kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

書く。部@「アートセンターをひらく:地域をあそぶ」展~人々の記憶を担うものとしての作品について

水戸芸術館現代美術センター「アートセンターをひらく  第Ⅱ期」展にひきつづき、「アートセンターをひらく:地域をあそぶ」展でも、「部活動」のひとつとして「書く。部」を実施することになりました。

 

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「アートセンターをひらく 第Ⅱ期」展では、「アートセンター」としての美術館の新たな使い方をいろいろと試みている展覧会でしたので、「アートセンターをひらく」ということはいかなることなのか?ということを、参加者全員で考えながら、それぞれに「アートセンターをひらく」展にふさわしいギャラリーガイドを考え、かたちにしてみる活動を行ってきました。

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水戸芸術館現代美術センターは、日本の他の多くの美術館とは異なり、コレクションを持たない美術館です。たとえば、以下の記事では、水戸芸術館現代美術センターを、「日本では現在も珍しいとされる、『クンストハレ』型の美術館」であると紹介しています。「クンストハレ」とは、「常設コレクションを所有しない、企画展専用の美術館施設」のこと(「クンストハレ」-『日本大百科全書』)。

drive.media

それもあってか、2000年代後半から水戸芸術館に通うようになったわたしは、ほとんど、水戸芸術館が所管する作品(以下、所管作品)を目にする機会がありませんでした。椿昇+室井尚《インセクト・ワールド──飛蝗》以外にどんな作品が所管されているのかをはじめて知ったのは、たぶん、2009年に開催された「現代美術も楽勝よ。」展だったと思います。2020年に、コロナ禍のなか、「ひかりといのちのある風景―現代美術センター所管作品から」という所管作品の展覧会が開催されてますが、逆にいえば、この20年間を見てもその程度しか、所管作品を観る機会はなかったように思います。


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そんななか、今回の「アートセンターをひらく:地域をあそぶ」展では、水戸芸術館の所管作品が出展される!ということで、10年以上にもなる「書く。部」の歴史のなかでもなかなか出会えなかった、大きなチャンス!

これは「仕事で忙しいから」とは言ってられないぞ!?ということで、思い切って、「書く。部」を開催することになりました。

 

書く。部
2007年より始まった部活動。「一味違った」視点で展覧会を鑑賞し、街歩きやワークショップを通じて対話を重ねながら、展覧会ごとに異なるスタイルで、オリジナルのギャラリーガイドを創りあげてきました。今回は「過去・現在・未来のなかの作品」をテーマに、所管作品にちょっと変わったかたちで関わった人々へのインタビューや、これまでの痕跡を探す街歩きを通じて、作品がここにあり続けるとはどのようなことなのかを考え、書く活動を行います。活動日:9月9日(土)、30日(土)、10月1日(日)「アートセンターをひらく 2023-地域をあそぶ」関連プログラム 部活動|現代美術ギャラリー|水戸芸術館

「書く。部」ブース@現代美術ギャラリー

7月22日のオープニングにあわせて、「ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー~力が生まれるところ」展のときに、「書く。部」で作成した「おみくじ型ギャラリーガイド」を持参し、「書く。部」ブースに展示していただきました*1

「おみくじ型ギャラリーガイド」とゲルダ&ヨルク展図録など

もともとは、こんな感じで、きちんと、「おみくじ」として引けるように作っていた「おみくじ型ギャラリーガイド」ですが、今回はそこまで用意できなかったので、作成されたギャラリーガイドの原稿や、ボツ案とともに、今回所管作品として展示されている《美の論理》にかかわるもの数点だけを展示しております。

おみくじ型ギャラリーガイド・「高校生ウィーク2012」での展示風景

今回の「書く。部」では、ギャラリー内に設置されたブースも含め、「市井の人びとの記憶(のメディア)としての作品」について考えながら、なにか未来に向けて働きかけられるようなことができれば、と思っています。

たとえば、今、考えているのは、所管作品について、そこに関わった人たちの「声」を、複数の時間軸を想定しながら残す、ということ。

ギャラリー内の展示のほうでは、「今回はじめて作品に出会った人」と、これまでにすでに別のかたちに出会い、「ふたたび出会いなおした人」とが、それぞれに、自分がいま、「アートセンターをひらく」展のなかで経験したことを言葉に残していくしくみを作っておくことにしました。

「書く」ための場所@「書く。部」ブース

曽谷朝絵《Circles》を観て「あーとバス」のことを思い出した話

すでに、SNS上では、「ふたたび出会い直した」方々による投稿も見られるようです。

「自分の人生を変えた作品」に、30年後に、ふたたび出会い直すという経験ができる、というのも所管作品があることの大きな意味なんだな…と、この投稿を拝見してあらためて思います。

「自分の人生を変えた作品」というような、深いレベルでなくても、いろいろな人たちが、それぞれの人生のタイミングで、作品と異なる出会い方をしているはず。

そうであるとしたら、どのような人たちが、人生のどのようなタイミングの中で、それらの作品と出会ってきたのか、そして今、どのように作品が見えているのか。それが「書く。部」ブースでの仕掛けのなかで、可視化されていったらいいなぁ…と、そんなことを思っています。

「書く。部」トーク&まちあるきイベント、そして「書く」ワークショップ

もちろん「部活」としての活動も行います。

久しぶりに、対面で集まって、皆さんとお話ししたり、一緒に展示を観たり、まちあるきをしたりできて、すごくうれしい。1回だけの参加も歓迎なので、ぜひ、おいでいただきたいです。

各回の詳細は、すでに「部活」のページに公開されています。

 

【1】書く。部 第1回~みて、話を聞く
・日程:2023年9月9日(土)
・時間:14:00~17:00
・会場:ひらくの間(現代美術ギャラリー内)
・対象/定員:どなたでも/5名程度
・料金:無料(ただし、「アートセンターをひらく2023」の入場券が必要です)

今回の展覧会で展示される所管作品の中には、それを制作するアーティストたちが水戸に滞在した時間、そこでの人々との関わりが色濃く反映されたものがあります。これらの作品は、単に「作品」であるだけでなく、その時・その場にアーティストと私たちとの関わりがあったことの痕跡でもあります。そのような「痕跡」としての作品について考える機会として、《美の論理》や《マジシャンの散歩》が制作された当時、アーティストたちが滞在する場を提供してきた「ホストパーソン」とともに作品を鑑賞し、当時の様子や、今、作品をあらためて観て感じることなどをお聞きします。また、その後、参加者同士で、印象に残ったエピソードや言葉を共有しながら、これらの作品が、これからも水戸にあり続けることについて考えます。

【2】書く。部 第2回~まちをあるく
・日程:2023年9月30日(土)
・時間:10:00~12:00, 13:30~15:30
・会場:ひらくの間(現代美術ギャラリー内)および水戸市
・対象/定員:どなたでも/5名程度
料金:無料(ただし、「アートセンターをひらく2023」の入場券が必要です)
水戸の街中には、水戸芸術館現代美術センターでの展覧会の痕跡ともいえる作品などがいくつもあります。その中には、いまや、水戸市内の風景にすっかり溶け込み「これって作品だったの!?」と思えるようなものも。そのような水戸市内に残された痕跡をたどりながら、水戸の街中にそれらの痕跡が生まれ、今まであり続けたこと、これからもあり続けることについて考えます。午前に、水戸市内の痕跡をたどる街歩きを行ったあと、午後は、これらの作品が設置された当時を知る水戸芸術館のスタッフ(教育プログラムコーディネーター森山純子)にとともに関連作品を鑑賞し、当時の様子や、今、作品をあらためて観て感じることなどをお聞きします。また、その後、参加者同士で、印象に残ったエピソードや言葉を共有しながら、これらの作品が、これからも水戸にあり続けることについて考えます。

【3】書く。部 第3回~作品について、書く
・日程:2023年10月1日(日)
・時間:10:00~12:00
・会場:ひらくの間(現代美術ギャラリー内)および水戸市
・対象/定員:どなたでも/5名程度
料金:無料(ただし、「アートセンターをひらく2023」の入場券が必要です)
第1回・第2回の中で共有されたエピソードや言葉をもとに、所管作品が生まれはじめて展示された「過去」、2023年を生きる私たちが作品と出会う(あるいは、出会いなおす)「現在」、そしてさらに数十年の時を経て誰かが作品を再び出会うであろう「未来」を思い描きながら、それらをつなぐ物語や詩、エッセイなどを創作します。
創作経験がまったくない方でも大丈夫!!第1~2回で出会った言葉をつなぎあわせて「詩」を創ることからはじめて、参加者同士でいろいろなアイデアを出しあいながら、これまでの対話のプロセスを楽しく言葉にしていきます。


わたしがこれをやりたいと思ったのは、今回、「ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー~力が生まれるところ」展のときに制作・展示された《美の論理》が(再)展示されると知ったからです。


《美の論理》は、東日本大震災とかかわりの深い作品で、震災で失われたものたちへの祈りを圧倒的なパワーで感じさせてくれるような作品でした。

震災直後に、東京から水戸に移住して、茨城県央エリアで震災を経験していた人たちの、なんともいえない「宙ぶらりん」な感じを目にしていたわたしにとって、この作品はなんとも言えず、パワーをもっていたものでした。

ヨーデルの響く真っ暗闇でブランコで揺られながら、美しい光に包まれるような経験のできるこの作品は、まさに、水戸市内で震災を経験した人たちの「宙ぶらりん」な感じをそのまま包み込み、癒し、さらに未来への祈りへとつなげてくれるような…そんな感じがしたのです。

 

その《美の論理》が今回展示されると聞き、わたしはひどく驚くとともに、なぜか、すごく安堵した気持ちになりました。

《美の論理》は、震災の経験を色濃く背負っているがゆえに、今、それが展示されることにどういう意味があるのだろう、という戸惑いを感じるとともに、またあの祈りの空間が体験できることで、ようやく少し、コロナ禍のなかで見えなかったさまざまな失われたものと向き合えるような、そんな気がしたのだと思います。


きっと震災後に、《美の論理》と出会ったときと、今、コロナ禍から少しだけ脱するきざしのある今(出会う《美の論理》とは、まったく異なる意味を持つものでしょう。

作品というのはそういうかたちで、「いま・ここ」の状況で生み出されつつ、普遍的なわたしたちの思いや感情を受け止め、未来へとつなぐ媒体(メディア)にもなりえるものなのだと思います。

そう考えだすと、アート作品がそこにあり続けるということが、とても奇跡的で、不思議なことのように思えました。

そして、今回、そういったかたちで、過去・現在・未来をつないでくれる作品のことを考えたい、と思いました。

 

その時代・その社会のなかで生み出されるもので、それが、時代を超えてもなお、残り続けることというのは、いかなる意味があるのか(あるいは、ないのか)。


そんなことを、たった一人で孤独に考えるより、みんなで考えたほうがよいので、今回、「書く。部」として、そんなことを皆さんと話したり、考えたりできる場ができれば、と思っています。

「書く。部」ブース全体図

 

*1:本ブログ記事の写真は、すべて、水戸芸術館の森山純子さんよりご提供いただいたものです