ハングルのパーツをカタカナに読ませる題字と、予告編に心をつかまれ、映画『トロフィー 』(孫明雅監督作品)を観に行った。

本作は、是枝裕和監督 率いる映像集団「分福」に所属する孫監督の初長編映画作品。
そのことに期待をもって観に来る映画ファンと、在日四世で朝鮮学校に通う14歳の少女を描いた作品を観にきている人たちとが、同じシアターのなかで、同じ映像を観ている。そういう情景がそこにはあった。
そして、さまざまなルートを通ってここに集まった人たちが、ラストに映し出される朝鮮舞踊の舞台シーンに涙を流している。そのこと、それ自体が、わたしの心に深く染み入った。
映画『トロフィー』の予告でも、最後のほうに、朝鮮舞踊を踊る主人公ソヒの姿が映しだしているけれど、ひとりでこの予告編を観ることと、シアターで他の観客たちとともに、ラストシーンのソヒの姿を観ることは、まったく異なる。
いま、予告編を見直しながら、その「違い」をあらためて感じている。
2020年代の今、いかに「在日」を描くのか
本作についてはいくつかの記事がレビューやインタビュー記事を出しており、そのなかには、映画における在日(コリアン)について、そしての描かれ方について、異なるかたちの評価も見られて、興味深い。
たとえば、『Japan Times』のレビュー記事では、映画『かぞくのくに』と比較して、本作を「在日としてのアイデンティティの複雑さについては、あまり深く掘り下げていない(“Trophy” doesn’t dig too deeply into the complexities of Zainichi identity)」と評している。
たしかに、本作は「在日としてのアイデンティティ」の複雑さ、難しさのようなところにあえて焦点をあてず、むしろ、「在日としてのアイデンティティ」とは距離をおきながら、そいまの日本を生きる、在日四世の14歳の姿を描きだそうとしている。
本映画の前半、主人公のソヒが、日本人の友人とともに「フリマ」(ネットオークションでの販売)で、北朝鮮ルーツのCDを高値で売ったあと、「在日でよかったー」と述べるシーンがある。
この「在日でよかったー」があまりにもくったくなくて、『GO』や『パッチギ!』などの在日コリアン(を描いた)映画を観てきた世代からすると、そのあまりのくったくなさに、ちょっとびっくりしてしまう。
またほかのシーンでは、自宅で一緒に遊んでいたその日本人の友人・未来(みらい)を、家族に対して、「未来(みらい)も在日だよ。ミレ。」と、うそをつくシーンがあったりする。
ここでうそをついたことに対して、母親から「(「在日」だっていって)相手がどう思うか考えなかったの?」とたしなまれても、ソヒ自身は、そのことについてそれほど気にしない。
「在日」という言葉の重さなんて、まったく関係ないかのように現実を生きる14歳の姿が、そこにある。
異なるイデオロギーを生きる他者と、共に在ること。
そんなソヒは、父親が大切にしている勲章をネットオークションで販売してしまったことをきっかけに、「在日」や「北朝鮮」と出会っていく。
映画は、父にとっての「勲章」や、ソヒにとっての「朝鮮舞踊」が、突然、その重みを失い、好奇の目線にさらされていく瞬間を描いていく。
その描かれ方は、とても残酷で、映画中に描かれる、朝鮮学校やそこにかかわる人々のイデオロギーにはまったく共感できなくても、その残酷さだけは、(ソヒという主人公の目を通じて)しっかりと観客の心のなかに、落ちてくる。
イデオロギー的にはまったく賛同できず理解できないかったとしても、誰かが自身の人生をかけて大切にしている唯一無二のなにかが、文脈を引き離されて、交換可能な「One of them」にされてしまうこと。
その残酷さを、わたしたちは、理解できる。共感できる。
ラストシーンの朝鮮舞踊のシーンを観るという経験は、そのような意味で、特別な意味を、持っていた。
ラストシーンとして描かれる、ソヒたちの朝鮮舞踊のパフォーマンスを、静かな感動をもって見ることができる。これまでマスメディアで取り上げられる、朝鮮舞踊のイメージを超えて、ひとつの感動をもって、朝鮮舞踊のパフォーマンスを観ることができる…ということ、それ自体が、とてもかけがえのないことであるように思えた。
自分自身にとっての朝鮮舞踊に対する見え方が、シアターに来る以前の朝鮮舞踊の見え方とまったく違ったものになっていることに、ふと気づき、そのことに、驚き、感動した。
映画は人間に対して、社会に対して、いったいなにができるのか。
そのような問いに対して、本作は、ひとつの答えを与えてくれるような気がしている。
映画は、おくして、人の「見え」をかえることができる。そしてそのことによって、わたしたちの理解や共感の可能性を、ひとつ、またひとつと切り開いてくれるのだ。
そういう映画の可能性を、実感させてくれる映画だ。
まだ、本作を観ていない方には、ぜひ、映画館で、他の人たちとともに、この映画を、そのラストシーンを観る体験をしてほしい。







