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Literacy, Culture and contemporary learning

社会文化的コミュニケーションの中の読書~日本国語教育学会大学部会シンポジウム「自立した読者を育てる読書指導」

2019年8月の対面開催依頼、4年ぶりの対面開催となった日本国語教育学会の全国大会に参加してきました。( 2023年度大会のプログラムはこちらからPDFでダウンロードできます。)

日本国語教育学会の集まりに参加することが苦手なわたしが、今回、なんとか参加しようと思った理由がこちら。

昨年2月に発売された、『中高生のための文章読本:読む力をつけるのフィクション選』(澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳編, 筑摩書房, 2022)の編者3人がシンポジウムにご登壇!しかもテーマは「自立した読者を育てる読書指導」!ということで、この御三方がそれぞれ「自立した読者」に対してどのようなことを考えていて、さらに、それを巡ってどのようなディスカッションをされるのかが楽しみで楽しみで、居てもたってもいられなくなったのでした。

シンポジウムの概要は、以下のとおりです。

日本国語教育学会令和5年度研究大会

大学部会シンポジウム「自立した読者を育てる読書指導」

日時:2023年8月11日(金・祝)13:00~15:00

会場:筑波大学附属小学校・講堂

テーマ:自立した読者を育てる読書指導

シンポジスト:澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳

コーディネーター:松本修

日本国語教育学会・全国大会チラシ(PDF)より)

シンポジウムでは、はじめに、コーディネーターの松本修先生より、企画趣旨については配布冊子の記載内容を参照するようにとの説明があったのち、仲島ひとみ先生から、『中高生のための文章読本:読む力をつけるのフィクション選』(澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳編, 筑摩書房, 2022)の企画意図や、教材の編集方針、編集プロセスの実際などについてのお話しがありました。

中学生がノンフィクションに触れるチャンスが少ないことへの問題意識や、教科書教材における「中高ギャップ」「高1ギャップ」ともいえる説明的文章教材の状況などが、その企画意図に込められた問題意識も興味深いのですが、わたしが何よりも興味をもったのは、その教材選定方針です。

  1. 書き手ならでは(その人ならでは)の経験・体験が書かれていること。
  2. 一般化・抽象化することで新たな見方が得られること。
  3. 文章のレトリックが優れていること。

この教材選定方針を聞いて、「ああ、この人たちは、本当に、ノンフィクションが大好きで、愛してるんだなぁ~!」と、しみじみ、感動したりしていました。

逆にいえば、あまりそういう人たちに出会うことが少なかったというのが事実。

ノンフィクションは、学習指導要領が示す文種カテゴリーでいうと「説明的文章」に近いと思いますが、わたしが出会ってきた説明的文章の教育に関心を持つ人たちって、「その人ならではの経験・体験」とか「その人らしい語り口」とかよりは、「論理的であること」を愛している人が多かったように思います。レトリックに着目するときも、「説得のためのレトリック」に着目することが多く、いわゆる「ロゴス」以外のレトリックが取り上げられるときも、議論において相手を説得するためのレトリックとして取り上げるという姿勢は堅持されていたような気がします。

そのため、今回、編者の皆さんが、ノンフィクションの魅力を「その人ならではの経験・体験」であったり、その人ならではの「語り口」ともいえるような文章のレトリックに着目したことについては、もっと話題に取り上げられてもよいように思います。

個人的には、ノンフィクション、さらにいえば、知識・情報に関する文章を「読むこと」を考えるうえで、ひとつの転換点になりそうなシンポジウムだったなぁ、と思いました。

このような点について、よりクリアに示してくださったのは、森大徳先生のご発表でした。

森先生の発表タイトルは、「物語の『実用性』~自立した読者へ導くよすがとしての「ノンフィクション」。

森先生が問題とするのは、小川洋子(2007)『物語の役割』や、「物語としての自己」論など、物語が単なるフィクションの世界の話ではなく、私たちが生きる生活や人生、社会そのものに直結しているという考え方はすでに広く浸透しているにもかかわらず、そういった「物語の『実用性』」が等閑視されているのではないか、という点。

森先生のご発表が興味深いのは、「だから文学(教育)が大事だ!」という議論にもっていくのではなく、「物語の『実用性』」を、ノンフィクション(=非-文学)の中に見出し、それを読書へのアプローチへとつなげていこうとする点であると思います。

ノンフィクションの中にある物語(的なるもの)。

そこに焦点を当てるための切り口として、書き手の「その人ならではの体験・経験」があり、その人ならではの「語り口」があるのだ、という森先生の発表の趣旨はとても明快です。

そして発表のなかで紹介された実践のうち、本のタイトルが書かれた背表紙を使って「五行詩」「六行詩」を創作するという活動は、まさに、その考え方を反映した実践だと思いました。

ノンフィクションの中に「詩」を感じるという実践ですものね。

私自身もよく「文庫川柳背表紙川柳)」「背表紙短歌」を創って遊んだりしますし、公立図書館のイベントで行われた「文庫川柳(背表紙川柳)」企画のニュースを見たりもするんですが、五行詩・六行詩にすることで、よりノンフィクションの出番が増えている感じがして、「なるほど!」と思いました。

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以前、アーティストの遠藤純一郎さんが、図書館総合展2020で実施してくださった「ラッキーディップ説明文編」を体験したときも思いましたが、非-文学の中に「詩」を発見していく活動って、私たちの世界の見え方をガラリと変えてくれる気がします。

あらためて、私たちが、ノンフィクションの文章と接するときにうけている影響の多くは、こういう「語り口」というか、「詩的」な部分にあるのだなぁ!と実感したのとを思い出しました。

youtu.

結局、何かを「読む」ということは、それを書く誰か(=書き手)から、それを読もうとする誰か(=読み手)へのコミュニケーションなのであって、それは、フィクションであっても、ノンフィクションであってもまったく変わらないことです。

森先生のアプローチは、「物語」というキーワードを軸に据えながら、読書という行為の中にあるはずの、語り手と聞き手との質感あふれるコミュニケーションを復活させようとするもののよに見えました。

 

最後に発表された澤田英輔(あすこま)先生のご発表「『自立した読者』とは?」では、「読み手意識」「書き手意識」という言葉を用いながら、そのようなコミュニケーションとしての読書を、さらに、社会的・文化的な実践へと結びつけるための筋道を見せてくれたように思います。

もっとも印象に残ったのは、発表の最後に紹介された「読めない子」のエピソード。

自分自身で「読める」し「読みたい」本もわかっているのに、かつて自分自身が読みたい本を読んでいたときに、他の子から、「まだそんな易しい本を読んでるの?」というようなことを言われて傷ついてしまい、自分の力ではまだ読めない本を読もうとしてしまっている子がいる、という話。

もしかしたらこういうお話は「背伸びしようと頑張っている」子どもの話(=美談)としてくくられることもあるのかもしれません。しかしここで重要なのは、澤田先生が、このエピソードを、「読めない子」が社会的に構築されてしまっている話として紹介していたことだと思います。

おそらく澤田先生は、「読み手意識(=「わたしは『読み手』である」という意識)」「書き手意識(=「わたしは『書き手』である」という意識)」を育むことを、なによりも重要視されていて、だからこそ、このように、「自分は『読めない』」というアイデンティティが集合的につくりあげられてしまうコミュニティそのものが「問題」として見えてきた、ということなのだと思います。

そしてこれは、「読書」を、所与のものとしての既存のテキストを読解していく、という発想だけではなかなか見えてこないことなのではないでしょうか。「読書」が、個人の資質や能力によって達成されるものであれば、「読めない」ことは(資質能力の不足、努力不足といった)個人の問題として説明できます。一方、「読書」を、社会・文化的なコミュニケーションの中においてみると、だれかが「読めない自分」というアイデンティティを持たざるを得ない環境やコミュニティの側が「問題」として見えてくる。このとき、私たちが課題として見定めるべきは、個人ではなく、個人をとりまく環境やコミュニティの側ということになります。

 

実は、本シンポジウムの冒頭では、仲島ひとみ先生からシンポジウム全体で議論したい「問い」の提示があり、そのなかには、「「読書」を「指導」「教育」できるのか?」「「読書指導」と「読み手を育てる」ことは同じことなのか?」というものがありました。

これらの発表を踏まえて、この論点についての議論が展開されたとしたら、きっと、そこには、読書を旧来の個人ベースモデルから解き放ってくれるための手がかりがたくさん提供されたのではないか、と思います。

今回は残念ながら、登壇者3名によるディスカッションを聞くことはできなかったのですが、今回提示された論点を、オーディエンスとして参加した私たちが引き受け、研究や実践の中で考えていくことで、また違った議論の可能性が開かれるのではないか、と思います。

実際、今、私自身が進めている企画とも深くかかわる内容だったので、私自身にとっては大きな推進力をいただけるシンポジウムでした。