日本デジタルゲーム学会2026年夏季研究発表大会に参加してきた(プログラムはこちら)。
会場は、東京工科大学八王子キャンパス。
このキャンパスそれ自体が、『ドラゴンクエスト』のマップみたいに見えてしまうのは、わたしだけだろうか。

1日目には、「ゲーム×教育の現在地」(企画2)に参加。
2日目は、セッション8「ゲーム×教育1」、セッション13「ゲームアーカイブ」に参加したのち、昼食をはさんで、ライトニングセッションで発表(石田喜美・格闘系司書「司書と研究者とともに考える、ゲーム関連資料の届け方・残し方」)。その後、インタラクティブセッションと、セッション14「ゲーム・スタディーズ」に参加してきた。1日目の企画やセッションにはほとんど参加できなかったとはいえ、十分に楽しく、充実した2日間だった。非学会員であるにもかかわらず、あたたかく迎えてくださった皆さん、声をかけてくださった皆さんには、心から感謝!
本記事では、ゲームと教育に関する発表のいくつかに参加した報告と感想を記す。
教材から、授業・カリキュラムへ、そして教師教育へ
ゲーム×教育については、いくつかの発表を聞いたのだが、そのメインともいえるのが、1日目に開催された企画「ゲーム×教育の現在地―ゲーミフィケーション、ゲームフルデザイン、ゲーム学習」(企画2)。
登壇者は、「ゲームフルデザイナーLv99・きっしー」こと、岸本好弘さん(遊びと学び研究所)、明治大学のジェームズ・ヨーク(James YORK)さん、東京学芸大学の小林真也さん。
副題にあるように、本企画のテーマは、「ゲーミフィケーション(gamification)」によってゲームを教育(大学の留学生を対象とした日本語教育)に導入しようとする小林さん、「ゲームフルデザイン(gameful design)」によって教育を「夢中になるもの」へと変革しようとするきっしーさん、「ゲーミフィケーション」という語にはどちらかというとアンチの立場で、より本来的な意味での「ゲーム学習」を実現しようとするヨークさんが、それぞれの立場から、ゲーム×教育を議論するための用語・概念を議論しようとするもの。
「ゲーミフィケーション」という語が広まるなかで、「ポイント(Poiint)・バッジ(budge)・リーダーボード(Leader Bord)(略して、PBL)」さえあれば良い、というような語られ方がするなか、「ゲーミフィケーション」という語そのものが「ゲーム×教育」の議論を貧しくしているのではないか、という議論は、とてもよくわかる。
学校教育でも、「学習を楽しくするためのゲーム」として、「すごろく・トランプ・かるた」(「PBL」にならって「STK」とでも呼べばよいだろうか)にしておけばいいんでしょ!とばかりに、教科内容の「すごろく」化・「トランプ」化・「かるた」化が行われることがある。
あまりになんでもかんでも「STK」だし、さらにいえば、「教育・学習へのゲーム導入」についての話をするたびに、結果的には、「すごろく(トランプ/かるた)にすればいいんですよね?」と受け取られることもあり、この(わかりやすさに裏打ちされた)パワーの強さが、教育・学習へのゲーム導入の議論や実践の進展を阻んでいると思うことも、しばしば。
そして「PBL」が「STK」と同じくらいか、それ以上にパワフルであることはよくわかる。読書教育ではどちらかというと「PBL」のほうが力を持っていて、「読書マラソン」(リーダーズボード)や「読書スタンプラリー」は、それこそ、どこに行っても見られる取り組みだ。PBLの威力!
そんななか、登壇者の皆さんが発表した取り組みでは、単なる教材提案、単発の授業やワークを乗り越えて、カリキュラム・レベルでの提案が行われており、おそらく、このあたりは、「教育×ゲーム」の実践を開発するためのスタンダードになっていくのだろうと(なっていってほしいと)感じる。
さらに、今回の発表では、詳細な議論を聞くことができなかったのだが、小林さんが、コルトハーヘンの「ALACTモデル」*1をもとに、ゲーム×教育の議論を教師教育に接合することを提案されていたこと。
ジェームズ・ヨークさんの発表は、それ自体が、トライ&エラーを重ねながら、カリキュラムを改善していく「省察的な実践家(reflective practitioner)」としての教師の物語そのものだったし、今回の企画からさらに発展させるかたちで、教師教育への接合という議論も展開できるのではないか、と思った。
生成AIは、生徒たちのゲームづくり教育に何をもたらすのか?
2日目の「ゲームと教育」をめぐるセッション(セッション8・セッション10)やインタラクティブセッションでは、どちらも、中学生・高校生のデジタルゲーム制作に、生成AIを導入する実践の報告が行われていた。
わたしは「セッション8」の「生成AIを用いた開発ワークショップの実践と評価:言語化スキルと成果の関係に着目して」(小野憲史ほか、2026a)と、「インタラクティブセッション」の「生成AIによるゲーム開発プロセスの共通構造と経験差:プロンプト運用にみるAI活用の三層モデルの探索的検討」(小野憲史ほか、2026b)に、参加。
前者は、高校生年代の生徒たち自身が認識する「国語」「言語化」の力と、自身の制作物に対する主観的評価との相関関係を調査した結果の報告。
後者は、大学生5名とプロ5名の生成AIによるゲーム開発プロセスの違いを、生成AIとの対話ログや観察、事後インタビューによって見出そうとしたもの。
前者の発表では、「国語の授業が得意」「文章を書くのが得意」「自分の考えを言葉で説
明できる」「作りたいものを言葉で説明できる」の4項目と、自分自身が制作したゲームの主観的な「面白さ」(つまり、自分が制作したゲームの納得度?)との相関を見ているのだが、このうち、「文章を書くのが得意」と「自分に考えを言葉で説明できる」の2項目のみ、「面白さ」と有意な相関があったらしい。
「作りたいものを言葉で説明できる」の方ではなく、「自分の考えを言葉で説明できる」とのみ関係があったというのが興味深い。
後者のインタラクティブセッションの発表では、学生とプロとのプロンプト字数の差なども見ているのだけど、学生が5名とも同じじような幅の字数でプロンプトを書いているのに対し、プロのほうは、ものすごく短いプロンプトを書きながらやりとりしていくタイプの人から、非常に長いプロンプトを書く人までばらつきがある、という報告があったが、このあたりと、この結果との間の関連性を考えると面白そうだ。
またインタラクティブセッションでの発表者(小野さん)とのやりとりのなかで、プロのプロンプトのなかでは、「社会関係」(自分と相手との関係。相手(プレイヤー)の想定とそれに対してどのようにアプローチしたいか)に関わる内容があったという話も聞いた。この話などは、国語科と英語科を連携させながら生成AI時代における言語能力を育成しようとした、小水亮子・朝倉慶顕(2026)「生成AI時代に求められる言語能力の育成」(『教育デザイン研究』)とも接続できそうだ。
なにを表現するにしても、何を創作するにしても、誰かとやりとりしながら、何かを創っていく…というその言葉のスタイル、伝え方・やりとりの仕方のスタイルを自分なりに確立できていて、それを生成AIにも応用できるか否かが、重要なポイントになってくるのかもしれない。
逆にいうと、自分らしい言葉の使い方のスタイル、コミュニケーションのスタイルがあまり確立されていないうちに、生成AIとともに何かを創ろうとすると、生成AIに振り回されてしまう結果にもなりそうだ。
そして、あらためて、そういうことも含めて、「やっぱり、選択体系機能言語学(SFL)に基づく言語教育を、どこかでやっておいたほうがいいんじゃないの!?」と思った。
佐野大樹(2018)『生成AIスキルとしての言語学』をふたたび、読みなおしておこうと思う。
*1:「ALACTモデル」については、渡辺貴裕先生のノート記事を参照。ALACTモデルを形骸化させないために|渡辺 貴裕|教育方法学者





