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自閉症的世界のトランスレーションのトランスレーション~映画『僕が跳びはねる理由 (The Reason I Jump)』

日本語版のタイトルが、東田直樹さんの原作タイトル『自閉症の僕が跳びはねる理由』ほぼそのままなので、『自閉症の僕が跳びはねる理由』の映画化か、東田さんのドキュメンタリ―映画か?と誤解されそうだけれども、まったくそんな映画ではありません。
 
 むしろ、日本で映画公開するときにも、David Mitchellの訳書タイトル『The Reason I Jump』のままにしたほうが誤解が少なかったと思うくらい、トランスレーションにトランスレーションを重ねることによって、日本固有の「東田直樹」という固有名を離れて、ひとつの〈普遍〉へと向かおうとする作品だと思いました。
 
この作品を、あえて、東田直樹の語りという文脈に差し戻すことは、果たして、東田さん含む関係者にとって、望ましいことなのか…わたしには、わからないところがあります。今回の映画公開にあわせて掲載された、東京新聞での東田さんのインタビュー記事も見てみましたが、やっぱりよくわからない。東田さん自身の語りと、マスメディアの作り出そうとするストーリーとの間に距離を感じてしまいます。
 
自閉症の僕が跳びはねる理由』を英訳したDavid Mitchellは、SF超大作『クラウド・アトラス』の原作者です。
クラウド・アトラス』は、わたしも映画しか見たことないですが、予告編ですでに5分もある(!)という超対策で、19世紀から24世紀までの過去-現在-未来を横断しながら、様々な時代・地域で展開される6つのエピソードが、ひとつの共通するテーマでつながりあっていくSF超大作です
映画レビュー的には、トム・ハンクスが1人で6役を演じているというところも話題になっていました。他の役者さんもそれぞれかなり多数の役を演じているんですが、けっこうそれがわからなくて、びっくりする映画です。…うん。こんなこと書いていたら、また観たくなりました。
 
David Mitchellはそのの原作者なのですが、『The Reason I Jump』も(読んだことないけど)『クラウド・アトラス』的なナラティブをもった訳出がされているんじゃないか、と思うほど、このドキュメンタリー映画の持つ世界観が「クラウド・アトラス」的に見えました。
生きている時代は同じながらもバラバラの地域で、我々と異なる世界を生きてる人たち……その世界の異なる地域に生きる自閉症者たちの世界観が「東田直樹」の言葉のもとにつながっていくイメージです。
…あれ?そんな演出、『クラウド・アトラス』にもあったような……?と思いました。
 
予告編をみると、「驚きと感動の”体感”ドキュメンタリー」と書かれていて、「驚きと感動の」というのはあまりにも陳腐だと思つつ、体感に迫る音と映像のなかで、これまでとは異なる世界の「見え」が開かれた感じになるのは事実です。
いくつか異なる角度から切り取られた本編映像が公開され、すでにオンラインでも見られるようになっているようなので、いくつか見てみて、興味を持ったかたはぜひ映画館で観てほしい、と思う映画でした。
 
せっかくなので、いくつかご紹介します。
 
1.「雨が降っている」という状況を理解するまでのプロセスを描出する
 
2.すべての記憶がスライドショーのように共存していて、それが突然、嵐のように襲ってくる
そして、記憶の話。
かなり以前の記憶であるはずの幼少期の記憶も、さっき起きたばかりの真新しい記憶も、すべてが同じレベルで共に存在していて、それがスライドショーのように移り変わる……そして、それらの記憶とそこにある感情が嵐のように襲い掛かってくる、という風景です。
 
わたし、今も、この本編公開映像を視聴して、少しつらい気持ちになったのですが、そのくらい、記憶が襲い掛かってくるそのときの体験が、そのときの感情が沸き起こってくるような感じがしました。
わたしも、ときどき、過去のつらい記憶が突然襲いかかってきて、道端に座り込んでしまうときがあるのですけど、そのときのことが、それこそ、ワーッと「襲いかかってくる」感じがあります。
 
3.言いたいことが言えない、自分が自分の思うとおりに動かない
これは、いくつか視聴したなかでも、もっとも、好きな本編映像です。

わたしみたいに、学部から教育学などを学んできた人間にとっては、ここで映し出される「自閉症児者の言動」は、観察者的言語で「理解」される対象(「知識」)であったと思うのです。そして、いつの間にか、現実でそういう場面に触れるときに、ついそういう言動を見るだけで、観察者的になってしまっている自分に気づくことすらあります。そして、そういう自分を離れることは、本当に、難しいことなのです。

そういう観察者的な言語でしか見られなかった「言動」が、この映像のなかでは、彼ら自身の内なる世界観として現れ出てきていて、それを見るだけで、自分の世界がフワッと変わったように感じられました。同じものを観ているはずなのに、「観察者的言語」で観ずに、「うん。どんなことが言いたいの?」と、二人称的に向き合える関係になtっている……そんな自分に気づきました。

(さすがに、本編を観たあとだからそう見えるんでしょうか?これだけを観てもあまりわからないかもしれませんね。だとしたら、ごめんなさい!本編観てください!)

 

4.「僕が跳びはねる理由」

最後に、タイトルでもある「僕が跳びはねる理由」について描き出された本編映像をご紹介します。

この映像も公開しちゃうんだ!タイトルだけ見て映画を知った人から見ると、「こんな映像を本編映像として公開しちゃうんなんて、一種のネタバレでは?」とか言われそうだな、と思ってしまいました(笑)


www.youtube.com

 「跳びはねる理由」は、とても不自由で重いものだけど、跳びはねているその時間は、やっぱり「自由」で、その清々しさが映像からも伝わってきます。

 

KADOKAWA映画だし、マスメディアでもたくさん記事化されているみたいだし、きっと、たくさんの映画館で上映されるんだろう…と思って、「劇場情報」を確認したら、思ったより多くなくて、ちょっとびっくりしています。

映画館で、スクリーンの映像と音で観たほうが良い映画だとは思いますので、興味のあるかたはぜひ!とおすすめしておきたいと思います。

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21_21design sight「トランスレーションズ」展入口より