BBC(英国放送協会)フィルムズ他製作・ロネ・シェルフィグ監督の『人生はシネマティック(Their Finest)』のDVD&Blu-rayレンタルが開始したというニュースを聞きつけたので、さっそくレンタルしてみてみました。
執筆経験ゼロの女性が、「ダンケルクの戦い」で力を貸した双子の姉妹のエピソードをもとに、戦意高揚のためのプロパガンダ映画の脚本を執筆することになり、役者のワガママはもちろんのこと、政府によるプロパガンダ映画(!)なので、「これは戦意喪失につながるからダメ!」とか、「米国との関係を良好にするために戦地で活躍したイケメン兵士を役者で使え!」とか、戦時中ならではの無茶難題がいろいろ出てくる…というお話。
よく考えてみると、いずれの無理難題も、戦争やそのためのプロパガンダ、というバックグラウンドを考えると、笑えないものばかりなのだけれども、それをコメディ・タッチで描ききったところが、この作品が高く評価されている理由なのだと思う。
戦時下の言論統制の中で、脚本家が政府関係者からの無理難題を附きつけられ、それに知恵で対応していく姿をコメディ・タッチで描いた作品といえば、三谷幸喜の『笑の大学』を思い出す。
『笑の大学』の場合、書かれるべき脚本は、けして、戦意高揚のためのものではないし(検閲官から、そうなるよう求められる場面はあるけれど)、基本的には、検閲官との戦いが描かれている。
一方、『人生はシネマティック!』では、はじめから「プロパガンダ映画」を製作しようとしている点が異なっており、それが、本作のもっとも面白いところだと思う。
「プロパガンダ映画」といえば、この映画の製作に関わっているBBCは、1992年12月に、3回シリーズのドキュメンタリー番組『We Have Ways of Making You Think』 (日本では、日本経済新聞社より「メディアと権力」シリーズとして発行)を制作していて、そのシリーズの第1回で、ドイツのプロパガンダ映画を取り上げていた。
その名も、『Goebbels, master of propaganda (邦題:大衆操作の天才・ゲッベルス)』。
私は、このドキュメンタリー番組は、収録されている当時の映像や、関係者へのインタビューが相当貴重なものだと思っていて、以前、「言語文化論:メディア・ことば・社会」という授業を担当していたときには、かならず、学生たちと一緒にこの映像を見ることにしていた。
このドキュメンタリー番組のすごいところは、プロパガンダ映画のために人々を楽しませるためのあらゆる技法が開発されてきたこと、そのため(映画そのものとしては)非常に精緻で完成度の高い、美しいものであるということが、ある意味での敬意をもって表現されているところだと思う。
まさに、「本当に恐ろしい大衆扇動は、娯楽の顔をしてやってくる」(『たのしいプロパガンダ』)ということ。そのことを、当時の映像とインタビュー映像を通して、淡々と描きだしているところが、個人的には、とても好きだった。
このドキュメンタリー番組を見た上で、『人生はシネマティック!』を見てみると、そこには、共通して、戦時中のプロパガンダ映像に対する敬意のようなものが見られるように思う。
事実、『人生はシネマティック!』のロネ監督は、映画に対するメッセージの中で、「…また映画産業の歴史的遺産も盛り込んでいる。敬意が伝わるといいなと思います。脚本を読んで魅了された点は登場人物やトーンだけではありません。戦争中の映画の重要性というテーマも気に入りました。映画史の中のこの短い期間には、多くの名作が撮られ、映画が大事な意義を担っていました。それがストーリーの元を流れるテーマになっています。…」(『人生はシネマティック!』監督メッセージ&メイキング写真 「映画への敬意が伝わるといい」|Real Sound|リアルサウンド 映画部)と述べている。
日本では、「プロパガンダ映画」というと、それだけで忌避されたり、「当時はこんなヘンテコな映画が作られていたのかw」というような、嘲笑の対象として扱われることの方が多いような気がする。
そういう意味では、「プロパガンダ映画」そのものに対する距離感や価値づけといったものが、日本と欧米では、異なっているのかもしれない。
「プロパガンダ映画」を制作した人びとの努力やその中で開発されてきた多くの重要な映像制作のための技法。そして一方で、それによって、大衆の心が動かされてきたという事実。
その両者を見ていこうとすることが、(クリティカルな)メディア・リテラシーの第一歩なのだとすれば、まさに、その第一歩としてみておくべき映画なのではないか。
日本のプロパガンダ映画に対しても、同様のアプローチの映画が見られると良いのだけれど。もしそのような作品があるのであれば、ぜひ観てみたい。