kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

「言葉する人(languager)になるためのささやかな冒険」@東京都現代美術館 開催レポート

東京都現代美術館で7月7日まで開催中の翻訳できない、わたしの言葉」展

その関連プログラムとして、6月22日に、レクチャー+ワークショップ「言葉する人(languager)になるための、ささやかな冒険」というタイトルで、レクチャーとワークショップを混ぜ合わせたような企画を開催してきました。

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「言葉する人(languager)」

本企画のタイトルにもなっている「言葉する人(languager)」という語。

これは、2019年3月、イーストサイド・インスティチュートでのイマージョン・プログラムのなかで、私たちが出会った語のひとつ。

このプログラムのなかでキーワードとして何度か登場した「languager」という言葉は、わたしのなかでもずっとキーワードとして残り続けていて、このキーワードをテーマにしたシンポジウム「関係を紡ぐ言葉の力/言葉を紡ぐ関係の力―『言葉する人(Languager)の視点から心理療法・教育・学習を横断的にとらえなおす」*1を開催したりしてきました。

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今年(2024年)4月に、オフィーリア・ガルシアほか(2024)『トランスランゲージング・クラスルーム』(明石書店)も発売され、「言葉(language)」を動詞としてとらえるというアイデアや、さらにいえば、言葉(という活動)を行い、コミュニケーションし、だれかとともに意味をつくりあげていくという行為を達成するために、既存のさまざまな言語を使いこなし、それを専有(appropriate)しながら、つくりかえたり、創造したりしていったりする私たち人間を、「言葉する人(languager)」としてとらえていく、というアイデアは、それほど奇抜なものでもなくなってきたのではないか、と感じています。

 

滅びゆく言語のRPGロールプレイングゲーム)「ダイアレクト」

わたし自身は、現在にいたるまで、「言葉する人(languager)」としての私たち、という存在にあらためて気づかせてくれたりするワークやゲームにとても関心をもっていて、その観点からいくつかのワークやゲームを紹介してきたりしてきました。kimilab.hateblo.jp

その中のひとつが、言語の滅びをテーマにしたロールプレイングゲームの「ダイアレクト」だったわけです。

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「翻訳できない、わたしの言葉」展の担当キュレーター・八巻香澄さんは、ポッドキャスト番組「そろそろ美術の話を」#109の「関連プログラム紹介」(40:40~)のところで、「ダイアレクト」について語られている部分をお聞きいただければなんとなく察していただけるとおり、かなりのゲーム好き!*2


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わたし自身も、美術館で「ダイアレクト」を紹介する機会をいただけるということであれば、このゲームが、言語が生まれ滅ぶことに対して、ある種のシリアスさをもって、プレイヤーにかけがえのない経験を生み出す装置であること、それが、ゲームプレイそのものを楽しむことと矛盾せず、重なり合っているところに、このゲームの価値があることを伝えたい、という思いがありました。

 

企画展会場での「ダイアレクト」プレイ会~「我らの言葉は皆違う」

当初は、20~30人の規模を対象に「ダイアレクト」のプレイ会を実施する、というプランもあるにはあったのですが、「『ダイアレクト』は確実に未経験、かつ、TRPG/LARPも十中八九、未経験」と思われる20~30人規模の参加者を相手に、孤立した共同体(アイソレーション)&キャラクターづくりで1~2時間(本当にやるとしたら、たぶん、もっとかかりそう…)、プレイ時間3~4時間、企画の趣旨上、ディブリーフィングもいれる必要もあるから合計6~7時間くらい(!?)…みたいなプレイ会を実施できるとは、到底思えず、速攻断念。

 

いろいろ考えた結果、レクチャー+ワークショップの企画とは別に、4月下旬に、企画展会場でプレイ会を開催し、そのプレイ動画を事前に公開したうえで、6月22日のレクチャー+ワークショップを開催するというかたちで、企画を進めることにしました。

 

事前のプレイ会にあたっては、「翻訳できない、わたしの言葉」展の企画趣旨を踏まえ、「強制的に各国から連れてこられた奴隷」たちが、自分の母語とは異なる「支配者の言語」を話しながらコミュニケーションを行っていく…という設定のバックドロップ(「ダイアレクト」におけるゲーム上の背景・物語設定)「我らの言葉は皆違う」をプレイすることにしました。

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このバックドロップでは、上記ページ内の説明にも記載されているとおり、かなりナイーブな問題を扱っています。

支配者の言語/被支配者の言語という非対称な関係を前提にしており、プレイ前は問題なくても、プレイしている途中で誰かが不快に感じるようなシーンが登場したり、侮蔑的な発言がなされる可能性がある。

そこで、今回のプレイにあたっては、まず、すでにコミュニケーションがとれている親しい人たちのなかで、「ダイアレクト」をプレイした経験があったり、「ダイアレクト」をプレイすることに関心のある人たちだけを集めて、プレイすることにしました。

さらに、当日は、「安全確保とキャリブレーション」のカードを用意し、少しでも不快な思いをしたり、「このプレイの展開にはのっていけない」と思ったときには、すぐにカードか口頭、ジェスチャーで伝えてほしいということをお願いしました。

キャリブレーションカード

「ダイアレクト」のルールブックのなかでは、このうち「X」カード(あるいはジェスチャー)の使用が促されていたので、「X」カードだけでも良かったかもしれないです。

そして結果的に、カードは使われることもなく、午前11時くらいに始まったプレイは、午後5時半(閉館ギリギリ)に終わりました。閉館までに間に合ってよかった…。

プレイ会の様子は、現在、東京都現代美術館Youtubeチャンネルでご覧いただくことができます。


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レクチャー+WS「言葉する人(languager)になるためのささやかな冒険」

6月22日のレクチャー+ワークショップについては、「翻訳できない、わたしの言葉」展を鑑賞するなかで自分が感じたことやそこから考えたことさらに、4月下旬のプレイ会での経験を踏まえて、どのような場をつくり、どのような対話を生みだしていったらよいのか、ということを検討していきました。

レクチャー+WS 各テーブルのセッティング

会場後方には「ダイアレクト」コーナーも

その結果、(1)「言葉する人(languager)」をすべてをつなぐ軸にしながら、(2)「翻訳できない、わたしの言葉」展の展示作品が挑もうとしている「何か」と、(3)「 ダイアレクト 」のプレイ経験によって生じる心の動きのようなものを結びつけながら、それぞれの人たちが、自分の言葉、自分たちの言葉と社会の言葉との関係について、考えるきっかけにしてもらうことを目指すことに。

 

「ダイアレクト」をプレイするときに感じる、「わたしたち」が生まれていっているような感覚、自分たちが創った「言葉」になんらかのかけがえなさが見出されていく感覚を、どんなに小さなかたちであれ、経験してほしい、と思い、どうしたら1時間で、「ダイアレクト」やTRPG/LARPを経験したことのない方々に、①孤立した共同体(アイソレーション)をつくり、②キャラクターをつくり、③単語をつくるというところまで達成できるのか、をかなり考えました。

その結果、自分自身の日常生活からそれほど離れないかんじで、共同体やキャラクターを考えることのできそうなバックドロップ、さらに、ふだんから「こういう言葉ってあるよね」と話題になりそうな言語現象をテーマにしたバックドロップを選ぶことに。

そのようにして選ばれたのか、「略語」をテーマにしたバックドロップ「前略、私は忙しい!」です。

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参加者の皆さんが日常的に所属したり、接したりしているコミュニティと、①孤立した共同体(アイソレーション)づくりと、②キャラクターづくりとの橋渡しをしていくために、これらの活動に入る前のアイスブレイクに、「共通点さがし」をしてもらうことにしました*3

「共通点さがし」

「共通点さがし」のあと、チームメンバーの共通点として見出されてきたことのなかかから、あるいは、「面白い」と思ったひとりのチームメンバーの属性にあわせて、「しゃべってはいけない(音声言語でコミュニケーションができない・しにくい)共同体」を考えてもらったのですが、全体でどのくらいの規模の人たちが所属しているのかわからない、互いに顔を見ることなく暗躍する泥棒集団から、授業担当先生をサプライズで驚かせたいけど授業中だからしゃべっちゃいけない高校生たちまで、いろいろな集団が生まれて、それだけですごく面白かったです。

 

もちろん、その共同体のなかで生み出される「略語」もさまざま。

声を出してはいけない(音声言語でコミュニケーションできない)理由がそれぞれなので、たとえば、泥棒集団は、誰がみてもわからなないような自分たちだけで通じる謎の暗号的な記号を編み出し、大学教員集団は(なぜか、全員ラップミュージックの専門家のようなので)共通言語である「グルーヴ」をもとにした略語をつくっていました。

この作られた略語だけでも、全員に紹介したかったのに、そんな時間すらなかったことが、惜しまれます。

さらにいえば、「ダイアレクト」のロールプレイ(会話)部分をカットせざるを得なくなるという、痛恨のミス(!)を犯す羽目になってしまい、今になってみると、そもそもレクチャー部分が不要だったのではないか?とすら思っております。

 

しかし、それでも、「ゲームプレイの場を楽しく、意義あるもの」にするために、積極的に動いてくださる参加者の方々に恵まれ、「ダイアレクト」を愛し、「ダイレクト」を普及すること努力を惜しまない熟練者(エキスパート)の皆さんのすばらしい働きに支えられたおかげで、全7チーム(21人)がそれぞれに、孤立した共同体(アイソレーション)を生み出していき、キャラクターを生み出し、それぞれの共同体における「幸せ」を意味する単語を創りあげていくことができました。

そして、さらに大切なことは、参加者の人たちが、自分たちの創り出した共同体やキャラクター、そして単語に、(それはほんのささやかなものであったかもしれませんが)愛着をもってくれたことだったと思います。

残念ながら、生み出された単語を使って、会話(ロールプレイ)をするところまではいかなかったけれど、単語を生み出すプロセスのなかで、「みんながそれぞれバラバラな方向でしか活動していないから、この『幸せ』は、すごくみんなに大切なものなんです」と説明してくださったり、「みんなが一体となったときの『幸せ』感だけど、それに対してうざいと思っているやつはいるかも」という話が出ていたりしていたこと。

そのことそれ自体が、今回、「ダイアレクト」を通じて皆さんに経験してもらいたかったことですしし、そうやって言葉について語り、考え、対話する場が創りだせたのだとしたら、この場には意義があったと、いえるのかもしれません。

 

「ダイアレクト」は、言葉の滅びをテーマにしたロールプレイングゲームですが、滅びを経験するということと、自分たちの考えた共同体、キャラクター、そして言葉に、かけがえのなさを感じたり、愛着をもったりすることと不可分であると思っています。


単語をつくり、それを「わたしたちの言葉」として愛すること。

少なくとも、今回のわずかな時間のプレイ体験で、参加者のかたにそのような経験の片鱗をしていただけたのであれば、こんなに嬉しいことはありません。

今回はご紹介できなかったので、会場前方におすすめゲームコーナーを設置

 

*1:シンポジウムの報告書は、日本認知科学会・教育環境のデザイン分科会のページで公開されており、だれでも無料でダウンロードして読むことができます(PDF)

*2:そろそろ美術の話を#91:ボッチのための展覧会「あ、共感とかじゃなくて。」点について」では、アークライトの「ウィングスパン」と「ロビンソン漂流記」を紹介されているようです。

*3:アイスブレイク・ゲームはいろいろありますが、わたしは、キャリー・ロブマンほか(2016)『インプロをすべての教室へ』に記載されているインプロ・ゲームを参照することが多いです。また、大学の授業などでアイスブレイクを行うときには京都産業大学『アイスブレイク・レシピ集』(PDF)を参考にしたりしています。今回の「共通点さがし」はよく行われるアイスブレイク・ゲームのひとつです。『アイスブレイク・レシピ集』ではより洗練されたルールのゲームが「共通点グランドスラム!」という名称で掲載されています。