kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

『イン・ザ・ミドル』読書会

 先日、横浜国立大学の研究室にて、「ナンシー・アトウェル『イン・ザ・ミドル』読書会 」を開催しました。

 

 

ナンシー・アトウェル(2018)『イン・ザ・ミドル:ナンシー・アトウェルの教室』(

三省堂

 

読書会に参加してくださったのは、リーディング・ワークショップ&ライティング・ワークショップの実践家でもある小学校の先生お二人と、国語科における「単元学習」に関心を持ちつつ、自分自身の次にやってみたい実践を探っていらっしゃる中学校の先生(4月から着任予定の大学院生を含む)お二人、そして、わたしの計5人。

 

わたしの大学の研究室内で開催できてしまうほどの小さな読書会。だからこそ(?)かもしれませんが、初対面の人たちがいるにも関わらず、すごく議論が盛り上がりました。

 

もともと、『イン・ザ・ミドル』の読書会をしたいと思ったのは、私自身がこの本のはじめの方(前書き~第1章)を見て、「これは、一人で読む本ではないな」と思ったことがきっかけでした。

わたしは、そもそも他の人に比べて、「これは一人で読む本ではない」と思うことが多いのですが、この本については、きっとわたしでなくとも「他の人と読みたい」と思うのではないか、と思いました。

事実、東京都青年国語研究会(青国研)で開催された『イン・ザ・ミドル』の読書会をはじめ、いくつかの研究会などで、読書会が開催されたという話も聞いていました。そのたびに、「やはり、この本は、一人で読む本ではないな」と思い、その思いは、第2章、第3章と読み進めるたびに広がっていきました。

 

そこで、青国研にも参加したことのある知り合いの先生方や大学院生、地域で、リーディング・ワークショップ&ライティング・ワークショップの実践をされている先生に声をかけてみたところ、快く、読書会への参加にOKをいただき、ひとりあたり、1~2つの章を担当して、分担しながら報告&ディスカッションしよう!と決めて、読書会を開催することになりました。

 

そして迎えた、読書会当日。

 

尽きない議論。湧き出てくる疑問。

3~4時間程度では、まったく終わりませんでした。

 

まず、なんといっても、『イン・ザ・ミドル』に記載されている、ワークショップの準備から実施、評価に至るまでの記述や資料の細やかさがすごい。

わたし自身は、この細やかさを、ナンシー・アトウェル自身の「譲り渡す(hand over)」ことの実践そのものだと思い、そのことに感動していたのだけれど、リーディング・ワークショップ&ライティング・ワークショップを実践されたことのある先生方にとって、その「譲り渡し」は、大きなインパクトをもたらすものであったようです。

 

 

 

 

「ハウツー本とは一線を画す」「緻密な計画、介入に驚きの連続でした」という言葉に、実践家にとっての本書の魅力が示されているように思います。

本書には、「こうすべき」「これはしてはならない」といったようなことは、ほとんど書かれていない。そういう意味では、一人の教師が、自ら実践してきたこと、そこで見出してきたことを一つ一つ丁寧に、「譲り渡す」ことをしようとしている…それだけの本だともいえます。

だけれども、自ら実践してきたことの中から見出してきたことを掬いあげる視点の細やかさ、それが資料に詳細に残されていること。

その一つ一つの、細やかな記述そのものがメッセージ性をもって、読者へと迫ってくるような、そんな気がします。

陳腐な言葉でいってしまえば、「神は細部に宿る」といったところでしょうか。でもたしかに、その細部の細やかさの中にあるものこそ、「神」なのだと、あらためて思わされます。

 

そしてその細やかさは、実践家にとってのワークショップの捉え直し―「ワークショップは自由に学ぶ時間ではない」「ワークショップは自立的な学びです」―に結びついていきます。

「ワークショップ」は、いわゆる「講義型」の従来の学習形態とは異なる新たな学習形態として日本に導入されてきたこともあり、「講義型」=強制(不自由)、「ワークショップ型」=自由といった二項対立でとらえられることも、まだまだ多いように思います。

あくまでも、「ワークショップ」は、新たな学習形態なのであって、「ワークショップをどのような学びの場としてデザインするか」「ワークショップで、どのような学びを実現するか」という点を議論しなければならないのに、何となく、それがないままに、「自由な」「楽しい」という側面が強調されていってしまう。

 

参加者にとっての選択の自由、活動の自由が保証されているからこそ、そこで生じる多用な学びを見るためには、緻密でスピーディな判断が必要となります。

そのことを、何よりも雄弁に物語っているのが、『イン・ザ・ミドル』の中に示された様々な実践の資料と、それらの実践の中から得られた記録。

自ら、リーディング・ワークショップ&ライティング・ワークショップを実践したことがあるからこそ、その緻密さ・細やかさがインパクトを持って感じられるであろうことも、想像に難くありません。

 

このような、それぞれの経験に基づく読みを持ち寄ることによって、読書会では、また違ったことが見えてきたことも、今回の読書会の成果のひとつでした。

特に、今回は、「単元学習」に関心を持ち、フィールドワークに基づいた大学院生も参加してくれていたこともあり、「単元学習とワークショップとの違い」という論点が浮かび上がってきました。

 

 

この議論のなかで、全員が、ハッと気づかされたのが、単元学習とワークショップとのサイクルの違いでした。

リーディング・ワークショップ&ライティング・ワークショップでは、子どもたちが、同じサイクルを何周も何周も繰り返すので、必然的に、たくさんの書く経験を得たり、たくさんのジャンルの本を読んだりすることができます。

一方、単元学習では、単元そのものを細かくしたり、大きな単元の中でもその中に埋め込む活動を細かくすることによって工夫できる点があるとはいえ、基本的に、単元そのものは大きなプロジェクトになりがちで、同じサイクルを何度も繰り返すことによる学びは得られにくいのではないか、という議論がありました。

もちろん、長大な単元だからこそ、大きなプロジェクトを集合的に達成することでしか実現しえない発達や成長もあります。

だからこそ、どのような学習が、どのようなデザインによって可能なのかを見極めながら、カリキュラムを、学習の場をデザインしていく必要がある。

 

巷にあふれる「ハウツー本」のように、たいした理由もなく「〇〇すべき」「〇〇すべきではない」を並べ立てるのではなく、丁寧に緻密に、実践の中で生み出されたデザインとそこで見出されたことを、丁寧に記述し伝えていくこと…すなわち、「譲り渡す」ことで、それを譲り渡された側ができること、考えられることは、各段に増えていくことになるのではないかと思います。

 

そして「譲り渡」された側として、その「譲り渡」されたものを活用していくためには、その「譲り渡」された何かを、自分のもつ文脈に置き換えながら、自分自身の未来への選択肢を拡張していくことが、大切でしょう。

そして、その選択肢の拡張は、広ければ広いほど、良い。

その拡張の幅を広げるための方法として、読書会は、もっともよい手段のひとつだと思うのです。

 

…というわけで、『イン・ザ・ミドル』は一人で読んでもインパクトの大きい書籍ですが、ぜひ、1人でも2人でも、仲間を誘って、読書会をしてみることをおすすめします。

 

なお、3~4時間かけても、第2章の途中までくらいしか議論できなかった私たちは、4月以降、『イン・ザ・ミドル』第2回読書会を開催する予定です。

 

ご興味のあるかたは、よかったら、お声がけください。