3月末にオープンした、マンガ×学びの拠点「マンガピット」。
「マンガ×学び」をテーマにした初の施設ということで、とてもオープンを楽しみにしていたこともあり、4月中旬に早速、訪問してきました。
「マンガピット」の蔵書やレイアウトについて、司書みさきさんにご案内いただく、というとてもスペシャルな時間で、「マンガで学ぶとは?」「そもそも『学ぶ』とはどういうことか?」など、たくさんのことを考えたり、話したりするきっかけをいただきました。
この「マンガピット」では「これも学習マンガだ!(これが学習マンガだ!)」選出マンガはもちろんのこと、学校的学習のための学習用図書として作られたような(いわゆる)「学習マンガ」もともに配架されていて、とても面白い蔵書空間になっています。
こちらの写真では、ポプラ社のコミック版「日本の歴史」シリーズなど、いわゆる「学習マンガ」として発行されている日本史学習マンガの近くに、よしながふみ『大奥』
や、和月伸宏『るろうに剣心』が全巻設置されていることがわかります。
ここは、いわゆる「日本史」に関するマンガが並べられたゾーンですが、このようなかたちで、学校の教科名を「ジャンル」とみなした…いわば「教科ジャンル」(?)ごとにマンガが並べられているのが、とても面白い。
ふだんから学校教育に馴染みがあるわたしにとっては「教科」というものに対してもっている信念やイメージを捉え直すきっかえになりますし、一マンガ愛好家としては、自分の好きなマンガに対して新たな解釈を提示されたような感じもします。
どちらの側面から見ても面白い。
朧気な記憶をたどりながら、「マンガピット」内部の見取り図を書いてみたものがこちら!(「デジタルギャラリー」と書いたのは「E gallery」のことです)。
「国語」ゾーンでは、古典作品のコミカライズ作品のみならず、「ドラえもんの国語おもしろ攻略」シリーズなどが並んでいるところです。「国語」の場合、「ことわざ」「慣用句」「故事成語」をテーマとした学習マンガがたくさんあるのだということを知りました。
そういえば、わたしも(マンガではないですが)ことわざは五味太郎の『ことわざ絵本』シリーズで学びましたね。なつかしい。
「現代社会」~「キャリア教育」系、そして「理科(生物系が多い印象)」のゾーンをは、現実と虚構との関係がかなり多様で、つい「ここに来る人たちが、それぞれに「虚構」と「現実」とを見分けつつ、それぞれのスタイルで接合したりできるようなリテラシーが必要なのではないか」と考えてしまいます。
もちろん、「国語」ゾーンにある古典のコミカライズだって、実際の古典文学のテキストとコミカライズされたテキストとの間には距離があるし(これは、虚構同士の関係ですが)「日本史」「世界史」ゾーンにある「学習マンガ」だって、おおいに虚構性はあるわけですが、現代社会にある出来事をモチーフにし、現代の社会に関する「知」を扱ったものだと、どうしてもそこで描かれているもの、現実との距離感やアプローチの雑多な感じが気になってしまったのかもしれません。
こんな感じで、現実と虚構とのさまざまな重なりあい方について考えていったあとに、「この世ならざるもの」(怪異や神仏から、死後の世界観に関わるもの、古代に関するものまでいろいろ含まれる)コーナーを見てみると、そもそも「現実」と「虚構」とをわけて考えること自体が無意味なことなのかもしれない、とすら思えてきます。
「マンガで学ぶ」とは、いったい、どのようなことなのか。
それについて考える、ひとつの視点は、現実と虚構との多層性にあるのかもしれません。
現実と虚構との境を曖昧にしながら、それがさまざまなかたちで重なりあうなかで、わたしたちがどのような経験をするのか、を考えること。それこそがマンガ×学びを考えるときのポイントになってくるのかもしれません。