、保護者の方のみをお呼びして小さなかたちで行われているようでした。))

 

DSTについては、これまでも、メディア・リテラシー教育の観点から関心をもっていたのですが、今年度に入って、小川明子(2016)『デジタル・ストーリーテリング:声なき想いに物語を』(リベルタ出版)を読んで、あらためて、自分自身の研究的な関心との接点を見出したり、

 

環境学習と創作支援グループ「耕す人々」で、DSTプロジェクトに取り組んでいる池田佳代さんによる研修会に参加させていただき、その「市民メディア」としての可能性について考えたり…といったことがあり、

tagayasuhitobito.jimdo.com

今回の横浜吉田中DSTプロジェクトでどのような作品が制作されるのか、上映会はどのような雰囲気の中で行われるのかに、とても関心がありました。

 

そんな期待を膨らませながら、当日、横浜吉田中学校に行ってみたわけですが…

上映会は、わたしが想像していたものとは、まったく異なっていました!

 

たとえば、東京新聞の記事中には、次のような上映作品のエピソードが紹介されています。

制作した映像は二分程度。大学生と一緒にストーリーを考え、それに合った写真を探したり、新たに撮影したりした。写真はタブレット端末に取り込み、生徒がナレーションを吹き込んだ。一月に中国福建省から来日した林盛(リンセイ)さん(14)は「最近あまり連絡を取れないから」と、中国に残る友人の写真で映像を作った。「日本語は苦手。でも大学生と交流でき、楽しかった」と笑顔だった。

この記事だけ読むと、林盛(リンセイ)さんが、自分がすでに持っていた友人の写真(とそれに関連した写真)を使って、デジタル・ストーリーを構成したように読めますよね。

わたしも、実際に、そういうイメージを持っていたんです。

ストーリーの語り手がすでに持っている写真や、語り手の思い出に関するモノを新たに撮影したものを中心に、デジタルストーリーが構成されるんだろう…って。

 

でも、全然、違いました。

いや、もちろん、そういう写真も使われてはいるのですが、それと同じくらい…いやそれ以上に、ポピュラー・カルチャーや、デジタル・カルチャー系の画像が多い!!

自分の写真、友達や家族の写真にしても、写真加工アプリ「SNOW」で撮影された、加工写真だし。

toyokeizai.net

東京新聞の記事にも紹介されていた、林盛(リンセイ)さんが、離れ離れになってしまった中国の友人との"距離感"を表すために使われた画像は、Google Mapだし。

おそらく著作権に配慮してのことだと思われますが、「いらすと屋」ワークが炸裂していたものもあり、個人的にはそれも面白かったです。

matome.naver.jp

そしてもちろん、ゲームや、マンガ、アニメ、アイドル(K-POP!)などの、ポピュラー・コンテンツもたくさんあり、作品上映後のディスカッションでは、参加者たちが、自分たちの「推し」を語り合う場面も…(むろん、わたしも参戦!)

 

そんな中学生たちのデジタルストーリーの作品群を見ていると、

彼らが、今、生きている日本の横浜という場所で、自分の「好き」を見つけたり、そこから自分の立ち位置を見出したり、自分のルーツや未来とのつながりを思い描いたりしている様子が、わたしにも、なんとなく伝わってくるようで、

「わかる、わかる!EXO、サイコーだよね!」などと、ウンウンうなづいたり、大笑いしたりしながら、とても幸せな時間を過ごしました。

 

最近読んだ、『ニュースウィーク日本版』の記事「「見た目外国人」の日本人親子を苦しめる誤解 」では、日本の「単一民族神話」のなかで、受け入れられない、外国にルーツをもつ子どもの現状が報告されていました。

また、『WIRED』の「多言語の家庭で育つということ:シリーズ「ことばとアイデンティティ」]の記事では、「自分らしく生きていくための言語」という小見出しで、次のような文章がありました。

 

自分らしく生きていくための言語


国籍もばらばら、家族のかたちもばらばらの4組。どこへ行っても「どこから来たの?」と問われる彼らの心中は計りしれない。どの家族も、家庭環境に応じていちばん見合う言語を家族間の共通言語にしている。また、家族間に言語の壁を生じさせないように、意識的にバイリンガルトリリンガルになっているようだ。彼らの証言からわかることは、幼いころから「国籍」と「言語」と「アイデンティティ」を考えざるをえない状況のなかで、言語とともにコミュニケーション能力を身につけ、日本にいながらその枠にとらわれずに生きているということだ。 

 

どちらも、今年12月に入ってから発表された記事です。

そして、横浜吉田中DSTプロジェクトの記事が、東京新聞に掲載されたのも、12月19日。

 

今年に入ってから、5月に行われた全国大学国語教育学会での公開講座「インクルーシブ教育とアクティブラーニング~多言語・多文化と授業づくり~」を皮切りに、多言語・多文化と関わる機会がますます多くなりました。

12月に入ってから目にするこれらの記事は、今後、ますますこの問題が大きな問題となっていくことを予測しているような気がします。

 

*1:f:id:kimisteva:20170830143105j:plain写真は、宮城県石巻市街地にあったグラフィティ

*2:私が上映会に参加できたのは、今年度から、横浜国立大学の学内プロジェクト「外国に繋がるこども・若者との共生社会教育研究モデル『ヨコハマ−神奈川モデル』の確立に向けたネットワーク構築」事業