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わかちあえない記憶をともに支える共同体は可能なのか~サトウアヤコ「日常記憶地図 in 福島県双葉町」

日本質的心理学会・研究交流委員会企画として開催された、サトウアヤコ「日常記憶地図」のワークショップに参加してきました(チラシPDFはこちら)。

 

日本質的心理学会研究交流委員会企画「日常記憶地図」ワークショップ・フライヤー

【研究交流委員会企画 サトウアヤコ「日常記憶地図」ワークショップ開催のお知らせ】 – 日本質的心理学会

my-lifemap.net

今回は、「日常記憶地図」オンラインプロジェクトで実施されているようなオンラインでのワークショップと、福島県・双葉町にて双葉町役場の職員の方々とともに行われる「日常記憶地図インタビュー*1が実施されました。

同じタイトルの下で開催される企画のなかで、かなり質の異なる2つのワークショップが実施されることを興味深く思いつつ、両方に参加することはせず、双葉町で行われる「日常記憶地図インタビュー」のみに参加することにしました。

「11年間住めなかったまちに、戻ってくる」

双葉町は、2011年3月11日の東日本大震災によって生じた東京電力福島第1原発事故によって、10年以上もの間、「全町避難」が余儀なくされた町。

昨年(2022年)8月30日に帰宅困難区域の一部において避難指定が解除され、町民の帰還が可能になり、9月5日には、双葉町内に建設された新庁舎での業務が開始。今は、ちょうど町民が双葉町に戻りはじめて、約1年が経とうとする時期にあたります。

www.tokyo-np.co.jp

www3.nhk.or.jp

東日本大震災以降の町役場機能の移転については、「双葉町の概要|双葉町」に詳しく書かれています。東日本大震災の後、全町避難の指示を受け、双葉町の町役場機能は、埼玉県加須市へと移転。その後、2013年6月に再移転が行われ、今度は、福島県いわき市にて町役場の業務が行われることになります。その後も、双葉町内は「帰還困難区域」と「避難指示解除準備区域」に指定され続けていましたが、前述したように、2022年8月30日に帰宅困難区域の一部において避難指示が解除され、町民の帰還が可能になりました。

双葉町に残る「帰宅困難区域」。町の記憶を語るなかにも「今は入れる/入れない」という話が登場します。

NHKのニュース記事によると、その1か月後には30名ほどの町民が戻ったとのこと。そして今回、私たちがお聞きしたところによると、現在の双葉町の住民数は、約100名であるということでした。

www3.nhk.or.jp

もともと、7,000人規模の町が、11年間の空白期間を経て、100人規模の町として再開を始め、その100人のうち、町民は4割程度。残りの6~7割は移住者という状況のなかで、課題となっているのが、双葉町という土地がもっていた記憶の継承なのだ…と、当日、双葉町役場の職員の方が説明していました。

事実、現在、町役場に勤めている職員の半数以上が、東日本大震災後に入庁したメンバーであり、その大部分が双葉町民でないこともあり、「もともと、双葉町とはこのような町であったのだ」という場のイメージの共有そのものが難しいというところもあるようです。

そのようなこともあり、今回の「日常記憶地図」ワークショップの企画が実現されることになったのだということでした。

 

「わかちあえない記憶」の共同体は可能か?

このような経緯もあり、今回のワークショップの主たる活動は、「日常記憶地図インタビュー」の手法を用いて、幼少期から双葉町で生活を営んできたベテラン職員の皆さんの語りを聞くことでした。

私たち、日本質的心理学会の会員参加者は、震災後に入庁した職員さんたちとともに、ベテラン職員さんの語りを引き出し、そこに耳を傾け、震災以前の双葉町の日常の記憶を共有していく……そんな活動です。

「残したい」という思いは、青いビニールテープとして示される

かつて「通学路」であった場所には、大きな道路が架けられようとしている

地図を手がかりにいろいろな語りが生み出されていく、という経験は、とても愉快なものでした。

わたしが参加していたチームでは、当初、「(語るべきものが思いつかないので)もう帰ろうかと思っていた」とおっしゃっていたベテラン職員さんが、地図のなかのいろいろな手がかりや、参加者の質問をきっかけに、次から次へといろいろなエピソードを思い出していく様子が面白くて、まるでなにかのゲームかスポーツのよう!話されるエピソードも、爆笑ものから、ミステリアスな渋いオジさんの話、最後にオチのある怪談など、バラエティに富んでいて、図書館の読み聞かせ会に参加しているような楽しさがありました。

 

しかし、それよりも何よりも、わたしの印象に残ったのは、「わかちあえない記憶」が、あたかもその場にいる人たちの間で共有されたかのように感じられる瞬間でした。

双葉町民ではない人の「日常記憶地図」の中にある「浜通り

たとえば、ベテラン職員さんが子ども時代の思い出を話しているなかで、語りのなかに「鳥糯(とりもち)」が登場したことがありました。

これを聞いている聞き手チームのなかには、「鳥糯!?なにそれ!?」「鳥糯、聞いたことがあるけど…」という人と、「鳥糯!あったあった!」という人がいたのですが、「鳥糯!あったあった!」となった人(=わたし)は、突然、語り手であるベテラン職員さんとが同じ記憶の共同体のメンバーになったような気持ちになります。

双葉町という土地の記憶のことは一切わからないけれど、「鳥糯」のある風景や、「鳥糯」にうまく鳥がひっかかって愉快、愉快!みたいな気持ちは共有できるわけです。

双葉町に震災後に入庁した職員さんも含め、たしかに、私たちは、かつての双葉町のことは知らない。けれども、いろいろな過去の記憶をもつ人びとが集まって、「ああ、それだったらわかる!」と言いながら、みんなで共有できる記憶の断片を重ねあわせつつ、双葉町にかつてあった記憶を共有したり、継ぎはぎしながら継承していったりすることは、できるのではないか。

――そんなことをおもいました。

 

ワークショップが始まる前に、今回の企画者である安斎聡子さん(青山学院大学)が、「記憶とコミュニティづくり」について、「世代が違っても、場所が違っても、『同じような経験をしたのだろう』と思える記憶が、コミュニティのまとまりをつくる」のだとおっしゃっていたことを、思い出します。

「コミュニティ(community)」という言葉は、なにかを共有していることを前提とした言葉です。が、今回のように、土地の歴史そのものにある種の空白地帯や断絶のようなものがあり、わかちあえない記憶をもとにそこに集まる人たちでなんらかの記憶を支えようとする場合、たぶん、そこで共有するものは、錯覚や虚構のようなものでも十分なのだろう、と思えました。

「語り」は、虚構の入る余地を十分に有しているがゆえに、わかちえない記憶を皆がともに支えるための媒介になってくれるのかもしれません。

昨年(令和4年)度に横浜国立大学附属横浜中学校・国語科で行われた授業実践「『ヒロシマ』を語る文章を書く」において、生徒たちが、修学旅行先での経験――広島市内のフィールドワークや、被曝者の語りを聴くという経験――を経て、自分自身でジャンルを選び文章を書くという実践を行ったことを思い出します。

これらの生徒作品(生徒作品1生徒作品2生徒作品3生徒作品4生徒作品5生徒作品6)が持つ、フィクションとノンフィクションのあわいにあるような感覚は、「語り」の持つ懐さとともに、それが虚構の「物語」へとつながっていく可能性をも感じさせるものだと、わたしは思ったのでした。

 

双葉町における「日常記憶地図」は、あらためて、「語り」がもつそのような懐深さを、私に感じさせてくれるものでした。
今回のワークショップを経て、あらためて、「記憶」について「語り」について考えていけたら、と思います。

双葉図書館への入り口。「日常記憶地図」を使った自己紹介の中でも図書館はよく登場する。図書館の掲示板は、今でも、当時のままだ。

 

*1:TOKAS(トーキョーアーツアンドスペース)の公募企画で開催された展覧会の、関連イベントとして実施された「日常記憶地図インタビュー」の概要はこちら