横浜・日本大通り三塔広場とオンラインで同時開催されていた、「スナックゾウノハナinたばZ」で、KOSUGE1-16による《ようこそ Houseworks Learning Center へ》の関係者の皆さんとのトークが開催されると聞き、さらに、本プロジェクトで上映されているミュージカル映像も視聴できると知り、オンライン配信されたトークを視聴しました。
《ようこそ Houseworks Learning Center へ》は、家事(Houswork)にまつわるエピソードに基づくミュージカル映像を中心に構成されたインスタレーション作品。
先週末から展示公開された作品で、まだ展示会場には足を運べていないのだけれども、作品説明を読んだ段階で…
「これは絶対、エピソードを提供した人たち(=インタビュー協力者)の話を聞いたあとに観にいった方が、面白いやつだ!!」
…と思い、あえて、週末は自宅にこもりきりで仕事をして(単に、仕事が終わらなかっただけ、ともいう)、9月27日の夜にオンライン配信予定だったトークイベントを視聴することにしたのでした。
上記ホームページの中に記載されているように、本作では、「シャドウワーク」としての家事仕事に焦点を当てています。
イヴァン・イリイリ『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う (岩波現代文庫) 』の中で、賃金労働(ワーク)とは異なり賃金が支払われないにもかかわらず、ワークと同様に、市場経済の存続を支えつづける影なる仕事(シャドウ・ワーク)として記述される、家事仕事。
それは、人間が本来おこなってきた根源的な諸活動であるにもかかわらず、市場経済のために埋め込まれることで、単なる「無払い労働」へと変質してしまっている、と、イリイチは批判します。
ここで重要なのは、家事仕事が、たしかに現在、市場経済を支える「シャドウ・ワーク」である一方で、それが、人間の本来的な諸活動でもあるということ。
本作の紹介文による、本作では、さらに、そのシャドウ・ワークを前近代的な活動(人間の本来的な諸活動)に戻すのではなく、「少しでもポジティブな存在としてアップデート」することを企図しているというのも、とてもエキサイティングです。
そうなってくると、どういう人たちにインタビューをして、本作が創られていったのか、という点がとても気になるわけですが、そのインタビュー協力者の選ばれ方も面白かった。
KOSUGE1-16のFacebookページでの紹介では、「家事には直接関係のない専門家の皆さん」と記載されていましたが、本当にそのとおりで、一見、「なぜ、この人が?」と思う方々ばかりなのです。
株式会社鈴廣蒲鉾本店・研究開発センターで、塩辛などの商品開発に携わっている長岡敦子さん。
「極地建築家」として、南極地域観測隊や模擬火星実験など、極地での生活を経験してきた村上祐資さん。
鳥取大学医学部でイモリの心臓再生メカニズムなどを研究なさっている竹内隆先生。
数学者でトポロジーを専門として研究を行っている、青山学院大学の松田能文先生。www.agnes.aoyama.ac.jp
KOSUGE1-16のご近所さん(?)で、高知県で木造建築を中心とした建築設計やまちづくりにかかわっている艸建築工房の横畠康さん。
逆に、「どうして、この方々を集めようと思ったんですか?」と聞きたい気持ちになります。
しかし、この方々が一同に会するトークイベントのなかで、その方々による家事についてのエピソードによって構成されたミュージカル映像を視聴し、それにまつわる話を聞いてみると、それぞれの方々が、「ワーク/シャドウワーク」という枠から(完全に、自由ではないとしても)少し離れたところに、自分の軸足を置くことができる人たちであること。
そして、すこしズレた軸足の置き所から、(シャドウワークとしてではなく)ニュートラルな行為や現象としての「家事仕事」なるものを眼差されていることがわかります。
わたしが個人的に面白いと思ったのは、毎日決まった時間(午前9時30分)に、無機的にしまわれてしまう「東横イン」の「健康朝食」のシステムを、「このシステムは使える!」と家事システムに導入した村上先生のお話。
「家事=シャドウワーク」という捉えからはじまったであろう、このプロジェクトのなかで、このような語りが見出されたことは、とても、面白いことだ、と思いました。
人間の生活リズムとは無関係に、きっかり9時30分でしまわれてしまう「健康朝食」は、とても「非人間的」であると思います。でもそれを「使える!」と思い、家事に導入してみよう、とすることには、どこか、「人間くささ」「人間らしさ」のようなものを感じてしまいます。
もちろん、それを家事に機械的に導入したりすれば、それは、単に、家事をより非人間的なものにするのかもしれませんが、そうはなってない(時間が過ぎて、食事が取り下げられてしまったときのために、カップラーメンをストックしておいているらしい)というのも、すごく「人間くさい」。
カップラーメン食というのも、それだけ単独でとりあげると、ひどく無機的で非人間的のようにみえるけれども、こういう文脈のなかで、そういう無機的なもの、非人間的なものが突然、人間味を帯びてくるというのは、面白いことだなぁ、と思います。
家事仕事が、どのようなかたちで、コンヴィヴィアリティのための活動になるのかは、わからないけれど、こういうちょっとした「人間くさい」活動とか、ちょっとズレた家事仕事への見方・かかわり方のなかに、その萌芽を見出すことができるのかもしれない。そんなことを思わせるトークでした。
このトーク映像は記録として残されていて、今でもまだ視聴することができます。
コロナ禍で、リモートワークと自宅ごもりに疲弊してしまって、なんだか自分以外への不信感ばかりが募ってしまうような日々を送っているわたしのような方々にとっては、ちょっとした救いをもたらしてくれると思います。
象の鼻テラス Zou-no-hana Terrace - スナックゾウノハナ in たばZ (2020年9月27日) | Facebook
近いうちに、展示会場にも足を運ばねば!