「老い」をめぐる悲劇的なナラティブと出会いなおす―『インプロがひらく〈老い〉の創造性』
高齢者パフォーマンス集団「くるる即興劇団」を主宰されている園部友里恵さんより、「くるる即興劇団」のアクションリサーチ本『インプロがひらく〈老い〉の創造性』(新曜社)をご恵投いただきました。
「くるる即興劇団」という名前を知って、すぐに興味を持った背景には、わたし自身の「老い」や「(中途)障害」に対する接しかたの特殊さ(?)みたいなものが起因していたように思います。
「注文を間違える料理店」について知ったときも、そうだったのですが、「ああ!わたしが感じていたことを、一緒に楽しんで話してくれる人が、家族以外にもいたんだ!」という感じ。なんだか、ホッとするような、うれしいような……肩に乗っていた大きな荷物がフワーッと降りていく感覚がありました。
というのも、わたしが高校生のときに母が脳梗塞で倒れて、半身麻痺+失語症になり、それから言語のリハビリーテーションに付き添いにいったり、「失語症友の会」などの集まりに行ったりして、さまざまな失語症の方や認知症の方にお会いするなかで、その個性豊かな現れに、毎回、新鮮な驚きを感じるばかりだったのです。
母がとてつもなくポジティブで、半身麻痺になろうが失語症になろうが、私以上にアウトゴーイングな人間だった、というのも大きいのだと思います。
ようやく、まったく話せない状態から少しコミュニケーションができるようになった、ということで、看護師の方が母に「この人(私を指して)は、誰ですか?」と聞いたときに「魏志倭人伝」と答えたことは、わたしにとって、一生もののエピソードになりましたし、その後も、母が、話したり書いたりするときに起こすミステイクが、毎回、興味深くて、大学で受講していた言語心理学や言語障害論とあわせて面白くてたまらない!という感じだったのです。
一方、そんな「面白い」「興味深い」というワクワク感は共有されることもないまま時は過ぎ、そんななか2年前に、Eastside Institute のImmersion Programを受講しにいく直前、Eastside Instituteに関わるメンバーが行っている「Joy of Dementia」というワークショップの記事(ワシントンポストの記事)を紹介され、「ああ、これだ!」と思いました。
ニューヨークでのImmersion Programの最終日には、プログラムに参加しているメンバーたちと、私たち自身の「認知症」とのかかわりや経験、イメージについて対話しあう機会を得ることもでき、そのなかで、あらためて、日本・米国というローカリティを超えて、老いや認知症に対する「悲劇的なナラティブ(tragetic narrative)」が人々の基底に流れているか、ということを実感しました。
本書の「はじめに」で紹介されている、園部先生と「じーちゃん」「じいちゃん」との関わりをめぐるエピソードは、それだけでも、私にとってはとても読む価値のあるもので、それこそ、フワッと肩の荷が下りていく感じがしました。
もちろん、第5章で葛藤しながら、園部先生は、逡巡しながら、老いや認知症の「悲劇的なナラティブ」やそれを前提としたポジティブな語り(「ボケないようにしなくちゃ」)に向き合われていることについて、語られており、実態はそんなにイージーなものではありません。
きっと、園部先生ご自身が、高齢者の皆さんが「悲劇的なナラティブ」を語られれるのを目のあたりにして悩まれたり、落ち込まれたりすることもあるのだろう、と思います。
それでも、このようなかたちで、老いや認知症をめぐる「悲劇的なナラティブ」を相対化しうるような物語が生まれ、世に出されたことは、本当に素敵なこと。
ぜひここから、私たちの、老いや認知症をめぐる物語を語り直していければ、と思わせてくれる本でした。