インプロやドラマ教育関係の研究会でお知り合いになった先生(ご自身もインプロヴァイザーとして、公演の主催・出演もなさっています)からのお声がけをいただき、現在、一緒に「はじめてのTRPG(クトゥルフ第6版)プレイ体験会」シリーズ(仮称*1で遊ばせていただいております。
そもそものきっかけは、その方が、現在、輪読会か何かで、オクスフォード大学出版によるインプロ研究のハンドブック『The Oxford Handook of Critical Improvisation Studies: Volume2』を読んでいらっしゃって、その中で「TRPG」について扱った章があったこと。
The Oxford Handbook of Critical Improvisation Studies: Volume 2 | Oxford University Press
この本を目にしたことはないのですが、少し調べてみたところ、第22章「ロールプレイ、即興、創発的オーサーシップ (Role-Play, Improvisation, and Emergent Authorship
」(Celia Pearce)のところで、TRPGについての簡単な歴史の紹介があり、その中で、「ダンジョンズ&ドラゴンズ(Dangions and Dragons)」や、LARP(ライブアクション・ロールプレイング)についての説明などが紹介されているようでした。
…うーむ。今度入手して、ちゃんと読んでみなければ。
その先生からのお声がけから始まり、人と人とがつながり、3回シリーズの「はじめてのTRPG」シリーズが実現することとなりました。
具体的にはこんな感じです。
Stage1 タイマン(1人用)シナリオによる1時間程度のセッション
Stage2 ペア(2人用)シナリオによる2~3時間のセッション
Stage3 2~4人用シナリオによる5時間以上のセッション
もともとの計画だと、「Stage2」は、オフライン(対面)でのセッションを予定していたのですが、オミクロン株の猛威が拡大したことにより、急遽、オンラインセッションに変更。その結果、3回とも、オンラインでのボイスセッションのみでプレイ体験会が実施されることになりました。
2月上旬に行われた、はじめてのセッションでは、「死にたがり電車」を体験。
難易度が高くて、プレイヤー自身がなにも気付けないと、まったく意味がわからないまま死んでいくというシナリオのようなので、「せっかくクトゥルフなんだし(?)、もはや死んでやれ!」というくらいの勢いで臨んだのですが、「小さい子どもは守らなきゃ!」という思い(職業病)を炸裂させた結果、なんとか生き残りました。
…そして!
その2週間後に迎えた今回のセッションでは、ついに、はじめにお声がけくださった一緒に2人でプレイヤーとなり、ペアセッションを体験することができました。
今回選んだシナリオは、ロールプレイ重視のシナリオだったので「いったいどうなるんだろう…」と不安と緊張、そして期待でいっぱいになりながら、プレイ会当日を迎えました。
ちなみにこのときに体験したシナリオは、「稲妻のように燃えて寄せ」。
COC6版【稲妻のように燃えて寄せ】 - 左に右折 - BOOTH
このシナリオは、宮澤賢治『銀河鉄道の夜』をモチーフにしたシナリオで、2人のプレイヤーの関係は「友人、親子、恋人同士など、知り合い以上の関係を推奨」とのことで、2人で話し合って、関係性を相談したりしながら、キャラクターを決めたほうがよいのかな?と思っていたのですが、「(当日までに)それぞれキャラクターを作成してきてください」というゲームキーパー(KP)さんからの指示もあり、それぞれ別々に、キャラクターを考えてくることになりました。
こんな流れで、それぞれにキャラクターを考えてきたあとに、オンラインでのプレイ体験会という流れで、「稲妻のように燃えて寄せ」をプレイしたのですが、インプロや演劇に対しても、TRPGに対しても「初心者」であるわたしから見ると、この2つの文化の間でズレがあるなぁ!と感じる瞬間がいくつかありました。
それは、物語を駆動させる力を、どこからどのように発生させるのか、ということにかかわりそうです。
もちろん、インプロ(即興劇)もいろいろ、TRPGもいろいろなので、今回1回のセッションで感じたことを、過度に一般化して、「インプロでは~」「TRPGでは~」と一般化して語ることはできません。
「TRPG」に関しては、以前司会として登壇させていただいた「TRPG勉強会inYoutube Live」のときにも、TRPGのプレイに関わる人たちが期待する楽しみ方や価値観は、本当にさまざまなので「期待マネジメント( Expectation Manegement)]が大切だ、という話も出ていました。そのくらいさまざまな内容・レベルの期待があるということなので、ひとくくりにすることにはほとんど意味がないとすらいえます。
ですが、少なくとも、今回感じた「ズレ」を言語化しておくことは、ロールプレイ(役割演技)への参加の仕方やその楽しみ方、物語をどのようにスタートさせ展開させ終わらせていくかに関する知(方法知)の違いなどを考えていくための手がかりになりそうで、考えたことを書いておきたいと思います。
TRPGでは、(当たり前といえば、当たり前なのですが)データベースから選びだされた記号の集積によって物語が生み出されます。そして、ダイスの目によって決められた物語上の分岐や、キャラクターにさらに付与される記号が、物語を駆動していく力となります。
ですのでプレイヤーには、データベースによって生み出された記号の(積極的な)解釈によってロールプレイを展開したり、次なる物語を語ることが求められます。もちろんロールプレイがほとんど必要とされないゲームもありますし、物語を「語る」といっても、単に与えられた選択肢から選ぶだけ、という場合もあります。その濃淡はさまざまですが、ともかく、物語を駆動させるベースにあるのは、記号の解釈です。
わたしが大好きなゲームであり、世にも罪深いゲームのひとつに、名前妄想ゲーム「あなたの名前は」というのがあります。お題(例:マシンガンをうっているあの子)に対して、手持ちの漢字カードを組み合わせて、それっぽい「名前」を作るというゲームなのですが、「漢字」という文字記号の集積でしかないものから、キャラクターの人となりのようなものを読み込み、創り上げていく力と、ここで求められている物語を創り上げていく力は、かなり近いところにあると思います。
一方、インプロの場合、データベースから選びだされた記号そのものというよりも、その記号をプレイヤーが具現化したときに生み出される「何か」を、オファーとして受け入れ、次なるアクションが生み出されていく――その積み重ねによって、結果として物語が動いていく、という感じがします。
今回経験した「ズレ」のことでいうと、このシナリオが「友人、親子、恋人同士など、知り合い以上の関係を推奨」ということだったので、わたしは(おそらくKPをしてくださった方も)、プレイをご一緒してくださる先生が「恋人」ではなくとも「友人」か「親子」か、ともかく、そういう記号的にわかりやすい「関係」のあるキャラクターを考えてきてくださるものと、思い込んでいたところがありました。
しかし、わたしが先に提示した、「ミドルティーン*2の男子ピアニスト」に対して、考えてきてくださったのは、「そのピアニストが宿泊するホテルで出会った」というような出会い方を想定したホテルスタッフでした。
そのようなキャラクターを聞いたとき、わたしは、「ああ、きっと、この方にとって、「関係性」というのは、そういうものではなかったのかな」と思いました。インプロヴァイザーとしての経験が長く、ご自身でインプロ公演を主催もされるようなその先生にとって、「親子」「友人」といった記号が持ついくつかのステレオタイプ的なイメージの中から何かを「関係性」として選び取り、そこから、キャラクターを考える、ということが。その考え方が。
もちろんインプロでも、はじめに、観客から何か、「親子」「恋人同士」のような関係性についてのアイデアをもらってから、シーンをスタートさせることもあります。そのような公演を何回も観てきたし、自分もそういうインプロゲームのワークショップに参加したこともあるけれど、その場合、「親子」「恋人同士」はあくまで「オファー」であって、それによってキャラクターとなりえるものの範囲がある程度指示されたり、物語展開が方向づけられたり決められたりするものではない。そんな感じがします。
インプロ集団「ロクディム(6dim+)」が開発・公開しているオンラインカードゲーム「STORYTELLERS(ストーリーテラーズ)」は、1人あたりの時間が1~2分に拡張された「シェアード・ストーリー」(1人1文ずつ話しながら、ストーリーをつないでいって、みんなで物語を創るゲーム)のようなゲーム。
ストテラ|STORYTELLERS:ストーリーテラーズ|アナログ・オンライン・カードゲーム
プレイヤーは、1~2分間の話を終えるまでの間のどこか任意のタイミングで、カードでランダムに示される「言葉・ひとこと」を言うことが求められますが、そのタイミングは、自分自身で決められます。
このとき、「言葉・ひとこと」には、たしかに物語を推進させる力があります。が、それは、けして、物語の向かうべき方向性を示唆するというような方向ではなく、どちらかというと、物語がまとまりかけたときに、予想外の要素を飛び込ませることによって、次に進めていけるような、そういう推進力であるように思います。
そういう意味では、物語の推進力は、予想外の出来事、思いもかけなかった出来事の方にあり、記号を重ね、その記号のかさなりを解釈することによって方向性が見えてきて、まとまっていくことによって物語全体のラインが見えてくる…という方向性とは、「面白さ」「楽しみ」の見出し方が違ってきます。
もちろん、前述したTRPGにおける「期待マネジメント」の話にもあるように、TRPGのゲームプレイにかかわる人たちがそれぞれのセッションにかける期待は、さまざまなので(だからこそ「期待マネジメント」を行う必要がある)、もしかしたら、サイコロの目に託された予想外の展開に新たな着想を得て、はじめには誰も考えていなかったような物語が展開されることを楽しむ、というセッションもあるのかもしれません。
ですが、ゲームマスターを必要としない『フィアスコ』や『ダイアレクト』でも、その終末はあらかじめある程度決められている(『フィアスコ』であれば「大惨事」、『ダイアレクト』であれば、特定の言語とそれを支えるコミュニティの崩壊・終焉)ことを考えると、やはり、方向性が決まっていること、や、プレイにかかわるみんなに共有されていることは、欠かせないよう気がするのです。それがプレイヤーたちの「楽しみ」を支えている。
予想外の展開を楽しむとしても、その楽しみ方の中心には、(サイコロの目とプレイヤー同士の会話の中で)記号が重なっていくことによって、少しずつキャラクターや関係性、そして、キャラクターたちが生きている「世界」が、物語のラインが、みんなの共有経験のようなかたちで実感できるレベルになっていったりして、最終的に、「私たちは、この物語の『世界』に生きたんだ!」という感じがすること。そっちのほうがこの「遊び」のなかでは大切なような気がします。(※注※ あくまで個人の感想です)
ゲームのなかで物語を創っていく活動が好きすぎて、これまでいくつかかかわってきましたが、今回、このような機会に参加できて、少し、自分の考えを言語化できたのは、本当によかったです。
次のセッション(Stage3)は、3月下旬に開催予定です。
今度は、キャラクター作成のところから一緒に話し合いながら行うことができるようなので、そこでどんなことが起きるのか、自分がどういう体験をし、何を感じるのか、とても楽しみです。
今回のシリーズをすべて終えたら、どこかで、このプレイ体験の場を作ってくださった先生にも、ぜひ「インプロ」と「TRPG」についてお話しをお聞きしたいなぁ。