タラ・ウェストーバー(2020)『エデュケーション( Educated: A Memoir)』を、読んだ。
Amazonのページにある華々しい紹介文や、推薦コメント、そして邦訳につけられた「大学は私の人生を変えた」から推察されるように、この本は、「モルモン教サバイバリストの両親から、虐待にも近いような酷い教育を受けた著者が、大学教育を通じて人生を取り戻していくサバイバルストーリー」として読まれているらしい。
そして、著者であるタラ・ウェストーバーのホームページを見ても、自身の説明(「About」)に、大学院で歴史学を学んだことについてちょっと触れている程度なので、それほど、自分自身が、「歴史学者(hisotorian)」であるということについては大切に思っていないのかもしれない。
それはそうなのだけれども、本書の意義は、歴史学を学び、ケンブリッジ大学で博士論文「アングロ・アメリカンの協力思想における家族、道徳規範、社会科学1813-1890(The family, morality and social science in Anglo-American cooperative thought, 1813-1890)」(British Libraryのオンライン論文サービスに提供されている情報。翻訳は、邦訳書p476より)を提出し、博士号を取得した「タラ・ウェストーバー博士」によるライフヒストリー(個人史・生活史)研究と位置付けた方が良いように思える。
本書のところどころに、日記について言及されていることから推察されるように、、本書が、子どもの頃から、ほぼ毎日欠かさずに書き続けた日記を「史料(資料)」として用いて書かれていることは、疑いようがない。
また、本書の「謝辞(acknowledgementを「謝辞」としか訳せないのはどうにかならないのか…)」には、著者の3人の兄のうち、博士号を取得した2人の兄が「時間をかけて、記憶を呼び起こす作業をしてくれた」こと、「原稿を読み、詳細を加え、本書ができる限り正確なものとなるように協力してくれた」ことが記載されている(p495)。
さらに、本書にはプロフェッショナルによるファクトチェックも行われている(p496)。
つまり本書は、歴史としての個人史を記述するためのデータとの対話、それを検証することのできる人物による証言の収集と対話、そして、第三者によるプロのファクトチェックまで受けてできあがった「歴史書」なのだ。
文化人類学においては、自叙伝など、自分自身が経験したことを、自身の記述によって描出したものを「オートエスノグラフィー」と呼ぶが、本書は、歴史学者が、歴史学的アプローチによって記述した「オートライフヒストリー」(とういうのも、おかしいが)といえるのかもしれない。
単なる自叙伝を越えて、ここには、歴史学の手法を学んできた研究者としての視点がある。逆にいえば、そのような視点と歴史学的技法を身に着けていたからこそ、タラ・ウェストーバーは、モルモン教サバイバリストの両親を中心とした「記憶改ざんワーク」が派手に展開し、親族の多くから「お前の記憶は間違っている」と言われながらも、本書を書き上げることができたのかもしれない。
本書の最後の方では、両親による「記憶改ざんワーク」によって、著者自身も、「自分の記憶は信用できないのではないか」と疑いはじめたりして、そのことが、記述する主体によってオートエスノグラフィックに記述される様は、エキサイティングですらある。
わたしは、質的研究の立場から、研究者による「絶対的な視点」を疑ってきたし、フィールドノートを見直せば見直すほど、自分の記憶の不確かさに絶望することがあるけれそ、その記憶の不確かさそのものを記述する言葉をもっていない。
本書の凄みは、記憶が揺れつづけること、常に、異なる記憶を提示する人々に囲まれつつ、その中で、その記憶の揺らぎを含みつつ「書く」ための文体を提示したことにあると思う。
オートエスノグラフィーの手法に関心のある人々にとっては、必読書だといえるかもしれない。
そして、それを踏まえたうえで、わたしは本書の最後に著者が記した以下の文に疑問を呈したいと思う。
これを何と呼んでくれてもかまわない。変身。変形。偽り。裏切りと呼ぶ人もいるだろう。
私はこれを教育と呼ぶ。(邦訳書, p491)
わたしは、英語の"education"にどのような含意があるのか、まではわからない。
それでも「教養ある(educated)」という意味と近しい含意があることはわかる。
欧米における「教養」がどこまでのことを意味するのか、わからないし、近年の教養教育が、アカデミックリテラシーやリサーチリテラシーの教育までをも含んでいることは知っているけれど、それでも、わたしは、これを「教育」ではなく、「研究」と呼びたい。
著者が、記憶改ざんワークを乗り越えて、本書をかけたのは、やはり、歴史学の技法、その問いかた、その「確かなるもの」の定め方を信じることができたからだと思うのだ。
研究の方法論に依拠しながら、一方で、それをクリティカルに見ながらそこに立ち続けることで、何かを見出そうとするそのことを、わたしは「研究」と呼びたいと思う。