kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

コンヴィヴィアリティのための家事~KOSUGE1-16《ようこそHouseworks Learning Centerへ》

横浜・日本大通り三塔広場とオンラインで同時開催されていた、「スナックゾウノハナinたばZ」で、KOSUGE1-16による《ようこそ Houseworks Learning Center へ》の関係者の皆さんとのトークが開催されると聞き、さらに、本プロジェクトで上映されているミュージカル映像も視聴できると知り、オンライン配信されたトークを視聴しました。

www.facebook.com

 

《ようこそ Houseworks Learning Center へ》は、家事(Houswork)にまつわるエピソードに基づくミュージカル映像を中心に構成されたインスタレーション作品。

先週末から展示公開された作品で、まだ展示会場には足を運べていないのだけれども、作品説明を読んだ段階で…

「これは絶対、エピソードを提供した人たち(=インタビュー協力者)の話を聞いたあとに観にいった方が、面白いやつだ!!」

…と思い、あえて、週末は自宅にこもりきりで仕事をして(単に、仕事が終わらなかっただけ、ともいう)、9月27日の夜にオンライン配信予定だったトークイベントを視聴することにしたのでした。

fsp.zounohana.jp

上記ホームページの中に記載されているように、本作では、シャドウワーク」としての家事仕事に焦点を当てています。

イヴァン・イリイリ『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う (岩波現代文庫) 』の中で、賃金労働(ワーク)とは異なり賃金が支払われないにもかかわらず、ワークと同様に、市場経済の存続を支えつづける影なる仕事(シャドウ・ワーク)として記述される、家事仕事。

それは、人間が本来おこなってきた根源的な諸活動であるにもかかわらず、市場経済のために埋め込まれることで、単なる「無払い労働」へと変質してしまっている、と、イリイチは批判します。

 

ここで重要なのは、家事仕事が、たしかに現在、市場経済を支える「シャドウ・ワーク」である一方で、それが、人間の本来的な諸活動でもあるということ。

本作の紹介文による、本作では、さらに、そのシャドウ・ワーク前近代的な活動(人間の本来的な諸活動)に戻すのではなく、「少しでもポジティブな存在としてアップデート」することを企図しているというのも、とてもエキサイティングです。

 

そうなってくると、どういう人たちにインタビューをして、本作が創られていったのか、という点がとても気になるわけですが、そのインタビュー協力者の選ばれ方も面白かった。

KOSUGE1-16のFacebookページでの紹介では、「家事には直接関係のない専門家の皆さん」と記載されていましたが、本当にそのとおりで、一見、「なぜ、この人が?」と思う方々ばかりなのです。

 

株式会社鈴廣蒲鉾本店・研究開発センターで、塩辛などの商品開発に携わっている長岡敦子さん。

news.mynavi.jp

 

「極地建築家」として、南極地域観測隊や模擬火星実験など、極地での生活を経験してきた村上祐資さん。

www.fieldnote.net

 

鳥取大学医学部でイモリの心臓再生メカニズムなどを研究なさっている竹内隆先生。

www.med.tottori-u.ac.jp

数学者でトポロジーを専門として研究を行っている、青山学院大学の松田能文先生。

www.agnes.aoyama.ac.jp

KOSUGE1-16のご近所さん(?)で、高知県で木造建築を中心とした建築設計やまちづくりにかかわっている艸建築工房の横畠康さん。

www.sou-af.jp

逆に、「どうして、この方々を集めようと思ったんですか?」と聞きたい気持ちになります。

 

しかし、この方々が一同に会するトークイベントのなかで、その方々による家事についてのエピソードによって構成されたミュージカル映像を視聴し、それにまつわる話を聞いてみると、それぞれの方々が、「ワーク/シャドウワーク」という枠から(完全に、自由ではないとしても)少し離れたところに、自分の軸足を置くことができる人たちであること。

そして、すこしズレた軸足の置き所から、(シャドウワークとしてではなく)ニュートラルな行為や現象としての「家事仕事」なるものを眼差されていることがわかります。

 

わたしが個人的に面白いと思ったのは、毎日決まった時間(午前9時30分)に、無機的にしまわれてしまう「東横イン」の「健康朝食」のシステムを、「このシステムは使える!」と家事システムに導入した村上先生のお話。

「家事=シャドウワーク」という捉えからはじまったであろう、このプロジェクトのなかで、このような語りが見出されたことは、とても、面白いことだ、と思いました。

人間の生活リズムとは無関係に、きっかり9時30分でしまわれてしまう「健康朝食」は、とても「非人間的」であると思います。でもそれを「使える!」と思い、家事に導入してみよう、とすることには、どこか、「人間くささ」「人間らしさ」のようなものを感じてしまいます。

もちろん、それを家事に機械的に導入したりすれば、それは、単に、家事をより非人間的なものにするのかもしれませんが、そうはなってない(時間が過ぎて、食事が取り下げられてしまったときのために、カップラーメンをストックしておいているらしい)というのも、すごく「人間くさい」。

カップラーメン食というのも、それだけ単独でとりあげると、ひどく無機的で非人間的のようにみえるけれども、こういう文脈のなかで、そういう無機的なもの、非人間的なものが突然、人間味を帯びてくるというのは、面白いことだなぁ、と思います。

 

家事仕事が、どのようなかたちで、コンヴィヴィアリティのための活動になるのかは、わからないけれど、こういうちょっとした「人間くさい」活動とか、ちょっとズレた家事仕事への見方・かかわり方のなかに、その萌芽を見出すことができるのかもしれない。そんなことを思わせるトークでした。

このトーク映像は記録として残されていて、今でもまだ視聴することができます

コロナ禍で、リモートワークと自宅ごもりに疲弊してしまって、なんだか自分以外への不信感ばかりが募ってしまうような日々を送っているわたしのような方々にとっては、ちょっとした救いをもたらしてくれると思います。

象の鼻テラス Zou-no-hana Terrace - スナックゾウノハナ in たばZ (2020年9月27日) | Facebook

 

近いうちに、展示会場にも足を運ばねば!

ジョージ・オーウェル『動物農場』と『赤い闇』~映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』を観てきました。


ソビエト連邦がひた隠しにした歴史の闇を照らし出す衝撃作!『赤い闇』予告編


1932-1933年にウクライナで生じた、ソ連による計画的大飢饉「ホロドモール」を取材し記事として発信しようと試みた英国人記者のひたすら孤独な闘いを描いた作品です。

ウクライナ行きの列車にのるジョーンズの様子を描いた本編映像が、Youtube上で公開されていますが、このようなかたちで、飢えた人々を描くモノクロの暗いイメージの映像が非常に印象的であることは、間違いない、とは思います。


映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』本編映像<オレンジ>

 

このように、ホロドモール自体が相当ショッキングなので、予告編でも「ホロドモールを描いた作品」とか「壮絶なる記者による闘い」ばかりがクローズアップされています。

が、ホランド監督がインタビューで「今回のように実在の人物が登場する場合、私は最初から“フィクション“として作ることを心がける。つまり、外側にある説明的な要素よりも、内なる“真実”にアプローチすることがより重要だと思うから」と述べているように、映画というイマジネーションに訴える手段によって「内なる”真実”」を描きだすことに主眼が置かれている…その意味では、淡々としているとすらいえる映画でした。

www.crank-in.net

 

予告編では一切触れられていないけれど、映画全体の語りの枠組みには、ジョージ・オーウェル『動物農場』が採用されています。


早川文庫版『動物農場』に記載されている本書のあらすじを観たら、「飲んだくれの農場主」という以外の記述が、あまりにも映画でみたものそのもので、眩暈がしました。

「飲んだくれの農場主ジョーンズを追い出した動物たちは、すべての動物は平等という理想を実現した『動物農場』を設立した。守るべき戒律を定め、動物主義の実践に励んだ。農場は共和国となり、知力に優れたブタが大統領にえらばれたが、指導者である豚は手に入れた特権を徐々に拡大していき…」(ジョージ・オーウェル『動物農場 新訳版』、山形浩生訳、早川書房

 

 

鍵をかけられた「動物農場」のイメージは、徹底的な情報統制が行われた、当時のソ連の様子(映画本編では、以下のように描きだされています)と重なります。

 

しかし、上記で紹介したインタビュー記事で、ホランド監督は「腐敗したメディア、日和見的な政治家、そして無関心な社会、この3つが揃うと、また恐ろしい歴史が繰り返される」と述べていますが、これはけして、過去のことではない。

今、まさに起きていることと、重なることばかりで、だからこそ、この映画は、怖いののだと思います。

大学内イベントとしてオンライン上映会を開催する~YNUプライド2020「カランコエの花」ZOOM上映会

2020年6月10日に、横浜国立大学・長谷部学長(学長でもあり、ダイバーシティ戦略推進本部長でもある)が「プライド月間 学長メッセージ」(PDF)を公開しました。

「6月は、LGBTQIA等、性的少数者の人権を尊重し、社会の中の多様性を考えるプライド月間です」という文言から始まり、「アンコンシャス・バイアス」の問題が広く存在することへの認識を示したメッセージです。

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「プライド月間学長メッセージ」

この「プライド月間 学長メッセージ」の公開にともない、ダイバーシティ戦略推進本部のある先生から、ぜひ「プライド月間(=6月)」に、本学の取り組みの第一歩となるようなイベントを開催したい、という相談を受けました。

とはいえ、世の中は、新型コロナウイルス感染予防のため「三密」回避が求められている状況。横浜国立大学も、7月2日からは入構規制緩和が行われたものの、春学期中の授業はすべて遠隔講義、さらに6月中は入構規制も厳しい状況で、会議などで教職員で集まることすらほぼ不可能という状況でした。

そのため、「なにか、遠隔(オンライン)でできることを」という条件も加わり、わたしが提案したのが、オンライン映画上映会でした。

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YNUプライド2020「カランコエの花」Zoom上映会チラシ

本上映会開催されたのは、6月25日でしたが、その後、参加してくださった教職員の方などから、「どのようにオンライン映画会を開催したのか、知りたい」というご要望もいただきましたので、今回、どのような手続きや準備を行ったのか、について簡単にまとめておきたいと思います。

 

1.図書館が購入した映画DVDの上映を考える→実現せず

まず、横浜国立大学図書館で所蔵している映画DVDの上映を考えました。

横浜国立大学図書館に『ハーヴェイ・ミルク』や『ハッシュ!』のDVDが所蔵されていることを知っていたこともあり、これらを上映することができるなら、それが一番ハードルが低いと考えました。


映画『ハーヴェイ・ミルク』日本版予告編

 

今回の上映会は、教職員・学生の研修を目的に、非営利・無料で行われることは決まっていたため、著作権法第38条(営利を目的としない上演等)第1項が適用可能なのではないか、と考えたのです。

図書館が購入した映画ビデオの上映会を図書館の会議室で開催するには、権利者の許諾が必要でしょうか。 | Copyright Q&A 著作権なるほど質問箱

著作物が自由に使える場合 | 文化庁

 

…が、「公表された著作物を上演・演奏・上映・口述することができる」とはあるものの、オンライン上映会は「公衆送信」に当たってしまうため、これは適用できないのではないか、ということで、実現されませんでした。

 

2.自主上映会としてのオンライン上映会の可能性を探る

そうなると、公衆送信による「自主上映会」を開催する、という条件をきちんと説明したうえで、上映をお認めいただける配給会社などを探すしかありません。

折しも、cinemo by United People「Zoomでのオンライン上映会の開催方法」をホームページ上で公開していましたので、cinemoが提供している映画であれば、比較的、オンライン上映会開催へのハードルも低くできそうだ、と思いました。

「Zoomでオンライン上映会」開催方法|cinemo

…というわけで、次に候補にあがったのが、『ジェンダー・マリアージュ』。

www.cinemo.info

その他、UPLINKの「自主上映のご案内」を見たり、合同会社東風のサイトを見たり、いろいろとリサーチはしました。

今回は実現できなかったけど、東風では『恋とボルバキア』が提供されていることがわかったので、ぜったいいつか、上映会を実現したい…!という思いが高まりました。 

kimilab.hateblo.jp

そのようなかたちで、いくつか候補を挙げ、主催者である部局の先生方にお伺いしたところ、今回は、学校を舞台にした作品である『カランコエの花』を上映したい、というお話になり、『カランコエの花』を上映することに。

 

kimilab.hateblo.jp

 

3.「カランコエの花」HPから上映の連絡をとる

カランコエの花』は、トップページのいちばん最後に「お問い合わせフォーム」があり、そこに親切にもわざわざ…

「映画「カランコエの花」に関するお問い合わせフォームです。劇場での上映の他、学校・企業・自治体などの非劇場での上映も承っております。

…と記載されていたので、安心して連絡をとることができました。

「お問合せ内容」の「上映について」にチェックをしてら連絡をとると、すぐに、上映に関するご案内をいただくことができます。*1

 

4.オンライン上映会開催に向けて(マニュアル・参加登録)


このとき、「オンライン上映会をどのようなかたちで実施するのか」、参加者数のカウントや、参加者以外が上映作品を閲覧していないということの確認方法について尋ねられたため、このときは、cinemoがオンライン上で公開している『Zoomオンライン上映会開催マニュアル』(PDF)にしたがう」という回答をしました。

 

★ 『Zoomオンライン上映会開催マニュアル』(PDF)

 

ただし、このマニュアルでは、「人数カウントのため「登録」を「必須」に」という方法が推奨されているのですが、横浜国立大学でのZoom利用におけるセキュリティポリシーの中で、「Zoom利用時、(個人情報保護のため)学生には、氏名表示をさせない」というルールがあったため、このルールを適用しての開催はできない、ということが判明。

そのため、以下のように事前参加登録を行うかたちで、参加者を確認することにしました。

 

(1) 参加希望者(教職員・学生とも)に、上映会開催日前日までに、オンライン・フォームから参加登録を行ってもらう(大学公式メールアドレスからのみ参加申込可とし、氏名・連絡先メールアドレス等を記載)

(2) 上映会当日午前中までに、「参加者ID」を配布

(3) 上映会参加時には、Zoomにサインインする際に、「氏名」欄に「参加者ID」or「参加登録氏名」を記載する

 

…なお、参加者数が30名を超えたため、ひとりひとりに「参加者ID」を記載したメールをお送りすることが難しい、ということになり、①学生のみに、1人1人「参加者ID」を付与し、1人1人にメールを送付することとし、②教職員には「参加者ID」ルール(例:「YNUpride+(採用年4桁)」)のみをお知らせすることにしました。

 

当日、これで参加登録者の確認を行っていたのですが、どうも、Zoomでの「氏名表示」の変更の仕方がわからない方がたがいらっしゃったらしく、部署名(?)で何度も「待合室」に入ってこられる方がいらっしゃいました。

オンライン上映会に限らないことだとは思いますが、事前に、以下のことをお願いしておくことは必要なことだと思います。

 

①Zoomのアプリをダウンロードすること(ウェブ・ブラウザ―からでは適正な品質で映像が見られません。かなり映像・音声が乱れるようです)

 

②Zoomを最新版にアップデートしておくこと(時間ギリギリに入ろうとしたときに限って、突然、アップデートが始まったりします

 

③不安な人には、「氏名表示」の変更、マイク・カメラOFFの設定を練習しておいてもらう

 

④有線LANに接続できる環境で参加することを、推奨する

 

5.当日の運営

当日の運営については、ほぼ、『Zoomオンライン上映会開催マニュアル』(PDF)に記載されているとおりの設定をすれば、問題なくできそうでした。

 

① ミーティング作成時に、「入室時に参加者をミュートにする」をチェック

 

② 画面共有を「ホスト」のみ「可」にする

 

③ チャットを「OFF」にする

また、「当日の運営」ということではないですが、オンライン上映会の場合、通信できる画像の品質に限りがあるので、「Bru-lay」ではなく、「DVD」を使用したほうが良いと思います。…というか、どちらでもOKなのですが、「Bru-lay」に対応しようとして高画質送信できる設定にすると、トラブルが発生する参加者が出てくる可能性が高そうでした。

 

以上です。

参加者数が40名未満と少数であったからかもしれませんが、大きなトラブルもなく、無事にオンライン上映会を終えることができました。

 

おそらく今後も、なかなか、集まってなにかを開催するということが難しい状況は継続するように思います。

そのような時代において、なにか研修会などを開催したい、というときのひとつのアイデアとして「オンライン上映会」という選択肢があることを、お伝えしたいと思い、この記事を書きました。どこかで、だれかの、何かの参考になればうれしいです。

*1:残念ながらわたしは、入力するメールアドレスを間違えるという大失態を犯してしまったため、連絡がとれるまでにものすごく時間がかかりました…本当に申し訳ない…

大人につきあう、知らない世界にジャンプする~伊藤崇『大人につきあう子どもたち』

 伊藤崇先生から、5/26発売予定の新刊大人につきあう子どもたち:子育てへの文化歴史的アプローチ』(共立出版をご恵投いただきました。

 

inn.finnegans-tavern.com

ひつじ書房から『学びのエクササイズ 子どもの発達と言葉』(伊藤, 2018)が出版されたときも、「ぐおーっ!!これは!!」とかいって、予約注文でゲットしていたくらいなので、緊急事態宣言下で、書店に行くこともままならず、通販で発注しようとしても時間がかかってしまう…という状況の中、発売日前にゲットできたというだけで歓喜

しかも、ご恵投くださるなんて…!という感じです。

 

わたしにとって、『学びのエクササイズ 子どもの発達と言葉』は、なくてはならない本で、ほとんどスペースがない研究室のデスクの上に設置されている稀有な本だったりします。

そもそも、子どもの言葉の発達を「社会化(socialization)」という観点から議論しようとする人間にとって、日本語で読める文献事態が少ないので、そういう議論を知ることができる初学者向けのテキスト(「学びのエクササイズ」)が世に出てきたというのがありがたい。

これから、外国につながる児童生徒がますます増え、それのみならず、いろいろな事情で、子どもたちが背後に抱える社会・文化が多様になっていくなかで、そもそも、言語や読み書き能力(リテラシー)の発達をリニア―に描こうとするモデルは、ほとんど役に立たなくなるでしょう。

そのような中、学部生が、社会・文化を横断的に生きる子どもの言語発達について、手がかりとなるような理論やモデルが得られる、という意味でも、かけがえのないテキストなのです。

 

今回上梓された『大人につきあう子どもたち:子育てへの文化歴史的アプローチ』(共立出版)も、一読して「ああ…!今この状況の中で、このような視点での議論を手軽に日本語で読めるのが、ありがたい!」という感想を持ちました。

 

「大人につきあう子どもたち」というタイトルだけを見て、カチンときてしまい(あるいは、傷ついてしまい)、本書での議論を読もうともせずに通り過ぎてしまう人がいるといけないので、まず、「この本では、別に、養育者(保育者・先生)が批判されているわけではないですよ」ということをお伝えしておきたいです。

真面目な大人たちであればあるほど、家庭や保育園、学校における広い意味での「子育て」の営みのなかで、子どもたちが「大人につきあってくれている」ということに意識的です。そして、そのことに対して、落ち込んだり、絶望したりする。

研究授業のあとの協議会の中で、「子どもたちが、先生に気を遣って合わせてくれているだけだ」というような批判を聞いたこともあります。

子どもたちが「大人につきあう」ということは、かくも、ネガティブなこととして捉えられている傾向があるようです。

でもその先生たちが、子どものことを真摯に見よう、子どもに寄り添おうとした結果として、「大人につきあう子どもたち」の姿が見えてきてしまったように、子どもたちはやっぱり、大人につきあっているんだと思います。

 

だからこそ、わたしは、子どもを真摯に眼差そうとした結果、「大人につきあう子どもたち」の姿を見出して、落ち込んでしまっている養育者、保育者、先生方に、この本が届くといいな、と思います。

 

本書では、「大人につきあう子どもたち」を認めたうえで、そこに、子どもたちの学習・発達の可能性を見出します。

 

子育てもまた同じように考えられる。子どもにとって子育てとは自分にとっての活動ではない。しかし、それにつきあうことは、自分にとっての活動やその背後にある動機が変わる機会となるのである。大人との会話の成立に寄与した子どもには、次にまた大人と会話したいという動機が生まれるかもしれない。一斉発話の成立に寄与した子どもには、保育者による保育実践に不可欠なメンバーとして自己を規規定したくなる(つまり、クラスの一員となる)かもしれない。そして、準備過程の途中で呼びかけ遊びが成立した子どもたちは、さらに別の遊びを探索したくなるかもしれない。(伊藤崇(2020)『大人につきあう子どもたち:子育てへの文化歴史的アプローチ』, p182)(太字は引用者)

 

子どもたちの活動の世界は、大人が触れると「悪」にしかならないような、あるいは即座に壊れてしまうような、ガラス製の「ネバーランド」ではない。

大人たちが「子育て」によって新しい活動の可能性を広げていくように、子どもたちも、自分にとっての活動ではない「子育て」に付き合うことによって、未知なる世界を拓く機会を得る。これまでには知らなかった世界にジャンプしていける。

 

 2018年、全国大学国語教育学会・東京ウォーターフロント大会のラウンドテーブルで、「国語教育における即興的パフォーマンスとしての学習」を開催した。

そのときに登壇してくださった、堤真人先生(横浜市立永田台小学校(当時))は、「教師が手探りで捉えようとする子どもの世界.でも,捉えられない葛藤.そして,その先」というタイトルで、以下のような文章を寄せてくださいました。

「『わからない』という,ある種の諦念」からはじまりながら、一人称小説の文体を借りて語られる「ようこ」の物語には、「大人につきあって」短いゲームみたいなものを遊んであげながら、その中で、ちょっとずつ変わっていっているかもしれない自分が語られているように思います。

 

教師が手探りで捉えようとする子どもの世界.でも,捉えられない葛藤.そして,その先(堤真人)

教師による子どもへの即興的な関わりは,「わからない」という,ある種の諦念から始まる.クラスというコミュニティを構成する他の子どもたちと同様に,教師も自らの主観を通じて,ひとりひとりの児童のことを知ろうとする.教師が知り得るあるひとりの子どもの姿は,あくまで,その児童のひとつの側面に過ぎない.そのような主観の限界を知りながら,それでも,ひとりひとりの子どもたちの世界を知ろうとし,その限界の中で葛藤する.「わからない」という前提に立ち,「わかりえない」という限界を知りながら,子どもたちと関わるために,即興的なアクティビティが取り入れられ,そこで即興的に生み出される言葉や身体,関係性から,次なる学習への手がかりが少しずつ見出される.そのような姿を,虚構の「告白体の物語」(ヴァン=マーネン, 1999)を通して描き出してみたい.このような即興的な学習の姿は,いかに記述することが可能なのか.

3.1. 「ようこ」の物語①
 今日も 輪になって一日が始まる.いつものようにみんなで短いゲームをする.
「みんなとは親友にはなれないけど,一緒にゲームができるぐらいの関係にはなってほしい.」とうちの担任はよく言う.いきなり授業よりはずっとまし.授業時間短くなるしラッキー!うちの担任は,遊べ遊べって,いつも言う.なんかいつも教室や校庭で,「アクティビティ」(?)やらドッジボールをしている.いつも男子と先生はふざけてばかりいる.どっちが子どもなんだろうってよく思う.


3.2. 「僕」の物語①
今年も,一年間輪になって朝をスタートしようと思う.飽き性の僕がずっと続けている唯一の実践だ.僕は朝が弱い.しんどい日だってあるし,テンションの高い日だってある.家庭でいろいろある日だってある.きっと子どももそうだと思う.一人一人違う背景があるんだから.学校来ていきなり学校モードになるんじゃなくて,みんなで顔を合わせて遊びながら「今日もまぁ楽しくできそうだ」って思えてもらったらうれしい.

 

3.3. 「ようこ」の物語②
今日のゲームは,カウントダウン.20から1の数字の中でひとつ選ぶ.先生が20からカウントダウンしていって,自分が選んだ数字の時に手をあげるというものだ.でも誰かとかぶったら負け.1に一番近い数字で一人だけが手を挙げた人が勝ちだ.
「20!」いつものようにおふざけ男子が何人か手を挙げている.もう面白くないのに.私が選んだ数字は「3」.意外と誰も選ばない数字なのだ.「3!」私は思いっきり手をあげる.周りを見る.「あー,お前手上げんなよー!」とゆうすけが笑いながら言っている.私も思わず「うわっ」って言っちゃった.うるさいよ,ゆうすけ.


3.3. 「僕」の物語②
今日は,朝から何やらテンションが高い子が多い.今日の遊びは,静かに推理するものをしようと思う.カウントダウンにしよう.「20!」数人の男子が手を挙げる.安定した手出しだ・・・「19, 18…」 「3」「あー,お前手上げんなよー!」「うわっ」 ゆうすけはともかく,ようこが「うわっ」だって!そんなこと言うんだなぁ.しかも嫌そうな顔で.意外な一面が見れたなぁ.ようこも少しずつ自分が出せるようになったのかなぁ.いや,そればっかりはようこにしか分からないか・・・僕の見えている子どもの世界なんてごくわずかなんだよな.ついつい,子どものことを分かったようになってしまうのが僕の悪い癖だ.

 

3.4. 「ようこ」の物語③
毎日,毎日,朝の遊びをしている.ペアとかも毎日変わるから,いろんな子とかかわるようになったと思う.今も,休み時間は決まった子とあそんじゃうけど,それでいいと思ってる.みんなと親友にはなれないしね.でも,なんかうちのクラス,仲良くなってきたと思う.昨日も,喧嘩ばかりしているあつしとペアでかくれんぼだったから心配だったけど,「お前探すのうまいな」だって.あつしも意外といいところもあるんだなと思った.


3.5. 「僕」の物語④
毎日,毎日,遊んでいてだんだん,仲良くなってきたのが分かる.もちろん,今日みたいにルールでもめることもあるけど,そんな日もあると思う.ただ,この仲良くっていうので,苦しんでしまう子はいないだろうか.強い凝集性が働いていないだろうか.いつも不安だ.僕が見ようとしている子どもの世界はあまりにも広大で,大人の僕には霞んで見える.僕が感じていることが,ほんとに子どもが感じていることかどうかなんて分からない.人のことなんて分かりやしない.それでも,なんとかこうしよう,ああしようって子どもの様子を見ながら決断していかないといけない.その矛盾は苦しい時もあるけど,「また明日!」って子ども達が言えたらいいなって思うんだ.

 堤先生自身が最後にかたる「『僕』の物語」は、不安と葛藤だらけ。

でもそのなかに灯るひとつの希望、ひとつの願いとして、「『また明日!』って子どもたちが言えたらいいなって思うんだ」と締めくくられていることも、今あらためて振り返ってみると、とても感慨深い。

 

子どもたちの「わからなさ」「理解しあえなさ」に日々不安と葛藤をかかえ、時には絶望し、落ち込んでしまう先生方は、けして、堤先生だけではないと思います。

 

そういう人たちに、本書が届くことを、祈らずにいられません。

遠隔オンライン講義での聴覚障害の学生への対応について、自分ができることを考える

新型コロナウイルス感染予防のため、日本中の大学で、遠隔講義(オンライン講義)への対応が求められています。
わたしの勤務先である横浜国立大学でも、4/8に「授業開始に向けたPC等事前準備のお願い」(PDF)が示され、授業は、Office365 Teams、授業支援システム、Zoomの組み合わせで行うという方針が示されました。

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授業支援システム・Office 365 Teams, Zoomを使った授業のイメージ

このようなことを、Twitterで報告したところ即座に、次のようなツッコミが入りました。

単純に疑問なんですけど、この場合の情報保障や、発話が難しい学生などの対応ってどうなるんですかね…?— そう (@sojumpso) 2020年4月8日

 この問題については、4/21の時点ですでに、日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)が、遠隔講義における情報保障支援についての特設ページを公開してくださっています。

【オンライン授業における支援】日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワークでは、多くの大学がオンライン授業を導入している状況を受け、聴覚障害学生が参加する際の情報保障支援について情報発信のページを新設しました。ぜひご覧ください。情報は随時更新していきます。https://t.co/0ifFG4CkPF— 【公式】PEPNet-Japan (@PEPNet_Japan) 2020年4月21日

 

遠隔授業での情報支援について具体的な方法が提示されているし、それぞれに、かなり見やすいマニュアルもあるので、このページを見ておけばばっちり!とは思っているのですが、一方で、これだけ情報が並んでいると、何から見ていいかわからない、という人も多いと思います。

 

そこで、まったく専門家ではないわたしが、これまで、毎年1~2人ずつくらい、授業で聴覚に障害のある学生たちを受け入れてきた経験から、今、遠隔授業(オンライン授業)への対応として考えていることを、書いておこうと思います。

 

1.オンデマンド型(課題配信型)授業

 

「遠隔授業(オンライン授業)」といっても、学生のネットワーク環境の限界、大学側が提供できるサーバー容量の限界から、結局は、オンデマンド型(課題配信型)の授業が多くなるのではないか、と予想しています。

オンデマンド型(課題配信型)で提供される資料としては、以下の3種類が考えられます。

 

①文字資料(レジュメ、配布資料化されたスライドなど)

②音声資料(講義内容が録音されたものなど)

③動画資料(パワーポイントのプレゼンテーションを動画化したもの、講義録画など)

 

このうち、聴覚障害をもつ学生への対応が必要なのは、②音声資料③動画資料ですね。このそれぞれについて、わたしは次のように対応することを考えています。

 

1.1. 音声資料:Google Documentの音声入力で文字化テキスト作成

 

音声のみで教材を提供する場合、その音声を文字化した「読み上げ原稿」を用意することが必要です。

さきほどご紹介したPPAP-Netの「授業担当者へのお願い」でも、依頼項目のひとつに「読み上げ原稿やレジュメなどの提供(字幕挿入や情報保障で十分対応できない場合も文字起こしがあれば最低限のサポートとなります)」があります。音声のみで授業資料を提供しようとするのであれば、なおさら「読み上げ原稿」が必要です!

 

「読み上げ原稿」は、Google Documentの「音声入力」あるいは、Microsoft Officeの「ディクテーション」を使って、けっこう簡単に作成することができます。

 

Google Documentでの音声の入力の仕方については、こちらの記事などが参考になるかもしれません。(無料で音声入力ができる「Google音声入力」の使い方【超便利】)

 

すでに、Google Documentを利用している方であれば、すぐにでもできます。

「ツール」タブをひらいていただき、マイクが標準装備されているパソコンであれば、そのまま、そうでない場合には、マイクをPCに接続して、「音声入力」をクリックします。

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Google Documentでの音声入力

「音声入力」をクリックしたら、そのまま講義内容を話していきます。

おそらく、音声のみで教材資料を配信される方は、Windows10に標準装備されている「ボイスレコーダー」を使ったり、あるいは、ICレコーダーやスマホの「ボイスレコーダー」機能を使って、講義内容を録音される方が多いと思います。

それらに音声を入力するときに、Google Documentをひらき、ボイスレコーダーの「録音」ボタンを押す直前のタイミングで「音声入力」ボタンを押せばOKです。

 

以下は、わたしが、Google Documentの音声入力を使って入力をしてみた結果です。

「こんにちは。これから初等国語科教育法(しょとうこくごかきょういくほう)の授業(じゅぎょう)をはじめます。わたしはこの授業(じゅぎょう)を担当(たんとう)するイシダキミです」と言った直後に、プリントスクリーンで画面をキャプチャしたところ、このような感じでした。

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Google Documentでの音声文字化

タイムラグも少なく、文字変換もかなり精度が高いこと実感していただけるかと思います。

同じようなことは、Mirosoft Office 「ディクテーション」機能を用いて行うこともできます。これは、Microsoft Office365の「Word」の「ディクテーション」を使って、音声による文字入力をしているところです。

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Mirosoft Officeの「ディクテーション」機能を用いた音声文字化

やってみた感じとしては、Google Documentの「音声入力」より、文字化がはじまるタイミングが少し遅いかな、というところ。

「ディクテーション」ボタンを押してから、数秒間まって、話し始めたほうがよさそうです。文字化の制度としては、ゆっくり話せば、Google Documentと大差ないですが、わたしみたいに話すスピードが速い人間にとっては、Google Documentのほうがよさそう、という印象を持ちました。

 

こんな話をしていたところ、hinata yoshikazu先生より、“グーグルドキュメントの音声入力機能では、改行が自動で入らないのでは?UDトークだと、一定時間で、自動で改行が入りますよね"(大意)と教えていただきました

「UDトーク」とは、App StoreおよびGoogle Playの送付で無料提供されている会話の見える化・コミュニケーション支援アプリのこと。

★ UDトーク | コミュニケーション支援・会話の見える化アプリ

 

たしかに、「UDトーク」を使うと、こんな感じで自動的に改行が入りますし、ふりがなもつく。そのままテキストとしてダウンロードもされるので、とても見やすいです。

 

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ただわたしの話すスピードがおかしいのか、発音が悪いのか…わたしにとっては文字化の精度がGoogle Documentと比べるとちょっと…というところがあり、うまく使い分けていく必要がありそうです。

 

1.2. 動画資料:Microsoft Stream, Youtubeを使った字幕付与

 

動画資料の場合には、動画に字幕をつけることが推奨されています。

わたしの場合、Microsoft Office365が利用できますので、学内限定で公開する授業動画であれば、Streamの機能を使って動画をアップロードするというやり方で十分でした*1

この場合、やるべきことは非常に簡単で、動画をアップするときに、①動画の言語を「日本語」に設定(画像左下側)したうえで、②「オプション」内「キャプション」の設定にある「字幕ファイルの自動生成」をチェックするだけです。

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Microsoft Streamで字幕をつける

初期設定のままであれば、動画が完全にアップロードされると、メール通知が届く仕組みになってます。

メール通知が届いたあとに、アップロードされた動画を見ると…

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Stream上にある字幕付き動画

こんな感じで、「字幕」がつきます。

「いしだきみ」が「意志だけに」になっているあたり、固有名はもっとクリアに発音しないとダメなのかも…と思ったりしますが、それを除けばすばらしい精度で文字化が行われているように思います。

 

なお、わたしはStreamが使用できることがわかったので、まだ試していないのですが、そのような状況にない場合、Youtube Studioを使用して字幕を自動生成できます

PEP-Netで公開されているこちらのマニュアル『YouTubeでの字幕作成⽅法』(PDF)が、とても見やすくわかりやすいので、こちらのマニュアルにしたがって、字幕をつけるのが良いのではないかと思います。(「非公開」設定とはいえ、Youtubeで動画を公開すべきではないという、方針の大学もあろうかとは思いますが)

 

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PEP-Net「字幕の作成方法」

2.リアルタイム動画配信(同時双方向型)授業

 

リアルタイム動画配信による動画双方向型授業といえば、ZoomやMicrosoft Teams, Google meetあたりの利用が検討されているようです。

とはいえ、そのなかでも学生への連絡のたやすさ、必要とする準備の少なさという視点から、Zoomを利用することを検討される方が多いのではないでしょうか。

 

Zoomでの「字幕」のつけかたについても、PPAP-Netでとても見やすくわかりやすいマニュアル「Zoomの字幕機能を用いた文字情報の提示」(PDF)が公開されており、授業者が自分で「字幕」を付与する場合も、情報保障者(ノートテイク・ボランティアなど)に「字幕」入力を依頼する場合も、このマニュアルだけを見れば、何をすればよいかがすぐにわかります。

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情報保障者に字幕の入力を割り当てる(「Zoomでの字幕機能を用いた文字情報の提示」p6より)

わたし自身も、Zoomを使用する場合には、自分が打ち込むか、どなたかにボランティアをお願いして「チャット」か「字幕」で情報保障をしようかな…と考えていました。

 

が、そんなことを考えていたところ、Google Documentの「共有」機能を使えば、だれかが「字幕」や「チャット」を打ち込まなくても、相手にリアルタイムで、音声の文字化を届けられることを知りました。

azami-seisaku.com

 

この記事の場合は、インタビューなので、双方が「音声入力」をONにしておくことが必要ですが、ZOOMで講義を配信する場合には、基本的には、講義する者だけが「音声入力」をONにしておけばよさそう。

ゼミなどでのディスカッションの場合には、発言するときに「音声入力」をONにするということを徹底したり、はじめから全員で「音声入力」ONにしておくということで、問題がクリアできそうです。(まだやってみていないので、可能性として、ですが)

 
 
たしかにこれを使うと、画面共有やシアターモードでの共有もできて、リアルタイムで字幕が表示できるようになり、いろいろと便利そう!
なのですが、残念ながら、Androidユーザーなので、QRコードも発行できず……自分では試せない状況です。どなたか、iOSユーザーの方にためしてみていただいてレポートしていただきたいです。
 
以上のことから、現在、わたしが使用できることのできるツールなどを考えると、以下の対応が可能なのではないか、と考えています。
 
(1)オンデマンド音声配信:Google Document音声入力を使って、「読み上げ原稿」を作成し、音声データと一緒に配信
 
(2)オンデマンド動画配信:Stremaの字幕自動生成機能を使って、字幕をつける
 
(3)リアルタイム動画配信・双方向授業:Google Document音声入力+ドキュメントの「共有」機能を活用して、リアルタイムでの文字化情報共有を図る
 
もちろん、他にもいろいろなツールがあるのでしょうが、使用できる環境や使いやすさなど、いろいろなことを考えて、それぞれに「できること」を考えていく必要があるのだろうと思います。
 
それを考えていくうえでも、PEP-Netが公開しているオンラインコンテンツ集はとても便利でしたので、ぜひ、ご覧になることをおすすめします!

*1:学内の事情により、その後この方法にはいろいろな問題があることもわかったのですが、結局はStreamを利用することになったので、割愛。詳細はこちらのtogetterまとめを見てお察しください。

格差とか多様性とかを語るための文体~『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』と『みんなの「わがまま」入門』と

ノンフィクション本大賞をはじめ、数多の賞を受賞して話題になっている、ブレイディみかこ(2019)『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』(新潮社)。3月に入って時間ができたこともあり、ようやく読むことができました。

親子でのやりとりが軸になって話が進んでいくので読みやすいうえに、そこでレポートされていることは、今の時代を生きるわたしたちが考えざるを得ないことばかりで…本屋大賞を受賞しているのみならず、司書が進めたい本に選ばれたりしていることも納得!という感じの本でした。

 

本書は、すでにあまりに多くの人に知られているので、今さらレビューを書くまでもないと思います。が、昨年、大学の書店でたまたま出会い、その対話的で真摯な文体に感銘を受けた『みんなの「わがまま」入門』(富永京子, 2019, 左右社)と共通する印象を受けたので、そのことについて書いておきたいと思います。

 

今年2月、『みんなの「わがまま」入門』の一部が、私立中学校の「国語」の長文読解問題で出題されたことがちょっとした話題になりました

nlab.itmedia.co.jp

著者である富永さんご自身が、問題を解こうとしたものの「筆者の考えを正確に読み取れ」なかったということで、富永さん自身がそのことをTwitterで公にされたのでした。

 正直なところ、わたしにとっては、本書の一部を「国語」の長文読解問題として出題することそのものが驚きでした。なぜなら、本書の文体が、類書とは異なる独特なものであると感じていたからです。

わたしはその独特な感じを、「『ごめんね』感」という言葉で表現しました。

 

 

このようなコメントをTwitterで投稿したところ、著者の富永さんから、この「『ごめんね』感」について、次のようなコメントがありました。

 あとから振り返ってみると、わたしが本書の文体を「『ごめんね』感」と表現した理由は、本書の「あとがき」にあるのだが、それよりも何よりも、そのような文体で、中高生のための社会運動論入門が記述されているという点が興味深い。

 

寒いので、毛布をお願いしたい。しかし、それは「わがまま」と思われてしまうかもしれない――そうか、「わがまま」か。寒いのだから暖かくなりたいのは当たり前で、そういう自分の権利(この場合、消費者としての権利なので、すこし社会運動が希求しているものとは違うかもしれないが)をなぜ言いにくいかというと、「わがまま」に見られてしまうからか。みんな一枚の毛布でがまんしているのに、「ずるい」と思われないかも不安だ。

 

「わがまま」をキーワードに、「わがまま」を言うこと、「わがまま」だと思うことへの抵抗をなくそう、「わがまま」のように見えても、人に共感されて、共有することで社会の歪みを明らかにできるんじゃないか、それが社会運動の萌芽になるんじゃないか。そういう言葉であれば、もしかしたら10代の人にも通じるかもしれない。…(後略)

富永京子『みんなの「わがまま」入門』左右者、pp.268-269)

 

中高生に向けて社会運動論を語ろうとする中で見いだされた言葉、文体だからなのだろうか。

ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』を読む中で、わたしは何度も、この「ごめんね」感を思い出した。

 

たとえば、最終章「16  ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとグリーン」では、これぞまさに「社会運動」(!)ともいえる「スクール・ストライキ」の話が登場する。英国各地で気候変動問題のデモが行われた2019年2月のことだ。

この時、英国では、生徒の「スクール・ストライキ」への参加を許可する学校とそうでない学校が現れるのだが、本書に登場するブレイディさんの息子が通う公立学校は、スクール・ストライキへの参加を許容しなかった。

これに関して、後日、ブレイディさんと息子さんとの次のような会話が行われる。

 

 「カトリック校の生徒もデモに行けなかったって聞いて、なんか安心した」

エスカレーターを降りながら息子が言った。

「デモを楽しめなかったのが自分たちだけじゃなかったから?」

と尋ねると、息子はうつむきがちに応えた。

「ちょっと悲しかったんだもん。成績とかいろんな意味でイケてる学校の子はデモに参加できて、しょぼい学校は参加させてもらえないなんて、仲間はずれにされてるっていうか、疎外されてる感じがしたから」

「マージナライズド(周縁化されている)って呼ぶんだよ、そういう気分を」

と私が言うと、息子が利いてきた。

「それって、マージン(端っこ)に追いやられてる感じってこと?」

「そう」

ブレイディみかこ(2019)『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』新潮社, pp.245-246)

 

デモに参加すること、デモに参加したいにもかかわらずそれが学校によって禁止されること。いずれも、「公正」や「権利」といった大文字の言葉で、その是非が議論されそうなことばかりだ。

でも、ここで記述されているのは、そんな大文字の言葉で交わされる議論とはかけ離れている。あくまで「仲間はずれにされている」「疎外されている感じがした」こと、そしてそれが「ちょっと悲しかった」という小さな感情のさざなみである。

それに対して、ブレイディさんは「マージナライズド」という言葉を与えるけれども、その言葉そのものも、息子さんの言葉として反芻されるなかで、いつしかそれは、彼が所属するパンク・ラップバンドの歌詞(!)へと変化する。

 

どちらも「社会運動」というあまりにもほど遠いものと、私たちが日々感じる「ちょっと、しんどい」「ちょっと悲しい」といった、ちょっとした感覚・感情とを結びつけてくれる。

これが、今、わたしたちが社会運動をあらためて語っていくために、わたしたちが自分たちと社会とをつなぐことを否定しないため、必要とされる文体なのかもしれない。

そんなことを思わされる2冊だった。

「物語を旅しよう」のサンプル・シナリオが公開されました

 2019年の年度末に、遊学芸保田琳さんにお願いして、TPRG型物語創作教材『物語の世界を旅しよう』をご制作いただきました。その制作の経緯などについては、以前、このブログの記事でもご紹介しておりますので、ぜひこちらをご覧いただければと思います。

kimilab.hateblo.jp

 

このたび、ふたたび、保田さんのお力で『物語を旅しよう』のサンプル・シナリオを、横浜国立大学リポジトリにて、公開できることになりました。

昨年度『物語を旅しよう』を公開してから、TRPGやゲームに対する理解がない者には、ハードルが高い」「高校の物語創作の授業で使ってみたいが、ファンタジー設定だと、高校生には幼すぎる」というような声をいただきました。

「ハードルが高い」という声に対する回答としては不十分かもしれませんが、今、できうる対応のひとつとして、いくつかのヴァリエーションのシナリオを示すことにした、という次第です。

 

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「物語を旅しよう」サンプルシナリオ- YNUリポジトリ

 「物語を旅しよう」 - 横浜国立大学学術情報リポジトリ

 

私自身は、小学校・国語科のフィールドで仕事をしていますの、「子どもたちの読書経験を豊かにしたい」「今までに自分たちが読書などで触れてきた物語の世界を遊ぶことを楽しんでほしい」という思いから、保田さんには、世界の昔話・童話をモチーフとした2つのシナリオを考えていただきました。

 

①「ハートのない銅像」(オスカー・ワイルド『幸福な王子』をモチーフにしたシナリオ)

『幸福な王子』作:オスカー・ワイルド(語り:日色ともゑ)-おはなしのくに/NHK for School 

 

②「不思議の国の旅人」(ルイス・キャロル不思議の国のアリス』をモチーフにしたシナリオ)


【絵本】 不思議の国のアリス 前編【読み聞かせ】 アリスインワンダーランド

 

 

また、「ハードルが高い」という声におこたえして、もともとのマニュアル・ルールブックに掲載されていたモデル・シナリオよりもシンプルなバージョンとして、③「父の形見と子ども心」を考えていただきました。

こちらは、シンプルな、「探し物をして、届ける」というクエストなので、「どこからはじめていいかわからない」という人や、それまでに知っている昔話・童話がほとんどない子どもたちへのサンプルとして、使いやすいのではないかと思います。

 

そして、「高校生には、幼すぎる」という声にお応えして、このたび、常磐大学ゲーミフィケーション研究会会長に、原案をご作成いただき、エグみのある高校生・大学生向け長編シナリオ④「良心と豊かさの間で」も公開しました。

さらに、遊学芸・保田さんには、この長編シナリオのために作成された「長編用ワークシート」も作成していただき、こちらも同時公開しておりますので、「高校生や大学生に向けてやってみたいのだが…」というご要望には、少し、おこたえできたのかな、と思っています。

小学生向けに作ったはずの『物語を旅しよう』から、こんなシナリオが生まれるとは思っておらず、個人的にはちょっとびっくりしております…。

 

そして、いつの間にか、YNUリポジトリの表示画面が変わっていて、「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」も一緒に表示されていることに気づきました。

昨年度、『物語を旅しよう』を公開したときも、「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」と文化庁の「自由利用マーク」をつけていたのですが、たしかそのときは、このようなかたちで検索結果画面に表示されていたことはなかったと思います。

オープンサイエンス」「オープンアクセス」への議論が進展する中で、大学のリポジトリもこのような対応をするようになっていることは、素直に喜ばしいです。

 

ぜひ、これを機に、また『物語を旅しよう』を使って、遊んでくださる方が増えるといいな!と思っています。

私としても、次年度、教員志望の学生たちや現職の先生方に、『物語を旅しよう』を実際に体験していただける機会を増やしていきたいと思っています。