kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

アライでない(かもしれない)人たちとのLGBTセミナーの作り方

2018年11月14日に、わたしの勤務先の大学で、男女共同参画センター×障がい学生支援室主催「ワークライフバランスセミナー LGBT」という企画が開催されました。
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このタイトルを見ただけで、察しの良いかたは、「『ワークライフバランス』と『LGBT』???」「これは誰がどういう目的でやろうとしているものなの??」など、ある種の「違和感」や「うさんくささ」を感じられることと思います。

このバラバラな感じの意味するところは、非常に明確です。
単刀直入に言ってしまえば、「今まで、そんなこと考えたことがなかった」人たちが、これまでの枠組み(「男女共同参画」!「ワークライフバランス」!)を使って、なんとか、今、必要とされている課題に取り組もうとした結果、こんなことになってしまった、ということ。
わたしは、とにもかくにも、何か自分たちにできることを始めてみよう!と、このような「無理やり感」あふれる企画を考え実現した方々に、大いなる敬意を評します。
ゼロからパーフェクトなものを創ることを望んで、いつまでも「何もできないよね」と、外から言い続けているよりは、はるかにましだと思います。

わたしは、横浜国立大学LGBTQサークル「クーピー」の顧問をしていたこともあり、この企画が立ち上がった段階で、お声がけをいただき、セミナー当日まで、企画運営面でのご協力をしてまいりました。
twitter.com

企画が立ち上がり、お声がけいただいたのが、7月。
それから企画実施までに、4ヵ月近くの期間があったわけですが、ある日突然、「LGBTに関する啓発セミナーを開催してほしい」という話があり、何がなんだかわからぬまま、セミナーを企画運営することになってしまった(!)という担当者の方をサポートする中で、いろいろ気づいたことがありました。

このような事態は、これから先、様々な場所で起こっていくだろう、と思います。

LGBTに関する啓発セミナーをやろう」と、学校や企業などの組織が決定し、なんとなく担当すべき部署を割り当て、その担当者に、セミナーの企画を命じる。
担当者が、たまたま、LGBT-Allyであるという場合もあるかもしれませんが、おそらく、そうでないことも多いでしょう。

セクシュアル・マイノリティの当事者と”出会った”経験もなく、自分が実際に会ったときにどういう感情を抱くのかわからない…。
自分が「アライ(Ally)」(=「alliance(同盟)」を表すことばで、セクシュアル・マイノリティの人たちを支え、応援する人たち)であるかどうかわからないし、そんなこと考えたこともない。実際に当事者と会ってみたら、ホモフォビア(同性愛嫌悪)の感情が起きてしまい、アライになろうという気持ちを起こせないかもしれない…。
www.nhk.or.jp

そういう人たちが、「LGBTに関する啓発セミナー」を開催しなければならない事態が、ますます増えていくということです。

世間になんとなく蔓延するホモフォビアが、見て見ぬふりをされながら放置されたまま、社会の要請として、具体的にいえば行政的・経済的な要請として、「LGBTインクルーシブな環境」づくりが求められた結果が、こういうことなのだろう、と思います。

そのような、アライでない(かもしれない)担当者がつくることになったセミナーの企画運営をサポートすることになったわけですが、結果的に、今回のセミナーの内容な次のようなかたちになりました。

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今回のような状況で開催されるセミナーの場合、当事者に直接話をしてもらう機会を設けることは、かなりリスキーです。

担当者が、突然、ホモフォビアを発症する危険性がありますし、そうでなくても、対応の仕方がわからなくて戸惑ってしまう、フリーズしてしまうということは十分ありえます。
さらにいえば、セミナーの受講者はさらに「読めない」ので、正直、初のセミナーには、当事者を呼ばない方が良いのではないか…とすら思います。

今回は、たまたま、すばらしく理解のある学生・OBがいて、快く協力を申し出てくれたので、当事者によるライフヒストリーを語る機会を設けられましたが、そういう幸せな状況がなければ、こんな危険な状況で、見知らぬ人たち相手にカミングアウトを強制することは、来ていただく当事者にとってリスクが高すぎると思います。
セクシュアル・マイノリティ当事者がカミングアウトしなくても成り立つような教育プログラムの開発について、私たちは、もっともっと真剣に取り組まなければいけない、と、あらためて実感しました。

今回、担当者の方が、「自分には知らないことばかりでとても勉強になった」とおっしゃってくださり、セミナー当日にも利用した動画教材は、下記の2つです。

(1)総務省人権啓発ビデオ「あなたが あなたらしく生きるために 性的マイノリティと人権」(活用の手引きはこちら(PDF))

人権啓発ビデオ 「あなたが あなたらしく生きるために 性的マイノリティと人権」

(2)NPO法人Re:Bit LGBT教材 中学校向け「Ally Teacher's tool kit」より動画「【中学校版】多様な性ってなんだろう?」

【中学校版】多様な性ってなんだろう?

上記2つの動画から、中学生が体験する困難に関するエピソード(ミニドラマ)、社会人が体験する困難に関するエピソード(ミニドラマ)を総務省の人権開発ビデオから、大学生がライフヒストリーとして語る困難や周囲からの支援に関するエピソードを、Re:Bitの動画教材から抜粋してご紹介することになりました。

なお、はじめの5分間(!)だけで開設する「基礎知識」編ですが、これについては、受講者全員にテキストを配布し、詳しくはあとで読んでいただくかたちにしました。
このとき、使用したのは、新設チームC企画の皆さんが、奈良教職員組合とのコラボレーションで制作した『教職員のためのセクシュアルマイノリティ・サポートブック(第3版)』なのですが、以前は、こちらの新設チームC企画のサイトから、PDFがダウンロードできたはずなのに、今、見たらできなくなってしまっていました…!(泣)

おそらく、『教職員のためのセクシュアルマイノリティ・サポートブック』(第4版)が発行されたためと思われますが、第4版は、第3版と比べて、内容がかなり固めになった印象で、はじめて紹介する人たちに向けてのテキストとしてはちょっと伝わりにくい印象があるので、これとは別に、第3版を復活させていただきたいです…。

教職員のためのセクシュアル・マイノリティサポートブック | 奈良教職員組合

今回、テキストの中からご紹介したポイントは、以下の4つです。

(1)「性(sexuality)」の4つの軸(身体の性、心の性、社会的な性、性的指向性
(2)「性」は、4軸のグラデュエーションのどこかの領域同士をつなぎあわせて見えてくる、無限に広がる多様なものであること
(3)「カミングアウト」と「アウティング」は異なること。「カミングアウト」を受けたからといって、自分がその知った情報をだれにも言ってよいということにはならないこと。
(4)学校において直面する困難や支援のポイント(テキストを参照)

このうち、もっとも大切なのは、(2)における「アウティング」の説明だったと思います。
特に、今回のセミナーでは、当事者が自分自身のライフヒストリーを語るシーンがありましたので、ここで聞いたライフヒストリーについての話を、第三者と共有する際にも、当事者の意思を尊重する必要がある、という話をしました。
たまたま、今回お呼びしたゲストの2人のうち1人は、他者との共有がOK、もうひとりはNGというスタンスでしたので、この話についてリアリティをもって聞いていただけたのは良かったと思っています。

なお、セミナーのタイトルに「LGBT」はついていましたが、「Lは…、Gは…」みたいな説明はしませんでした。ゲストとして来てもらった当事者を、これらのカテゴリーにあてはめて紹介することもしませんでした。
個人的に、「このかたは、Tです」とか「この人は、Gです」というかたちで、カテゴリー化して紹介することは、変な「代表性」「典型性」を付与してしまう気がして、気がすすまないのです。

あとは、ふたりのゲストが、自分自身のライフヒストリーの中で、もし「自分は、『T』です」というようなことをいうようであればそれはお任せしよう、と思っていました。
ひとりの方は、ライフヒストリーの一部(カミングアウトのエピソード)の中で触れていましたが、もうひとりのゲストは不明なままだったので、受講者の方の中には、モヤッとしたかたもいたかもしれないですね。

でも、それでいいんだと思います。
カテゴリー化して理解してもらいたいわけでは、ないですからね。
グループごとに質問&ディスカッションの時間にも、それとなく、「聞きたければ、聞いてくださいね」と言ってみたのですが、どなたからもそのような質問はありませんでした。

そのような、わたしの思いを汲んでくれたのか、最後のまとめの言葉のなかで、本企画の主催にかかわる理事の方から、「Lとか、Gとか、Bとか、Tではなく、性は多様であるということ。そのことについて理解を深めていく、記念すべきはじめの日であった」というような趣旨のコメントがあり、少し、救われたような気持ちになりました。

現在、オンライン上には、LGBTインクルーシブな社会をつくるためのさまざまなリソースが存在しています。
それをいかに用い、教育プログラムを作っていくのか。
当事者にリスクを負わせることなく、性の多用性についての理解を深められるような教育プログラムを創ることは、果たしてどの程度可能なのか。

これから考えていくべきことは、まだまだたくさんありそうです。