「フレンドホーム」に登録し、ついに来月あたりから、少しなにか活動できそうかな?という段階まできました。
こども未来横浜のページでは「フレンドホーム」について「児童養護施設で生活している、親や親族の面会の少ない子ども達を、 夏休み・お正月などに迎え入れる横浜市独自の制度です」と記載されています。「横浜市独自の精度です」とありますがが、他の自治体でも「週末里親」「季節里親」などいろいろな名前で、同様の制度があるようです。
いわゆる「里親制度」に定められた「里親」になる場合、1年程度の研修があったりしたのち、地方自治体の長による「里親」認定を受ける必要があるようなののですが(「里親について」-こども未来横浜)、「フレンドホーム」の場合は「登録」のみなので、管轄の児童相談所に連絡をして、「フレンドホーム」登録希望の申請をし、その申請が通れば「登録」となります。
…と、このように書くと簡単そうなのですが、けっこう時間はかかるし、何回も説明やヒアリングがあるんだなぁ、という印象でした。
ちなみに、わたしの場合はこんな感じ。
1月初旬 「フレンドホーム」についての説明/「フレンドホーム」申請希望に関するヒアリング
1月中旬 「フレンドホーム」希望申請用紙提出
4月上旬 家庭訪問/仕事や生活の状況、ライフヒストリー、「フレンドホーム」活動イメージに対するヒアリング
5月中旬 「フレンドホーム」登録が認められたことの連絡(電話連絡)
5月下旬 「フレンドホーム」登録書の到着(書面郵送)
6月下旬 「フレンドホーム」受け入れ希望施設・子どもについての説明(→即日決定)
そんなわけで、半年間くらい時間があったこともあり、その間に、「フレンドホーム(週末里親・季節里親)」や、社会的養護全体について、いろいろ調べたりしていました。
そして、知れば知るほど、社会的養護をめぐる現在の課題が、わたしが当初思っていたものとは違ったフェーズに入っていることもわかってきました。
まとまっているものとしては、TBSラジオ「荻上チキ・Session!」で5/24に放送された「児童養護施設で暮らす子どもたちの現状と支援の課題」が面白かったです。
この番組では、児童支援施設の職員の確保・定着をサポートするNPO法人チャイボラ代表・大山遥さんと、自分自身が児童養護施設の出身者でもある、ACHAプロジェクト代表の山本昌子さんがゲストとして登壇しています。児童支援施設を職員としてサポートする側と、そこで育つ子どもの側、その両側から、現在の社会的養護の課題が見えてきます。
このラジオをきっかけに、山本昌子さんを含む児童養護施設出身者の3人によるYoutube番組のプロジェクト「THREEFLAGS 希望の狼煙」のことを知り、さっそくいくつかの放送を見てみたのですけど、これも面白い。
コメント欄に、反論するようなコメントが多い「Trial02 児童養護施設ってどんなところ?」などは、そのような反論コメントが寄せられることもすべて含めて、現在の児童養護施設をめぐる実態を伝えてくれているように思います。
「THREEFLAGS」の「番外編」には「フレンドホーム(週末里親)ってなに?」をテーマとして取り上げたものもあります。
さきほど紹介したTBSラジオやこちらの動画内での山本さん(「まこ」さん)の発言をお聞きいただけるとわかるのですが、「まこ」さんにとって、施設はかなり「家庭」を感じられる場所だったようです。「Trial02 児童養護施設ってどんなところ?」への反論コメントの多さは、施設そのものの質の差や、施設と子どもの相性が合うかどうかによってそこでの経験が大きく左右されることを物語っています。
が、一方で、施設養護においても家庭的養護環境を整備することが求められるなかで、施設での育ちの経験が、「親のいない環境で育つなんて、可哀そう!」で括れないものであることは確かです。また、一方的に、「親のいない環境で育つなんて、可哀そう!」「子どもは、親元で過ごすのがいちばん幸せなのだ」という勝手な思いこみが、当事者が自分の人生を幸せなものとして意味づけたり、幸せな人生を思い描いてそれに向かって生きていくことを阻害してしまうことにものなるのでしょう。
上記で紹介した動画の中で、「まこ」さんは「フレンドホーム」が1年で終了してしまった経験を語ったあと、「でも、そういうことって、まぁ、ふつうにあるよね」というテイストで、そのエピソードをまとめており、これがとても印象的です。
「でもこれって、聞いて、『え、え、なにそれ?そんなことあんの?」って「ちょっとおかしいんじゃない?』って思う人もいると思うんですけど、でも、その場になってみないとわかんなかったりとか、意外とわたし、子どもを産んでみたら、旦那さんに女の子が仲良くするのがモヤモヤしてしまう自分がいるんですって相談も受けたりもあるんですね。
意外と、『そんなわけない』っていうことではなく、意外と特別なことではなくて、みんながなる可能性があることだって思えてもらえてたら、すごく良いことなのかなって思ってます。」(映像内3:40~4:25あたり)
ここで「まこ」さんが言っているのは、いわゆる「家族」の各メンバーに対して向ける思いに「当たり前」はないということ、そして「その場になってみないとわからない」からこそ、「特別なことではない」ということ。
これは「フレンドホーム」に限らず、おそらく、いわゆる血縁でつながった「家族」においても同様に生じることなので「特別なことではない」と、まこさんは言っているように思います。
事実、わたしがこの期間、いろいろな情報を調べたり、実際に自分で動いてみたりして感じることは、いま、施設にいる子どもたちのバックグラウンドはとても多様で、親をなんらかのかたちで失った子どもが決して、メインストリームであるとはいえないということ。むしろ、両親ともにこの世に存在してはいるけれども、なんらかの事情で家族内で生活し続けることが難しい、あるいは家族内で生活するよりも施設で生活するほうがリスクが少ない子どもたちも多いように見受けられます。
「こども家庭庁」という名称への批判のなかでも論点として出ていますが、子どもの人権、子どもの福祉という観点からみたとき、その養護の主体として(血縁のある)家族のみに焦点を当てることの無意味さ、その弊害を、いま、実感的に理解しつつあります。
幸いなことに、わたし自身が、社会的養護の片鱗にかかわれるようになったことは、本当にありがたいことで、自分自身の現場でのかかわりのなかから、社会全体で、子どもを養護していくことの意味や大切さを、もっともっと現場から、リアリティをもって、考えていければと思いました。