kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

非可知(unknowable)な世界のサバイバーーともに学んできた4年間を振り返って

今日は、勤務先の大学の卒業式でした。

緊急事態宣言が直前まで続いていたことから、全学行事としての「卒業式」は中止となり、領域単位での「学位授与式」だけが執り行われました。

それでも、やっぱり、今日は「卒業式の日」なんだと思います。

 

今日は、一時、雨が降ったりもしましたが、数日前に一斉に咲いた桜が、かなり久しぶりにキャンパスに来る彼らを出迎えてくれたことが、せめてもの救いでした。

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キャンパス内の桜

実は、今年度送り出す卒業生たちは、わたしが、1年次必修のフィールドワーク授業「教育実地研究」を担当するようになって、はじめての学年の学生たちです。

 

この4年間は、わたし自身が、自分自身の教育・学習論を猛烈に問い直していた期間でもあり、まったく字義通りの意味で、学生たちとの授業の中で自分自身が学ばされてきた、考えを発展させてきた、という実感があります。

 

「教育実地研究」では、インプロパーク・鈴木聡之さん(すぅさん)による、学級づくりを視野においたインプロ(即興劇)のワークショップを経験したあと、当時まだ、効公立小学校で勤務されていた、あおせんさんの教室にみんなで訪問し、みんなで一緒に体育と道徳の授業を観ました。

そのとき、みんなと一緒に観た、プロジェクトアドベンチャーの手法を取り入れた道徳の授業がとても印象的で、そのときに感じたことから自分で考えを深めていった結果が、全国大学国語教育学会でのラウンドテーブルにつながっていったように思います。

そういえば、このブログ記事で使われている写真も、道徳の授業見学後、なぜか突如はじまった、「ヘリウムリング」体験の写真でした!なつかしい!

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 このときの「教育実地研究」受講メンバーの中のなんにんかは、その後、3月末に行われた「ワタリ―ショップ」インプロ×リフレクションにも参加してくれました。


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学生たちが1年生のときに、このように、「いま・ここ」の場で行われている学習に目を向けていく、ということが、わたしの中でもひとつのテーマになっていました。


2年次の必修授業「初等国語科教育法」では、わたしの中で関心がさらに進んで、自分のなかで生じた経験をいかに言葉化していくか、振り返りによって、それを次なる実践へと結びつけていくか、ということがテーマになっていました。

そのため、「対話型模擬授業検討会」の学部レベルでの展開を模索するような試みをしてみたり、
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アクティブ・ラーニング・パターン《教師編》」を用いた模擬授業の振り返りと、そのコメントに対して、ロカルノさんにさらにコメントをしていただく、というような「リレー企画」をやったりしてみました。

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3年次の教育実習とその振り返り、そして、さらにその振り返りにもとづく研究テーマの設定と卒業研究があり…これからいよいよ、学生たちが自分自身で、自分のなかの探求の「種」を育てるために何か自分にもできることがあるかもしれない!と思っていたタイミングで、新型コロナウイルス感染拡大の影響による、授業全面オンライン化の壁に直面してしまいました。

 

わたしのように、フィールドワークをベースにした研究調査を行ってきたものにとって、対面での活動が大幅に制限された状態で、学生たちの「やりたいこと」に基づいた研究調査をサポートしていくことは、本当に、困難なことで……、本当に学生たちが追及したいというテーマに寄り添うことができたのか、それを少しでもサポートすることができたのか、と振り返ってみると、「できなかったこと」「やれなかったこと」ばかりが思い浮かんできます。

 

そんななか迎えた、今日の卒業式。

わたし自身の探求のプロセスをともに走ってきてくれた、多くのことをわたしに学ばせてくれた学生たちから、たくさんの感謝の言葉にあふれた色紙をいただきました。


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わたしにとっては、「やったことないこと」にチャレンジするばかりの4年間でしたし、その活動をともにしてくれた学生たちにとっても「知らないこと」「やったことのないこと」は、たくさんあったのではないかと思います。

そして、最後の年には、わたし自身のみならず、誰にとっても「わからない」ことだらけの世界が訪れ、その「未知(いまだ知らない)」どころか「非可知(知ることができない)」とすらいえる状況のなかで、なんとか創造的にその状況を生き抜いていかざるを得ない状況がありました。

 

誰にも「正解」がわからない、むしろ「正解」なんてどこにもない、非可知な世界のなかで、わたし自身がなんとかここまでやりとげることができたのは、今日、卒業式を迎えた学生たちのおかげだと思っています。

彼らとともに4年間学んできたことの意味は、わたしにとっても、すごく大きい。

 

でも、卒業は「終わり」であり、「始まり」です。

わたしの研究室の卒業生たちは、4月から、公立小学校で教員として勤務したり、あるいは教職大学院でふたたび新たな探求を始めていきます。

彼らが実践や研究の現場で、新たな研究=実践をはじめるなかで、わたし自身もまたこれまでとは異なるかたちで、彼らと一緒に学んでいけたら――そんなことを思わずにいられません。

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キャンパス内の桜