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Literacy, Culture and contemporary learning

ハーメルンの笛から逃げるための方法について――中島佑太ワークショップ展示@岡本太郎美術館

水戸芸術館現代美術センター・高校生ウィーク「大人部」、および、その後に行われた水戸のキワマリ荘でのトークイベント「よんでみる 11」でお世話になった、アーティストの中島佑太さんが、川崎市岡本太郎美術館の企画展「遊び ひらく 岡本太郎」展のなかで、「現代の作家たち」としてワークショップと展示をしていると聞き、岡本太郎美術館まで行ってきました。

 

www.yukoyuko.net

 

岡本太郎美術館の常設展・企画展が面白いのは、特段、わたしが言うまでもないので割愛。この展示室の写真のカオス感ですべてを感じとってください。

中央下部にある、岡本太郎さんの等身大パネルは、館内のあちらこちらにあり・・・、イベントが行われるときには、看板かけ(?)としても使われているようで、岡本太郎さんの愛されっぷりが伝わってきます。

 

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そんな岡本太郎美術館のなかで、さらに岡本太郎さんにおける「遊び」をテーマとした企画展のなかで、中島祐太さんのワークショップ+展示が行われています。

中島さんのワークショップ+展示について、ウェブサイトやチラシでは、次のように紹介されていました。

 

■現代の作家たち 会期中に展示がえを行います。
中島佑太 NAKAJIMA Yutai
  9月1日(火)~10月4日(日)
作家がつくったルールをもとに、来館者が作品を作ることができる、参加型の展示です。
会場内で、会期中毎日作品作りに参加できます。
◆作品に参加しよう!
  中島さんの作品は、見に来た人がつくったり、体験したりして楽しむこともできます。
★の日程で、中島さんも展示会場にやってきます!
日時:9月1日(火)から10月4日(日)まで毎日開催 9:30~17:00
★作家滞在日程:9月5日(土)、6日(日)、19日(土)、20日(日)ほか、
詳しくはHP等で告知します。
参加方法:申し込み不要!いつでも、どなたでも参加できます。

                    (川崎市岡本太郎美術館ホームページより)

 

作家がつくったルールをもとに、来館者が作品を作ることができる、参加型の展示です」!!

 

こんなに楽しそうじゃないワークショップ?展示?の告知文は、はじめて見ました。こういうときに使う言葉ではないけど、すでに「コレジャナイ」感がはんぱない・・・。

これを見て、「なにこれ!楽しそう!」って思って美術館に足を向ける方は、どのくらいいるのかと不安になるレベルです。

そして、こんなに「タノシソウジャナイ」のに、「作品に参加しよう!」とか言われても困る。

「中島さんの作品は、見に来た人がつくったり、体験したりして楽しむこともできます。 」という文言に、つい、「ホントかよ」とツッコミました。

 

実際に、会場に足を運んでみると、やっぱり楽しくない。ひたすら、つらい。

会場入口には「ルールを守って正しく遊びましょう」と書かれた看板があって、その場にいるアーティストから「『ルールを守って正しく遊びましょう』ですから、ちゃんとルールを守って、正しく遊んでくださいね」と言われる。つらい。

 

・・・というか、そもそも会場内にはいたるところに、そういう「ルール」が書かれた看板が溢れんばかりに設置されていて、そもそもその風景そのものがおぞましい。気持ち悪い。すでに帰りたい気持ちでいっぱいです。

(中島さんに聞いてみたところ、やっぱり、会場をちら見しただけで展示会場から出ていかれるお客さんの割合はかなり多いようです。)

 

中島さんのワークショップ《ルールを守って正しく遊ぶ》については、以前、「大人部」でもミニ・ワークショップとして実施していただき、たしかそのときも早々にフェードアウトした記憶があります。(そしてそのときも、折り鶴をることはできなかった・・・無念)。

しかし、今回さらに「つらいなぁ」と思ったのは、フェードアウトしたあとの行動すら「ルール」に定められていたこと。

会場のすみっこに、「ルール」に指示された「遊び」に従えずに奥のほうに身を沈めてしまうであろう来場者に向けた「ルール」の看板があるのですが、そこに書かれた内容はともかく(正確な文言を覚えていないのです、ごめんなさい)、それが、「ルール」として、看板に指示されているということが怖い。

 

「ルール」がどこまでも追いかけてきて、そこから逃げられない恐怖感。

どこまでいっても、自分の意志だけで自由を求められない絶望感。

 

そんな恐ろしく閉じられた世界であるはずなのに、ふつうに楽しそうに「ルール」にしたがって「遊んで」いる人たちがいるという事実に、さらに私たちは世界からの隔たりと、孤独と絶望を感じます。

 

楽しそうな笛の音に誘われ、自ら笛吹き男のあとをついていった結果、洞窟に閉じ込められ、二度と戻れなくなってしまった『ハーメルンの笛吹き男』に出てくる子どもたち。

この会場にある「ルール」はまるで、この笛の音のようです。

子どもたちを、参加者を思い通りに動かす仕掛け。参加者は、実は自由を奪われているのに、それに気づかずに、自由を奪われたなか「ルール」に指示された楽しさを享受している。

 

「ワークショップ」って果たしてこんなものだっただろうか、とつい考えこんでしまいます。

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誰かのための住処/みんなの公共空間――DenchuLab.一般公開展示

東京都台東区谷中霊園の近くにある旧・平櫛田中邸で行われたいた若手アーティストによる滞在制作「Denchu Lab.」の公開展示を見にいってきました。

★若手アーティストによる滞在制作 | Denchu Days_Live Arts and Archives

★プレスリリース(PDF)

 

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平櫛田中は近代木彫を発展させた彫刻家。

その旧邸宅は、大正時代のアトリエ付住宅の姿を現在に伝えるものとして、台東区のNPO法人「たいとう歴史都市研究会」などによって建物の保全活用が行われています。

「Denchu Lab.」も旧・平櫛田中邸をさらに活用していくための試みのひとつであるようで、「アートを通じて地域・世界の人々と再生し、新たな創作と交流の場として育てていく活動の一環として、アーティストの制作・発表を応援する」ことを目的としているようでした。

 

もともと「住む」ための場所でもあり「創造する」場所でもあったアトリエ付住宅を、新たなかたちで、「住み」ながら「創造する」活動(=滞在制作)のために使っていくという試みは、とても面白そうです。

若いアーティストの皆さんが、どのように建物と活動の趣旨を読み込み、作品を制作されているのか、にとても興味を持ちました。

 

「三宅島在住アトレウス家≪山手編≫」以来、久しぶりに、旧・平櫛田中邸を訪れてみて感じたのは、特定の誰かのための住みつくるための場所が、みんなのための住みつくるための場所に転用されていることのズレ、というか違和感でした。

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言葉への信頼を取り戻すために

9月19日未明に、参議院本会議で、安全保障関連法案が可決・成立したことを、9月20日以降、安保保証関連法案採決を実現するための政府与党による一連の手法や、「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)」を中心とした安保保障関連法案への反対運動、これらと関連しあいながら行われた野党議員による一連の動きに対する批判的な反省、検討が行われています。

9月20日は、早くも、共産党がほかの野党との選挙協力を呼びかけたことが報道され、話題となりました。

jp.reuters.com

 

そのような一連の問い直しのなかで議論されていた論点のひとつに、「なぜ、安保関連法案賛成派と反対派の議論はかみあわないのか?」というものがあり、わたしもこのことにとても興味を持っていたので、関心をもってこの記事を読みました。

jbpress.ismedia.jp

 

・・・というのも、9月12日に新宿で開催された安保関連法案賛成派の集会が開催された際にスピーチした内容がこちらの記事で取り上げられていたのですが、そこでとりあげられているスピーチを見る限り、安保関連法案反対派の運動がますます激しくなり、主張をしたり議論をしたりすることよりも、(どんなに強いかたちであれ)声を届かせることが優先されるように見えるなか、本来であれば「中立派」にいたような人たちの一部が、「賛成派」に動いているように見えたからです。

 

blogs.yahoo.co.jp

 

賛成の人の意見も読んで反対の人の意見も読んで
それで、まっすぐ真ん中から考えて
右とか左とかどうでもいいです 
(1人目のスピーカーの発言より)

 

戦争はしたくありません。

過去に戦ってくれたおじいちゃんたちのおかげで
好きなことができて、仕事ができる暮らしがあること忘れないでください。
だからもう二度と戦争はしてはいけません。
だから安保賛成です。
みなさんもまっすぐ真ん中から考えてください。 
(1人目のスピーカーの発言より)

 

戦争は嫌ですよね。
だからこそ、安保法案に賛成です。

同じ過ちを繰り返さないというならば、
それは戦争のことではなく、無知無関心のまま雰囲気に流されるという過ちを繰り返してはならないのだと思います。

(5人目のスピーカーの発言より)

 

「戦争には反対。もう二度と戦争をすべきではない」

「(左でも右でもなく)中立的な立場から考えるべき」

「無知無関心なままで、雰囲気に流されて、自分の頭で考えないことはよくない」

・・・などなど、現在、安保関連法案反対派の皆さんのスピーチのなかにも出てくるような言葉がたくさん共有されています。

違うのは、「戦争には反対」だから「安保関連法案が必要である」と考えるか否かの違いだけ。

おそらく、「中立」といったときに、あるいは「自分の頭で考える」といったときに見ている風景も大きく異なるのでしょう。

 

現在起きている、賛成派と反対派の「わかりあえなさ」は、この絶望的なまでの「見えている世界」の違いに起因しているように思います。

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「ビエンナーレさん」の憂鬱――中之条ビエンナーレと共生の諸問題

中之条ビエンナーレにいってまいりました。

中之条ビエンナーレは、群馬県吾妻郡中之条町で2007年より開催されているアートイベント。

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中之条ビエンナーレが、2007年に第1回を開催した際には、参加作家数が58人で来場者数はのべ48,000人。予算も中之条町からの補助金320万円で運営されていたそうです。が、2013年に開催された第4回では参加作家数113組で来場者数がのべ338,000人(!)。予算も町からの補助金640万円を含めて約3,300万円(!)とその規模をかなり拡大させています。(ソースはこちら

今回は、さらにメディアへの露出が増えていることもあり、参加者数がさらに多くなることが見込まれ、中之条ビエンナーレのtogetterまとめでも、フジテレビ系列『めざましテレビ』で放送されたことによる混雑の懸念が表明されていたりします。

 

Home's Press編集部による「“地方創世元年”に知っておきたい「中之条ビエンナーレ」の話①」および「“地方創世元年”に知っておきたい「中之条ビエンナーレ」の話②」は、そんな状況にある中之条ビエンナーレと地域住民との関係を心配していたわたしにとって、とても興味深い記事でした。

 

今年の中之条ビエンナーレのテーマは、「地域とアート〈共存するということ〉」

実をいうと、中之条ビエンナーレは、2007年の開催時から、地域との関わりという意味では良い評価しか聞かない、希有なアートイベントでした。

 

今回訪れることのできたいくつかの会場でも、会場提供している民宿の方が展示作品について説明してくれた後「こちらが作品を作られたセンセイ!」とアーティストを紹介してくださったり、地域の町内会や婦人会の方が案内をしてくださっているのかな?と思える会場があったり、丸伊製材では(おそらく)製材会社におつとめの「オッチャンたち」の手づくり看板があったり、地域とアートとの関係に悩み疲弊してきた私にとっては、心から癒されるような情景をたくさん目にすることができました。

 

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一方、急速に拡大するアートイベントの規模が、地域に大きな負担感をもたらすことを、(運営側の経験として)知っているところもあり・・・実際にシルバーウィークであったためか混雑している会場もあったので、そのことが終始気がかりでした。

 

地域の人たちが抱えている、そんな負担感に「あっ!やっぱり」と気づかされたのが、帰路につく前にと立ち寄った共同浴場での出来事。

中之条ビエンナーレは毎日17:00に終わることになっているので、17:30あたりから、私のような「ヨソモノ」が、ふだんは地域の人たちしか使わない共同浴場にたくさん現れることになります。

私は「ヨソモノ」のひとりとして、共同浴場に入っていったわけですが、共同浴場に入るなり、すでに入浴されていた地域の方(と思われる方)が

「ほら。そろそろビエンナーレさん』がきたんじゃない?」

・・・とおっしゃったのです。

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生物のユートピア――遠野りりこ『マンゴスチンの恋人』

「児童文学におけるセクシュアルマイノリティについて考える」ための読書プロジェクトの一環として、遠野りりこ『マンゴスチンの恋人』を読みました。

www.shogakukan.co.jp

 

左から、単行本版、文庫版、マンガ版になります。

 

表だって「ヤングアダルト」を掲げているわけでもないのですが、小学館文庫小説賞を受賞して、マンガ化もしているというあたり、実際の中高生の読書環境にかなり近いところにある本なのではないか、と思ったからです。

ヤングアダルト文学とライトノベルの境界に関心があったこともあり、ライトノベル的でもあり、YA文学的でもあるような、セクシュアル・マイノリティ文学が読んでみたいと思い、この本を手にとってみました。

ちなみに私が読んだのは、文庫版です。

 

これまで、如月かずささんのYA文学を読んで感想を綴ってまいりましたが、セクシュアル・マイノリティが登場する如月かずささんの2作品と、今回読んだこの作品、かなりタイトルの付け方が似ていると思います。

並べてみましょう。

 

『カエルの歌姫』(如月かずさ)

『シンデレラウミウシの彼女』(如月かずさ)

マンゴスチンの彼女』(遠野りりこ『マンゴスチンの彼女』所収)

『テンナンショウの告白』(同上)

『ブラックサレナの守人』(同上)

ヒガンバナの記憶』(同上)

 

すべて「生物(動物あるいは植物・カタカナ表記)」+「二字熟語」なんです!

 

なんだかうまくプログラムを組めば、タイトル・ジェネレーターが作れてしまいそうです。

もちろん、たった2人の作家の作品を読んだだけなので、セクシュアル・マイノリティが登場する日本のすべての児童文学が(あるいは、ほとんどの児童文学が)、人間以外のなんらかの生物にその理想を象徴させる傾向にあると言えるわけではありません。

ただ、日本で現在発行されている児童文学のなかで、物語のなかにセクシュアル・マイノリティが登場する作品のひとつの流れに、このような傾向を認めることはできるのではないか、と考えました。

 

ヒガンバナの記憶』で主人公として登場するレズビアンの生物教師は、物語のなかで、このような言葉を生徒たちに投げかけます。

 

「動物だけじゃなく植物にも色々な性別のあり方があります。大きくはチューリップや桜のように、ひとつの花にオシベとメシベを持つ両性花と、どちらか一方のみを持つ単性花に分かれる。銀杏に雄の木と雌の木があるのはよく知られているわね。銀杏のようにメシベだけを持つ雌花とオシベだけを持つ雄花が別の個体につくものを雌雄異株と言う。同じ個体に雌花と雄花が付くものは雌雄同株と言って、柿やスイカがそう。高山植物クロユリは雄花と両生花が咲く。群生したクロユリは一見同じ姿をしているけれどひとつひとつよく見ると、花弁の中が違っているものを見つけられる。あとマンゴスチンって東南アジアのフルーツがあるでしょう。あれは花粉を持たない花を咲かせて実を付ける。単為生殖と言って雌だけで繁殖できるの。また、サイトモ科のテンナンショウ属は栄養状態によって性転換するの。若くて小さいうちは雄で、ある程度の大きさになると雌になる。このように自然界の性は本来多様であって、それは人間だって同じ。とは言っても、人間は単為生殖できないけど」(文庫版p.133。『テンナンショウの告白』より)

 

マンゴスチンの恋人』に所収される4つの短編では、「自然界の性は本来多様であって、それは人間だって同じ」という理屈が、さまざまな意味でセクシュアル・マイノリティであることに悩む主人公たちを支えています。

その構図はとてもシンプルだけど、とても美しい。

この作品が評価をうけるのは、そのシンプルな美しさなのだと、思います。

 

如月かずささんの作品『シンデレラウミウシの彼女』と『カエルの歌姫』において、セクシュアル・マイノリティであることに悩みはじめた主人公たちは、「自然界の性の多様性」を知るのですが、あくまでそれは、自分たちでは到達できない「理想」として描かれます。だからこそ、『シンデレラウミウシの彼女』では、神様のマジカルパワーでその不可能性が超えられてしまう。『カエルの歌姫』では、到達できない「理想」であることを認めつつ、「現実」と「理想」のあいだで、主人公が自分のあるべき姿を模索していくという意味で、一歩進んでいるといえます。

 

一方、『マンゴスチンの恋人』では、「自然界の性の多様性」は「理想」ではなく、みんなが知らないだけで本当はある「現実」として描かれ、そこから物語がスタートします。

そのような意味で、同じような構造をもつタイトルを持ちつつ、2人の作家の描くセクシュアル・マイノリティの世界は異なる方向性を持っているように見えます。

 

しかし、そのような違いが存在するもののやはり、なんらかの「生物(動物あるいは植物)」が<いま・ここ>には実現されていないなにか、として描かれ、その「生物」との関係性のなかで、主人公自身や主人公をとりまく関係性が変化していく・・・という点では共通している。

この共通性のなかに、日本の児童文学におけるセクシュアル・マイノリティの位置づけが見えてくるような気がします。

 

これについては、現在読んでいる、LGBTの若者をとりあげた米国のノンフィクション『カラフルなぼくら: 6人のティーンが語る、LGBTの心と体の遍歴 (一般書)』を読んでから考えてみたいと思います。

みんながいなければ、たどりつけない場所――ロクディムフェスティバル

第6回「したまち演劇祭 in 台東」のなかで開催されていた「ロクディムフェスティバル この瞬間を一緒に笑おう」に行ってきました。

 

 

ロクディムの皆さんとはじめてお会いしたのは、2011年。東日本大震災があったその年の秋のことです。
当時わたしは、現代美術家の中崎透さん、水戸芸術館現代美術センター学芸員の竹久侑さん、高橋瑞木さん、そして現在水戸芸術館で教育プログラムコーディネーターをしている田中麻衣子さんとともに、「仮設☆空間 喜望峰」という期間限定のスペースを共同運営していました。

そのとき、中崎さんからのご紹介で、ロクディムのカタヨセさん、渡さんたちが「喜望峰」で即興ライブをしてくださる、ということになったのでした。なつかしい。

 

東日本大震災の後、被災した多くの人たちが、さまざまなかたちで「震災で何もなくなってしまったところから、何をはじめたら良いのか」という問いに向きあってきたわけですが、いわき市出身のカタヨセさんは、特にその思いが強かったのではないかと思います。これについては、インタビュー企画「6時間目 はなしの時間」のなかの松尾貴史さんとの対談のなかで、渡さんが次のように述べられています。

 

うんうんうんうん。本当に同じようなことを、去年そのカタヨセヒロシは、特にあのメインで活動してたんですけど。「なぜ即興なのか?」っていうことは、 今、松尾さんが言われたとおり、その何もないところから、もしくはその震災で何もなくなったところから、じゃあ、どうやって創っていくんだ、これから を。っていうことは、僕らがやっていること、何もないところから『どうもー』って出ていってお客さんと喋って、それを使って1つ物語を創るわけですよね。 その時には演出家も脚本もないところで『この人がこれ言ったからこうだ』『これ言ったからこうだ』って、その場その場で、ずっと臨機応変に対応していっ て、結果こんなんなりました!っていうのが、なんて言うんですかね「人生即興じゃないですか」っていうのと同じようなテーマがあるね。

 

カタヨセさんには、この「喜望峰」での企画のあとにも、何度も水戸に足を運んでいただき、即興のワークショップを開催していただきました。

わたしは会場提供に関わった者として、即興のライブよりも、即興のワークショップに参加することのほうが多く、そのなかで、「みんながいるからこそ、できること」とか、「失敗があるからこそ、面白くなれる」こととか、いろいろ感じたり、学んだり、新たに気づいたことがあるのですが、今回かなり久しぶりに、大きな舞台での即興ライブを見ることができて、あらためて感じたことがありました。

 

それは、「みんながいなければ、たどりつけない場所」がある、ということ。

 

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そういう意味で、このシーンがとても、わたしにとっては象徴的でした。

 

このときはたしか、はじめの設定だけを決めて、その後、カタヨセさんが言葉を発さずにマイムだけで動くので、カタヨセさんの言葉を周囲の人がセリフ化していく・・・というようなインプロ・ゲーム(?)だったと思います。

「種から芽がでる」(!)という当初の設定からはじまって、たしかに、はじめはカタヨセさんが展開の主導権(?)をもっていたのですが、途中から、誰が展開のキーマンになっているのかがわからなくなり・・・、もしかしてこれって台詞にあわせてカタヨセさんが動いているだけじゃないのか?と思うような局面もありつつそうでもないような感じで、いわば、集団としての集合的な意志で動いているとしか説明しきれないような物語が展開していきました。

 

このシーンは、種から出た芽がどんどん伸びていって空をつきぬけ、その茎(?)をどんどん登っていって空まで届いた!というシーンなのですが、なぜそんなことになったのか、がおそらく、個人の意志としては説明できないんです。

ジャックと豆の木』のような、観客と舞台とで共有されている(と思われる)物語スキームがあり、それがどこかで、何かのきっかけで参照された結果、みんなでこの方向に動いていってしまった!・・・という感じがします。

その意味で、この物語を作ったのは、パフォーマーであるロクディムだけではない。観客が知っている、求めている物語とのもっとも「面白い」関係性が実現された結果、こうなったとしか言えない。

この「空」は、パフォーマーであるロクディムの皆さんと観客がいなければ、たどりつけなかった場所なのだと、そう思いました。

 

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この日の公演は、千秋楽であったこともあり、最後のほうで、渡さんがカタヨセさんの即興上のセリフに涙する場面もありました。

 

各地で甚大な被害をもたらした台風の日にスタートをきった「ロクディムフェスティバル」。その5日間の公演の時間は、まさに、「みんな」で共有されてきた時間なのであり、その共有された時間の最後に、わたしは立ち会っているんだと思いました。

 

今回の公演のタイトルには「この瞬間を一緒に笑おう」という言葉が付されていましたが、5日間という時間は、「この瞬間」の蓄積としての時間を、私たちに感じさせてくれたように思います。

 

今年11月14日(土)には、ロクディムの皆さんが東北で行ってきたプロジェクトの報告会+ライブのイベントが開催されるとのこと。

ロクディム:6-dim+ 東京↔東北 LIVE | ロクディム:6-dim+|即興芝居×即興コメディ|この瞬間を一緒に笑おう

 

2011年の東日本大震災以後、「ジャパンツアー」をはじめとした活動のなかで、何もないところから、みんなで一緒に未来をつくっていくことの可能性を各地で見せてきてくれたロクディムの皆さんの報告会。

ぜひスケジュールをあわせて参加できれば、と思っています。

英語の発音を学ぶための便利サイト&アプリ

今週のお題「いま学んでみたいこと」。

勤務先の大学で、ブリティッシュカウンシルよる法人・教育機関向けの英語セミナーを受講しています。発音からアカデミック・ライティングまでいろいろ学べる4回シリーズの英語セミナーで、本日は、発音について学習しました。

 

 

残念ながら仕事の関係で、午前のレッスンしか参加できなかったのですが、英語の発音のヒアリング&スピーキングを改善するための、さまざまな無料学習ツールを教えていただきました。

本日のレッスンの復習も兼ねて、教えていただいたオンライン学習ツールをここでご紹介します。

なお、ここで紹介するのはあくまで本日の発音レッスンでご紹介いただいたもののみ。ブリティッシュカウンシルのサイトでは、「無料英語学習教材」がいろいろ紹介されていますので、そちらもご参照ください。

www.britishcouncil.jp

 

★ 音声記号の見方をしる――Britich Counil phonemic chart

www.teachingenglish.org.uk

私はたまたま大学時代に言語学をかじった関係で、音声記号の見方はわかるのですが、一般的な中学・高校の英語教育を受けてきた方のなかには、「そもそも音声記号の見方がわからない!」という方が多々いらっしゃると思います。

また、音声記号の見方はわかっても、その記号の音として認識している音が本当に正しいのかどうか…については、常にチェックしておく必要があるでしょう。

phoenemic chart」(ウェブサイトの画面をスクロールさせて最下部までいくと出てきます)は、音声記号のボタンを押すとただしい音声を発音してくれるだけでなく、単語の位置によってどのような発音になるかを知るためのツールも用意してくれています。

ボタン右上にある小さな「▼」ボタンを押すと、3つの単語が表示され、それぞれ①冒頭にその音がくる場合、②間に入る場合、③最後に入る場合でどのような音になるのか、を知ることができるわけです。

なお、これをアプリ化した「Sounds Right」というアプリも存在していて、なんだかとても便利です。

learnenglish.britishcouncil.org

 

★ 正しい発音・発声の仕方を知る――Sounds of Speech

こちらは、正しい発音・発声の仕方について、アニメーション動画で教えてくれるアプリです。これは教師にとっても学習者にとってもありがたい!

以下、このアプリを紹介しているホームページのリンクと紹介動画のリンクを掲載します。

americanpronunciationcoach.com

 

 

動画を見ていただければわかりますが、これまでイラストのみで説明されていた、舌や歯の位置などがアニメーションで示され、どの音を出すためのどのタイミングで何をすればよいのかがわかりやすく示されています。

アプリそのものはこちらからダウンロードできます。

soundsofspeech.uiowa.edu

 

 ★  ゲームで発音練習!――Phoenetic focus

発音記号の見方や、発音・発声の仕方を理解したら、あとは練習あるのみ!ということで、楽しく発音について学習するためのさまざまなゲームを集めたウェブサイトを紹介します。

:: Phonetics Focus - A Sound Choice ::

こちらもアプリ版が存在しているようです。

ゲーム感覚で暇つぶしに発音の学習をするにはよさそうですね。

Phonetics Focus

Phonetics Focus

  • Cambridge English Online Ltd.
  • Education
  • £2.29