kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

児童書ビブリオバトル「この児童書がすごい#2~SDGs編~」を開催しました

昨年12月に開催された「科学・学術コミュニケーション編」、今年3月9日に開催された「ケアリング編」に引き続き、児童書ビブリオバトル「この児童書がすごい#2~SDGs編」を開催しました。


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昨年12月に開催された、児童書ビブリオバトル「この児童書がすごい!!~科学・学術コミュニケーション編」のアフタートークの中で、「児童書は玉石混淆。だからこそ、このようなかたちで、研究者や研究を伝える仕事に関わっているものが、批評的なコミュニケーションを行っていける場というのは大切なのではないか」というような話が出され、そのなかで「いろいろある児童書の中でも、とくに玉石混淆であるものはなんだろう?」という話になり、そこで真っ先に挙げれらたのがSDGs(持続可能な開発目標)でした。

もちろんすでに、SDGsと児童書(子どもの本)の関係については、国際連合をはじめとした公的な機関をはじめ、さまざまな組織・団体、個人が注目しています。
もっとも有名なのは、2019年3月から国際連合「SDGs Book Club」が公開している子ども向けのブックリストでしょう。

current.ndl.go.jp

2019年から国立国会図書館国際子ども図書館の「子どもの本に関するニュース」でその邦訳が紹介されるようになりました。

2020年には同じく国際子ども図書館に20周年のスペシャルコンテンツとして「SDGsと子どもの本―いま、図書館にできること」が、公開されました。昨年11月にはこのコンテンツの1つとして、「SDG Book Club」のブックリストのなかで、国際子ども図書館で所蔵されている図書のリスト(PDF)も公開されました。
民間の動きとしては、別冊太陽『絵本で学ぶSDGs』(平凡社)(2022年8月)の発刊は、かなり大きな出来事だったのではないかと思います。これらのブックリストがアクセス可能になったことによって、タイトルに「SDGs」を冠した子ども向けの書籍シリーズとは異なるかたちで、SDGsに関連する児童書(子ども向けの本)の選書が行われやすくなったのではないかと感じています。

このように、SDGsについて学ぶための児童書にかかわるコンテンツが多く提示される一方、ブックリストの形式で出されるものが多いためか、それがどのように、「SDGsを学ぶこと」「SDGsについて考え、行動すること」につながるのか、があまり明確ではないように感じています。
SDGsにかかわる問題や関連情報を知ることにつながる…というあたりまではイメージできるのですが、なんとかなく「こういうことがあるんですね。わかりました。」といって終わってしまい、その先を自分自身で考え、探求していったり、さらにアクションを起こしていったり…といったことへのつながりが見えにくい感じがするのです。

 

ビブリオバトルでは、せっかく、バトラーの皆さんに質問をしたり、ディスカッションをしたりできるので、選書に向けた思いを語り合いながら、「SDGsを知る」だけでなく「SDGsを学ぶ」とはどういうことなのか、といった点まで議論していけるのではないかと考えました。

以下、当日バトラーの皆さんが選んでくださった図書をご紹介します。

 

 1.  與那覇悦子・山本史・山田真寛『ディラブディ』

今回は、格闘系司書さん( id:henauru )の発案により、バトラー全員が「0~100」までのいずれかの数値を言い、その数値が2番目に高い人から、紹介の順番を決められるという仕組みで、紹介順を決めていきました。

わたしは2番目に決める権利を得たのですが、司会兼バトラーであったこともあり、トップバッターで本を紹介してしまって、あとは司会に徹することにいたしました。

わたしが、選んだのは、全編・与那国語で書かれた絵本『ディラブディ』です。

『ディラブディ』は、クラウドファンディングによって資金を集めることによって制作・発行された「みる・よむ・きく南の島ことば絵本」シリーズの1つ。

readyfor.jp

国立国語研究所・山田真寛先生が代表をつとめる「言語復興の港」プロジェクトの一環として作成されています。

plrminato.wixsite.com

このように、第1回「科学・学術コミュニケーション編」では、研究的視点から見出された知見を伝えるメディアとしての児童書について議論しましたが、『ディラブディ』はそのような視点から見ても面白い絵本と言えると思います。

今回、「SDGs(持続可能な開発目標)」という立場から、この絵本を紹介しようと思ったのは、この絵本が、今、まさに消滅の危機に瀕している言語「与那国語(ドゥナンムヌイ)」で書かれているからです。
平成21年に示された『Atlas of the World’s Languages in Danger(第3版)』に、与那国語は「八重山語」とならんで「重大な危機」にある言語とされています(消滅の危機にある言語・方言 | 文化庁) 今年1月に出版された『クーリエ・ジャポン』誌を見て、英国『エコノミスト』でこの問題が記事化されていることを知りました。

courrier.jp

「消滅の危機にある」言語――「持続可能な開発目標」という観点でいえば、まさに「持続可能性」が失われてしまい、いままさに消えゆこうとしている言語が、目の前にあるのに、それと無関係に「SDGs」を語ることなんてできるのだろうか、というのが、わたしの中に生じた疑問でした。

SDGs「目標11 住み続けられるまちづくりを」のなかのターゲットには、自然遺産とならんで文化遺産を保護すること(11-4)が挙げられており、「住み続けられるまちづくり」といったときに、多様な人びとを包摂するインクルーシブなまちづくりが想定されていることはわかるはずなのですが、なかなか、危機言語の話が表に出てくることはありません。

そのような意味では「SDGs」を表面的に捉えることによって見えなくなってしまうもの、もっと探求していけば当然ながら見えてくるはずの危機に気づきづらくなってしまうのではないか、ということを思いました。

以前、他のビブリオバトルで紹介した、言語学TRPG『ダイアレクト』では、日常のなかで、危機言語に向き合ったり、危機言語を救う活動を日常にとりいれるためのちょっとしたアクションを紹介しています。

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今回、わたしがやりたかったのは、そのようなアクションとしての『ディラブディ』読み聞かせです。

与那国語のネイティブではなく、絵本『ディラブディ』を一見しただけでは読みかたすらわからないわたしが、『ディラブディ』を読み聞かせする練習をしてみる、実際にオンラインの公開イベントで(一部だけでも)非ネイティブが『ディラブディ』を読み聞かせするパフォーマンスをする、ということが、危機言語に向き合うためのちょっとしたアクションになりえるのではないか、と思ったのです。
成功したかどうかはわかりませんが、ぜひ、わたしの苦闘の成果を見ていただきたいですし、これを機に、いろいろなところで、『ディラブディ』を読んでみるチャレンジが行われたら、それはちょっと素敵なことかもしれない、と思っています。

 

   2.  安東みきえ『夜叉神川』

次のバトラーである草谷緑さん(NHKエデュケーショナル)がご紹介くださったのは、安東みきえ『夜叉神川』

本書に採録されている短編の1つ『鬼が守神社」には、「昔、亡くなったおばあちゃんが教えてくれた。魂という漢字に鬼の字が入るのは、もともと人の心に鬼が棲んでいるからだと。」(『鬼が守神社』より)というフレーズが登場します。

このフレーズに象徴されるように、本書に収録される5編の短編には、すべて、私たち人間の心に潜んでいる恐ろしい「鬼」の存在が描かれるのですが、これが、わたしたちが普段出会うような、ちょっとした悪意のようなものから、ふだんは「自分とは関係ない」と思ってしまうようなマクロな社会の出来事までをもつなぐものとして描かれている点が、本書の秀逸な点なのだ、と草谷さんは語ります。

SDGs(持続可能な開発目標)」16番目の目標は「目標16 平和と公正をすべての人に」
「平和」も「公正」も、議論の余地なく「良い」とされる価値観なので、ともすると、「16 平和と公正をすべての人に」といっても、「そんなの当たり前じゃん」となりがちです。

誰も「戦争」は望まない。「不公正」な扱いをしたいわけでもない。

それでも、それにもかかわらず、「戦争」がなくならないのはなぜなのか、「不公正」な制度があらゆる地域にあるのは、なぜなのか。
そのことを考えるためには、すべての人々の心のなかにある「鬼」と向き合うところからしか始まらないのではないか。…そんなことを考えさせられました。

ビブリオバトルの後のディスカッションでは、これまで、国語教育・読書教育のなかで、「戦争を扱った物語」によって、戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えるということが行われてきたこと、物語の力がパワフルである一方で、そのパワーゆえにかえってある特定のイデオロギーのみが伝わってしまい、読み手自身が考えようとするその思考が閉じられてしまう部分もあるのではないか、といったことも議論されました。

本書のディスカッションをめぐる議論のなかで出てきた、「物語だからこそ、できることがある」という言葉が、いろいろな意味で印象に残りました。

 

 3. やなせたかし『十二の真珠(ふしぎな絵本)』

食農倫理学者である太田和彦先生(南山大学)がご紹介くださったのは、やなせたかし『十二の真珠』です。

初版は、1970年。当時はまだ「山梨シルクセンター」だった「サンリオ」の出版部から出版。そしてその後、1990年に「サンリオ」から再版され、さらに2012年に「復刊ドットコム」から再版されるという経緯をもつ奇跡の書籍。
この書籍には、『アンパンマン』の原点となるものを含め、12のショートストーリーがおさめられています。

絵本やアニメの『アンパンマン』といえば、勧善懲悪的な正義のヒーローで、「悪」=バイキンマンを倒して、民衆から称賛されるエピソードばかりが知られています。しかし、その原点にあたるショートストーリーの中に出てくる主人公は、「ヒーロー?」と「?」マークをつけたくなるような矛盾した存在。

アニメ『アンパンマン』の主人公のように、自分を犠牲にしながら、パンを配るけれども、彼が行う善なる行為は報われるわけではありません。本書のレビューを見てみると、本書に収録されているそのお話について「寂しいお話」「悲しいお話」といった文言が並びます。人々を救うために、自分ができることをと思い、自己を犠牲にしてパンを配るアンパンマン。だけどその行為はほとんど報われない。

そんな「寂しい」「悲しい」ストーリーだからこそ、本書に収録されている「アンパンマン」は、社会に対して行うアクションの持つ矛盾に気づくきっかけを与えてくれるのではないか、と太田先生は言います。

SDGs」という言葉のもとで並べられるさまざまなテキストを見ると、そこには、「これをやれば、必ず良いことがある」というキラキラした未来をイメージさせるようなキーワードやキーフレーズが並んでいます。

でも「SDGs」の一つひとつの目標やそのもとにあるミッションをクローズアップしてみてみると、その中には、矛盾や軋轢が多分に含まれている。1つの目標のために何かをしようとして、他の目標との関連を見てみると、ある目標に沿ったアクションをしようとすることが、他の目標の達成を妨害する結果になってしまうことが見えてくる。

アニメ『アンパンマン』の勧善懲悪的なストーリーの蔓延した世の中で、あらためて、「アンパンマン」の原点を読み返すことは、そういった「SDGs」の今を見直すことにもつながってくるのかもしれません。

4.  ピエルドメニコ・バッカラリオ &フェデリーコ・タッディア『世界を変えるための小さな50の革命』

大学広報の立場から「SDGs」の伝え方に日々格闘されている(であろう)山崎一希さんがご紹介くださったのは、ピエルドメニコ・バッカラリオ &フェデリーコ・タッディア『世界を変えるための小さな50の革命』

「小さな革命」という言葉を見て、つい「山崎さんらしいなぁ…」とニヤリとしてしまたことは秘密です(アーカイブ映像に残っていないことを願います)。


山崎さんが企画運営側で参加していらっしゃった放課後の学校クラブ in 浜田小学校*1について、「記録集を作るので、教育研究者の立場から何か書いてくれないか」と言わえて、わたしが思いついたタイトルがネバーランドの学校革命」だったなぁ……とか、そんなことをつい、思い出してしまいました。

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「放課後の学校クラブ」は、学校における放課後クラブ活動として、子どもたちが「自分たちの創りたい学校を思いえがき、つくる」活動で、それはその実、自分たちがふだん過ごしている「学校」という場、そこにある「あたりまえ」を見直したり、これまえとは異なる関わりのありかたを探索したり、試行してみたりする場でもありました。「学校革命」という言葉で表そうとしたのは、まさに、そんなちょっとした「革命」でした。

山崎さんが『世界を変えるための小さな50の革命』に見出したのも、そんな「小さな革命」が集積することのパワーであり、可能性であったようです。

山崎さんが、SDGsの相互連関性を強調されていたことが、とても印象的でした。目標1つ1つを単独で取り上げるのは意味がなく、すべてのゴールのつながり合いを考えながら、その中で自分自身と世界とのつながりをちょっとだけ変えていくための、ちいさな「革命」を起こしていくこと、具体的なアクションを起こしていくこと。それこそが、単なる表面的な変化ではなく、我々の世界のありかたそのものの「トランスフォーミング(transforming)」を目指そうとする「SDGs」について探求することなのだ、という山崎さんの主張は、とても納得のいくものでした。

 

ビブリオバトルのあとに行われた全体ディスカッションでは、バトラーそれぞれが選書にあたって、「SDGs」をどのように捉えたのか、「SDGsを学ぶこと」をいかに捉えたのか、という話になりました。


ともすえば、キャッチ―でポップな言葉として消費されやく、それがゆえに、本気で世界の問題について考えていきたい人たちにとっては忌避されやすい言葉になりつつあるSDGs」。

その言葉とどう向き合い、議論の場をふたたび、作り直していくことができるのか。あらためて、そんなことを考えさせられた時間でした。

児童書ビブリオバトル#2ポスター



*1:放課後の学校クラブ in 浜田小」については、2012年12月に開催された学校公開に参加したとき、ブログ記事を書いておりますので、そちらもご参照ください。

 

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