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Literacy, Culture and contemporary learning

文字が生きていた時代のことを、思い出すために~華雪《和紙に字を植える》

第43回川端康成文学賞・第39回日本SF大賞を受賞した、円城塔の『文字渦』。

 

 

その帯には、「昔、文字は本当に生きていたのだと思わないかい?」と書かれていて、本書の新刊が、店舗の店先に並んでいる頃には、この帯の文言を見るたびに、心を打たれた。兵馬俑から発掘された三万もの漢字がいかに生み出されたかを物語る表題作を読んで居てもたってもいられなくなり、町田市民文学館ことばランドで開催されると聞いた、大日本タイプ組合×円城塔「文ッ字渦~文字の想像と創造~」にいち早く申込をした記憶も、まだ新しい。

 

なにかが道をやってくる(茨城県北サーチ)」の第2期で開催された、華雪(書家)和紙に字を植える》は、まさに、昔、文字が本当に生きていたその時代のことを思い起こしていく作業そのものだった。

 

当日、華雪さんが配布した資料の冒頭には、次のように書かれている。

 

『藝』の字の成り立ちは、ひとが若木を植える姿を象り、木を植え、奉りながら育む様子から、芸を磨く意味へと広がった

『遊』の字の成り立ちは、先祖の霊の依代としての旗を掲げ、行く、ひとの姿を象る。そこから、行く、他所へ行って交わる、という意味が加わっていった。

それぞれの字から、古代中国のひとのあり方の断片を垣間見ることができる。

古い書体を書くとき、最近わたしは、そこに、いまを生きるわたしたちに繋がるなにかを、微かにでも見出したいと思っているのかもしれないとふと気づく。

 

『藝』の字の起源と思われる3つの象形文字を見ながら、半紙を縦にしたり横にしたり、表にしたり、裏にしてみたり、はたまた筆の握り方を変えてみたり、墨の付け方を変えてみたりしながら、"紙の上に文字をかく"という行為のなかで、その漢字の起源をひたすら想像しつづける。

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「藝」の字の起こりを想像する

かく文字ごとに、筆にさわる半紙の感覚や、手と筆との関係を変えるごとに、そこにはいろいろな起こりの意味が立ち現われてくる。

最終的に、わたしの心に浮かんだのは、その若木を植えようと、人が手を添え、手をかけた途端に、若木そのものが人のエネルギーを吸い取るかのように、急速に爆発的に伸びていくような、人と木との主従関係が突然反転していくような、そんなイメージだ。

 

そんなイメージをもちながら、今度は、数多かいた文字のなかからひとつを選び、すき絵技法によって、それを紙に植えこんでいく。

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すき絵技法で、和紙に字を「植える」

 

「紙に墨でかく」という行為とは、また異なるかたちで、「藝」の起源を思う。

若木に吸い取られていったと思っていたエネルギーは、実は、巡回するように、人の中に戻っていて、そこには、若木と人との一体化したエネルギーの循環がつくりだされていたのではないか…という考えが浮かんでくる。

 

数日たって、実際に、字の「植え」られた西ノ内紙が、届く。

届いたものを見てみると、それは「植え」られた、というよりも、むしろ「生け」られたといったほうが良いのではないか、という思いがよぎる。

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文字を生ける

 もちろん、「生ける」には、「草木を植える」という意味もある。

けれど、そのもともとの意味は、もっと多様でゆるやかだ。オンラインの辞典を見るだけでも、すぐこれらの意味にたどりつける(「生ける」-デジタル大辞泉))

 

㋐命を保たせる。生き続けさせる。
「これらを―・けて媒鳥(をとり)にて取らば」〈宇津保・藤原の君〉
㋑生き返らせる。
「この馬―・けて給はらむ」〈古本説話集・五八〉
㋒魚を生かして飼う。
「(鱸(すずき)ヲ)生洲(いけす)へ―・けておきました所が」〈滑・八笑人・三〉

 

「生き返らせる」「命を保たせる」こと。

「生ける」という言葉には、命を失うこととと隣りあわせの生の姿が含まれている。

 

文字は、昔、本当に生きていたのだとして、それを、今、私たちのいる世界につなげ、ふたたび文字の命を考えてみる行為はまさに、「生ける」なのだと思う。

 

西ノ内紙になった、「藝」の文字は、その生と死の間を揺れ続けているように、わたしには見える。

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生と死のさかいをゆれる