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kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

「若い女性と水夫」

専門学校の「論理的思考」の授業で、ちょっとしたディベートに展開できるようなグループ討議を試みうかと思い、良い課題を探していたところ、「若い女性と水夫」という課題を見つけました。この課題は、構成的エンカウンター・グループの課題としてよく用いられるもので、参加者は、以下のような活動を行います。

(1)「若い女性と水夫」の物語を読む
(2)「若い女性」「水夫」「老人」「フィアンセ」「(フィアンセの)親友」という五人の登場人物について自分が親しみを感じる順(要するに、「こいつはまだ許せる」とい う順)に順番をつける。
(3)どうしてどうしてその順番にするのか、「なぜ『まだ許せる』と思えるのか」の理由づけをし、グループでその意見を交換しあう。
(4)グループ内でお互いに説得しあうことによって、グループとしての順位をつける。

ひとりでも(1)(2)までやってみると、あらためて、自分の価値観に気づいたりします。お時間のあるかたは、ぜひやってみてください。

 嵐に遭遇して一隻の船が沈没した。その船に乗っていた人たちの中で、運良く5人が二隻の救命ボートに乗ることができた。一隻のボートには水夫と若い女性と老人の3人が、もう一隻には若い女性のフィアンセとその親友の2人が乗りあわせた。悪天候のもとで波に揺られるあいだに二隻のボートは別れ別れになってしまった。
若い女性の乗ったボートが、ある島にたどりついた。フィアンセと離ればなれになった 彼女は、フィアンセが生存している手がかりをつかもうとしてもう一隻のボートを探したが、何の手がかりも得られなかった。翌日になって天候が回復したが、相変わらずフィアンセの行方は分からなかった。
 彼女がなおも諦めきれずに見ていると、海のかなた遠くにひとつの島かげを見つけた。彼女は矢もたてもたまらず、フィアンセを探したい一心で水夫に「ボートを修理して、あの島に連れて行って下さい」と頼んだ。水夫は彼女の願いに応じてもよいと言ったが、一つ条件を持ち出した。それは彼女と一夜を共にするということだった。
 がっかりし、困り果てた彼女は、老人に「私はどうしたらいいか、何かよい方法を教えて下さい」と相談をもちかけた。老人は「何があなたにとって正しいのか、あるいは何が間違っているのか、私は言うことができません。あなたの心にきいて、それに従いなさい」と言うだけだった。彼女は悩み苦しんだ挙げ句、結局水夫の言う通りにした。
 翌朝、水夫はボートを修理して彼女をその島に連れて行った。フィアンセの姿を遠くから見つけた彼女は、浜辺に着くや遅しとボートから飛び出し、そこにいるフィアンセの腕に抱かれた。フィアンセのあたたかい腕の中で彼女は昨夜のことを話そうかどうか迷いましたが、結局思い切って打ち明けることにした。それをきいたフィアンセは怒り狂い、彼女に「もう二度と顔を見たくない!」と叫びながら走り去った。泣きながら彼女はひとり浜辺に降りていった。
 彼女を見たフィアンセの親友は彼女のところに行き、肩に手をかけて「君たち二人がケンカをしたことは僕にもよく分かる。フィアンセに話をしてあげよう。それでしばらくの間、私があなたの世話をしてあげよう」と話した。

ちなみに、構成的エンカウンターに参加したときの当時のわたしの順位は、確か、女性←老人←フィアンセの友人←水夫←フィアンセだったかな。この順位は、女性に感情移入しすぎているので、ちっとも論理的じゃないですね。でも、グループでの話し合いの過程で、自分で相手を説得しているうちに、自分の中で順序が変化していくのが面白かったことを覚えています。
この課題は、単なる価値観の問題を云々するだけなので、「議論しても不毛なだけだ」だという批判もありますが、わたし自身は、単なる価値観の問題で、感情論に流されてしまう問題だからこそ、それをある程度、相対的に見られるようなトレーニングになるのではないかと思っています。