kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

むすぶ・ほどく・あみなおす~ノットワーク(knotwork)としての「39(サンキュー)アートの日」

開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ」展の関連プログラムとして開催された、「39(さんきゅー)アートの日トーク」に参加してきました。

39(さんきゅー)アートの日*1とは、アーティストの開発好明さんが、2001年3月の「パーフェクト・ワールド」展(東京・現代美術製作所)の会期中に発案し*2現代美術製作研究所ディレクターの曽我高明さんに声をかけて始動した「アートの記念日」である。

 

「39アートの日」は2002年3月の「20周年」をもって休止し、現在は行われていない。今回は、開発好明さんのこれまでの仕事の1つの「柱」としての「39アートの日」にスポットライトを当て、「39アートの日」の始動やその展開に深くかかわったゲスト陣によるトークが行われた。

ゲストとして登壇したのは、「39アートの日」生みの親のひとりともいえる、現代美術製作研究所ディレクターの曽我高明さん、英国・リバプールによる「39アートの日」地域参加を実現したジャクソン・イアン&ミナコ夫妻(Ian & Minako Jackson)(Art in Livepool )、東京・向島エリアの地域アートイベント「39アート in 向島」を始動させるとともに10年間その運営にかかわった長加誉さん(39アート in 向島)の3組4名の

はじめに、開発好明さんから「『39アートの日』とは何か?」についての説明あり、曽我さんから「39アートの日」草創期に生起していたあれやこれやのエピソードの紹介が行われた。

その後、ジャクソン夫妻より、2007年に始まった「Art in Liverpool」での「39アートの日」の展開、長さんより、2010年~2019年に向島エリアで展開された「39アート in 向島」の紹介が行われた。

「39アート in 向島」のフライヤー

「はじまり」を生み出すキーワードとしての「39アートの日」

当初、「1年間頑張ったあなた自身のために」「ARTでThank you!する」記念日企画として、2001年に始まった「39アートの日」。

それは、20年間の展開のなかで、多種多様な参加施設・団体、個人、地域(!)を巻き込み展開してきた。

2004年には、北海道で、木田金次郎美術館・小川原脩記念美術館・西村計雄記念美術館による3館連動企画が始動。埼玉県川口市による「地域参加」の動きが起き、2007年3月には英国・リバプールの「Art in Liverpool」が「39アートの日」に参加。2010年には、東京・向島の地域住民の手によって「39アート in 向島」という地域アートイベントが始動する。

ふつうの人たちが、日常の生き方の延長戦上で(それこそ、バレンタインデーにチョコを買いに行くみたいに)ギャラリーやショップにいって「アート」を(自分のために、あるいは大切な人のために買う)…というヴィジョンが、日本を超えて、海外に広まり、かなりそのヴィジョンに近いかたちの企画が、英国・リバプールで実現されていること。その一方、「39アートの日」発祥の地(?)ともいえる東京・向島では、「39アートの日」という言葉を主軸にしながら、そこに、地域の人々や、地域ゆかりのアーティストたちが集まり、自分たちが活動を生み出していったこと。

「39アートの日」という言葉そのものが、さまざまな「はじまり」の場を生み出し、それが、当初のヴィジョンをさまざまなかたちで超えていっている…というのが、面白い。

山住勝広・ユーリア・エンゲストロームノットワーキング:結び合う人間活動の創造へ』(新曜社)が発売されたのが、2008年。

2010年3月に、「39アート in 向島」が始動した当時、エンゲストロームの「野火的活動(wildfire activities)」や「ノットワーキング(kontworking; 結び目づくり活動)」という言葉に大きな影響を受けていたけれど、「39アートの日」はまさにそういう活動のひとつだったのだと、実感する。

 

アーキテクチャによる排除と「39アートの日」

今回のトークで話題になったことのひとつに、「39アートの日」の休止がある。

「39アートの日」そのものが2020年3月の「20周年」をもって活動を休止しており、「39アート in 向島」は2019年に一旦幕を閉じ、「Art in Liverpool」での「39アート」も現在は行われていない。

これらの休止はそれぞれの理由があって生じているわけだが、とくに「39アートの日」そのものの休止が生じた背景についての話が興味深かった。

もちろん、2011年3月11日・3月15日の東日本大震災とそれにともなう原発事故をめぐる出来事の影響や、それにともなって生じた開発さん自身の多忙化もあるが、もうひとつの原因として、情報環境の変化がある、ということだった。

特に、2000年代後半から2010年代にかけて生じたインターネット環境の変化によって、それまで、メールアドレスの情報を入手しさえすれば、国内外の美術館やギャラリー、アートスペースに、一斉配信メールで届けられていた「39アートの日」の情報が届けられなくなったこと、アート情報・イベント情報の主戦場が、雑誌からインターネットに移行し、雑誌広告による告知が効果を失っていってしまったこと。

紙メディアからデジタルメディアへ、Web1.0からWeb2.0への移行のなかで、「39アートの日」という、草の根的な活動がその生息する環境を失ってしまった、ということ。……これはなんと、皮肉な事態だろう、と思う。

 

スパムメール」対策のなかで生じてきた数々の排除的なアーキテクチャが、草の根的な活動をも排除している。

一方、現在のソーシャルメディアがそれに代わる、草の根的な活動の生息地になりえているかというと、それこそ、資本主義的精神に基づくアーキテクチャのなかで、「インプレゾンビ」を生み出しその対処に追われているような始末だ。

わたしたちが、草の根的な活動を生み出し、人と人との間で、即興的な結びつきが生まれ、そこで小さく新しい活動の芽が生まれ……という、10年以上前だったら、世界中のさまざまな場所で生じていたような、草の根的ノットワーキングは、もしかしたら、今、生息するための場所を失ってしまったのではないか。

 

「39アートの日」が行ってきたむすびかた、そのほどきかた、あみなおしかたのようなものから、私たちは、今、自分たちが生きている、活動のための場のことをかんがえなおすべきなのかもしれない。

*1:「Thank you @RTの日」とも。いくつかの表記形態があるらしい

*2:なお「39アートの日」のホームページにも「2001年から始まり」と記載されており、開発好明さんのプロフィールが記載されたページにも2001年「パーフェクト・ワールド」展が開催されたと記載されているので「パーフェクト・ワールド」展会期中に「39アートの日」が発案・始動したのだろうと思われるのだが、現代美術製作所の「過去のイベント」ページ
だと、「パーフェクト・ワールド」展は2000年3月に開催されたことになっていて、このあたりはよくわからない