kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

プレイフルに言葉を生みだす体験を共有すること~全国大学国語教育学会2021春大会公開講座「言葉のティンカリングとことばあそび」

全国大学国語教育学会2021春大会の公開講座「言葉のティンカリングと言葉遊び」に参加してきました。

askoma.info

3時間にもわたる(!)記録動画なので、全部を視聴するのもなかなかエネルギーがいると思うけれど、Youtubeページ内にアップロードされている当日資料や、当日のワークショップの様子とそれに対するあすこま先生の感想をまとめた「あすこまっ!」ブログの記事(面白かった!詩創作のワークショップ 全国大学国語教育学会より② | あすこまっ!)を参照しつつ、早送りしながら重要なシーンをチェックしていくのがよいかもしれません。

あすこま先生の記事、「ティンカリングとはそもそも何か?」というところからはじまって、当日のワークショップで経験することができた詩教育のテクニック(「フリーライティング(Freewriting)」「マッピング(mapping)」、「おしゃべりなモノ(Object talking)」)や、ドラフトの共有とそれをめぐるディスカッションがどのような様子だったのか、まとめてくださっていて、ひたすらありがたいです……!

askoma.info

 

こんな感じで、公開講座「言葉のティンカリングと言葉遊び」がどのようなワークショップだったのかについては、すでに、かなり運営側の皆さんを中心に、情報をオープンにしてくださっているので、ここでは、わたし個人がワークショップのなかで書いたもの、創ったものを共有したいと思います。

 

わたしは、「誰かがつくった詩に対して、率直に感じたことを言って、そこでもらったコメントから新たなアイデア創発されたりするようなやりとり」が起きることを、すごくステキなことだと思っていて、もっと、こういうやりとりがいろいろなところに「飛び火」していくといいな!と思っているのですが、なんだか、それを伝えるのが難しい。

なかなか「飛び火」していかない。

だとしたら、もっと、気軽にそういうやりとりを見られるようにしたり、体験できる場を増やしたりして、「ああ、こういう感じのやりとりか!確かにステキ!」「自分もやってみたい!」って思ってもらえるようにしたらいいのかな、と思ったんです。

 

先日もたまたま参観した小学校の俳句創作の授業のなかで、子どもたちに「どうしてその表現にしたの?」「その表現の工夫を選んだ理由はなに?」と詰問していらっしゃる先生方を目にしました。日本の学校の詩創作(俳句・短歌を含む)の授業だと、あまりに周りの大人たちが、自分自身がその詩に対して思ったこと(「自分にはこう見える」「こう読める」)を伝えることを躊躇しすぎているように見えます。

子どもたちの側にも、自分の詩の良さを伝える言葉がなかったり、まだ限られた言葉しかないうちに、大人たちの側からその言葉をまったく届けることもなく、子どもたちに「どうして?」「理由は?」と聞き続けても、「なぜなら~」「その理由は~」の話型練習にはなるかもしれないけれど、「言葉の使用者でもあり、創造者でもある」という「言葉する人(Languager)」に近づけるチャンスを無駄にしてしまっている気がします。

 「言葉する人(Languager)」については2019年に日本質的心理学会での会員企画シンポジウムのテーマとしてとりあげました。こちらにアップロードされているオンライン報告書をご覧ください。
kimilab.hateblo.jp

 

そんな話を、メールで、本講座の企画者であり、共同ファシリテーターでもある中井先生にお伝えしたところ、「本当に、詩を書くこと、それを人に見せることもさることながら、人の書いた詩にコメントをすることも多くの先生方が躊躇されていることだと思います。これまであまり意識してこなかったのですが、今回のワークショップで強く思いました。」といううれしいコメントをいただけたのみならず、中井先生からいただいた、わたしの詩へのコメントも公開してよい!ということだったので、わたしの作品とともに、ここに掲載させていただきます。

 

1. フリーライティング(Freewriting)

 まずは、ひとつの単語から連想をふくらませていく「フリーライティング」

今回とりあげられた「お題」は、①「旅(journey)」と、②「奇妙(Strange)」の2つでした。

こちらが、①「旅(jounery)」という語をもとにおこなった、フリーライティング(連想される語を2~3分でとにかく書き続けていく)なのですが、わたしにとっては、かなり難しかった…。

当日、Sue Dymoke 先生にも質問したけれど、「旅」と聞いた瞬間に、(なぜか)青森県の種差海岸と新島の海岸線に沿って無限に続いていく道路の風景が、視覚的にバッと出てきてしまって、はじめのほうは、自分が見えているビジュアルのなかの要素をひとつひとつ拾い上げている感じになっております。

「これじゃ、いかん。ただ要素を拾ってるだけだ」と思って、他のイメージを連想しようとするんだけど、結局、場所が移動して行ったりきたりするだけ(フルーツパークからみた甲府盆地→ふたたび、新島の海岸線)になってしまい、なんだか、とにかくダメでした(笑)

次の「お題」の「奇妙(Strange)」は、もうはじめからあきらめて、映画『ダレン・シャン』のサーカスの風景(映画は駄作です)が出てきたので、そのビジュアルから思い出す単語をたくさん書きました。

f:id:kimisteva:20210608171243j:plain

Freewriting1 "Journey"

f:id:kimisteva:20210608171224j:plain

Freewriting2 "Strange"

 

2. マッピング(mapping)

そして、次に行ったのは、「自分にとってのはじめての『旅』」をテーマにした「マッピング(mapping)」。

マッピング」という名のとおり、地図のイラストを描いていきます。

f:id:kimisteva:20210608171118j:plain

Mapping "My first journey"

この「マッピング」をしたあとに、3人でそれを共有しあう活動があったのですが、このマップへの質問やそれをめぐるやりとりのなかで、「秘密」(右上)「自分だけの秘密の場所」(左中央)というキーワードが出てきました。

さらに、自分のなかで面白かったのは、他のメンバーがつくった詩から創発されるイメージがあったこと。

家族でのキャンプの体験について詩を書いていたメンバーが、地図のなかに「まむし」と書いていて、自分のなかではその「まむし」の存在がすごく怖かったのだ、と説明してくれました。

その話を聞いていて、わたしの中のイメージ・視界があしもとに降りてきて、突然、「はじめての『旅』」の視界がグッとクリアになった感じがありました。そのときに自分の視界のなかに見えてきたのが「ヘビイチゴ」で、その見えてきた色があまりにも鮮やかだったので、わざわざ赤いペンで「ヘビイチゴ」に〇をつけて、さらにイラストも赤く色づけています(左上)。

 

3. ドラフト(draft)と共有

その後、「ドラフトを書いてください」という指示があって、書いてみた「ドラフト」がこちら。

f:id:kimisteva:20210608171206j:plain

Draft "my first journey"

今だから白状しますが、実は、ドラフトはこんな感じで2ページにわたって書いていたのですが、3人での共有のときに音読をしていたら「その先には 何があるの?」で読み終わりたくなっちゃって、右側のページのものを削除しました。

 

最終的にできた(提出した)作品がこちら。

 

ヘビの道にあるへびいちご
酸っぱいかもしれないへびいちご

そこは秘密の場所
私だけの秘密の場所

ヘビの道にある私だけの場所

交換日記と手紙
かくれんぼとシーソー
飴玉とチョコレート

ヘビの道の先にあるミニボート
乗れるかもしれないミニボート
用水路の先には真っ暗なトンネルがある

その先には何があるの?

 

この詩について、英訳をつけて、中井先生にお送りしたところ、こんなコメントをいただきました。

 

ワークショップの中でも「イメージが先行して浮かんできた」というコメントをしてくださっていたと思います。

ヘビイチゴの詩を読んでいると、同じく私の頭の中でヘビイチゴがなっているちょっとした小径の映像が浮かんできました
小さい頃住んでいた田舎(とっても山奥)にまさにそのような場所があったのとリンクしているのかもしれません。
その映像と、小さい女の子がこの詩を朗読しているような、まるで映画の冒頭シーンのようなイメージです
これから物語が始まりそうな最後の行もそのように思わせてくれるのかもしれません。

 

短時間で作っただけのこれだけの詩から、こんなにいろいろなアイデアを感じ取ってくださっている。さらに、「自分にとって、それがどう見えるか」についてかなり精密に言葉を選びとり、その言葉を、詩の創り手に投げかけてくださっている。

それが、(未熟な)詩の創り手にとっては、本当に、有難いことなのだ、と身をもって実感した瞬間でした。

幸いなことに、わたしは今回の講座で、他者の詩のなかにあるアイデアを感じ取り、色とりどりの言葉でそれを返してくださるメンバーに囲まれながら、詩創作の体験をすることができたので、こんな経験をなんども味わうことができました。

 

すべての大人たちが、詩の創り手にならんとする子どもたちの詩の前に対峙し、そこに流れるアイデアを掬い取り、これだけクリアカットな言葉で届けられたら…と思わずにはいられません。さらにいえば、それがマッピングやドラフトの共有における、子どもたちのやりとりのなかで起きるとしたら…と思うと、本当にワクワクします。

 

4. 「おしゃべりなモノ(Object Talking)

最後に、もうひとつのおこなった、ある「モノ」になったつもりで語ることによって詩をつくる、という活動のなかで創った詩も共有します。

 

忙しい交差点にある信号機(A traffic light in a very busy pedestrain crossing)

 

喧噪ってなんだろう
そんな言葉の意味すら忘れてしまった
もはやとても静かだ

目の前を通り過ぎる景色は
まるで海のよう

波が寄せては
また引いていく
その繰り返し
ここはとても静かだ


繰り返される波のなか
目をつむっていると
それがまるで自分の呼吸のように思えてくる

私は呼吸する
息を吸う
息を吐く
そしてまた息を吸う

私の呼吸のなかで、この街は生きている

 

そして、これに対する中井先生のコメントは、こちら

 

もうひとつの信号機の詩は、とてもbusyな交差点なのに、いやそうだからこそ目から入ってくる情報が多量で、音が聞こえなくなってしん、としている空気を経験したような気持ちになりました。
でもその視覚情報すら閉じてしまうと、感じられるのは自分の呼吸だけになるのですね。
その第5連がとても気に入って、日本語も英語もなんども音読しました。ゆっくり。
とても素晴らしい作品をありがとうございます。

 

中井先生のコメントそのものが、とても詩的で、スーッと心のなかに入ってきます。

 

どうしたら、こんなに麗しいやりとりを、いろいろなところに、広げていけるのでしょうか。