kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

トガルための100作品:「言葉を知り、世界を知り、君を知る。」そして、わたし自身を知る。~ヴィジュアルノベル・ゲーム「7 Days to End with You」

2022年8月に、言語文化教育研究学会(ALCE)の例会として開催された「『トガル』ためのビブリオバトル」(PDFに参加し、そのときにお話しした内容にもとづき『トガルための100作品』に、言語の滅びをテーマにしたTRPG「ダイアレクト(Dialect)」の紹介記事を掲載していただきました。

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その1年後、2023年8月12日に、「かえってきた『トガル』ためのビブリオバトル」(言語文化教育学会(ALCE)第93回例会)(PDF)というタイトルで、再度、ビブリオバトルが開催されることとなり、ふたたび、言語の教育に関わる者としてのわたしの考え方に大きな影響を与えたゲームを紹介する機会をいただきました。
そして、またありがたいことに、そこでお話ししたことにもとづき、紹介記事を掲載していただけることになりました。

今回、ご紹介したのは、ヴィジュアルノベル・ゲーム「7 Days to End wity you」

INDIE Live Expo2022で「ルールズオブプレイ」賞を受賞するなど、広く知られた名作中の名作ゲームで、しかも、そのゲームプレイの面白さの本質に「人と言葉との関わり」がある…というすごいゲームです。

みんな大好き「ゆる言語学ラジオ」でも、4回分をかけて「ゲーム実況」をされていたりしているので、おそらく、この会に参加する皆さんもご存じであるだろう、と思いつつ、わたし自身の視点から、このゲームをプレイすることで出会える言葉の面白さを紹介することにしました。


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わたしが、『トガルための100作品』でご紹介した内容を、こちらにも転載します。よろしければご覧ください。

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「言葉を知り、世界を知り、君を知る。」そして、わたし自身を知る。―ヴィジュアルノベル・ゲーム「7 Days to End with You」―

​新たな言語を学ぶことで、自分自身の世界がまったくこれまでとは違って見える体験をしたことがあります。

私にとって、それは、他人に話すと笑われてしまうような、とても小さなささやかな体験で、だけど、とてつもなく大きな体験でした。

自分自身がこれまでモヤモヤ感じていた何かに「かたち」が与えられて、自分自身の現実のなかに「それ」がハッキリと位置づき、それによって、世界の見え方が変わった瞬間だったのです。

それは、大学の韓国語の授業で「감기몸살(カムギモムサル)」という単語を知ったときのこと。

 

その授業では、病気にかかわる韓国語の語彙を学んでいて、そのなかで「風邪」をあらわ語彙のひとつとして「감기몸살(カムギモムサル)」が紹介されていました。

先生は、「감기(カムギ)」と「감기몸살(カムギモムサル)」は両方とも「風邪」を表すのだけど、そのニュアンスは違っていて、「몸살(モムサル)」は、だるい感じの筋肉痛なのだよ、と言って、「ほら、風邪のときに、身体が痛くなったりするでしょ、あの感じの筋肉痛。」と私たちに説明しました。

 

そのとき、クラスの他の学生たちは意味がわからずポカーンとした様子だったのですが、私の中には、静かな激震が走っていました。

なぜなら、それまで、どんなに家族や友達、知り合いに伝えてもわかってもらえなかった痛みやつらさに、はじめて、言葉が与えられた瞬間だったからです。

 

「幼少期から感じていたのに、誰にもわかってもらったあの痛みは、「감기몸살(カムギモムサル)」だったんだ!わたしが感じていたあの痛みは、やっぱり現実だったんだ!」

「あれを「痛い」と感じていたのは私だけじゃなかったんだ!」

…と感動し、「ウォーター!」と叫びながら教室を抜け出して踊り狂ってしまいたい、という思いであふれていました。

わたしと世界とのかかわりの中で生じる感覚や感情、認識のようなものに「かたち」が与えられること。

それは、とても、感動的なことです。

ヴィジュアルノベル・ゲーム「7 Days to End with You」は、そんな瞬間に出会わせてくれるゲームです。

​「7 Days to End with You」をプレイするときの経験については、「赤ちゃんが言葉を覚えるときの気持ちがわかる」「フィールド言語学者の気持ちがわかる」などと評されているようです(参考:「【ゲーム実況①】フィールド言語学者の気持ちが分かるゲーム【7days to end with you】」『ゆる言語学ラジオ』第120回放送)。

 

私自身もこのゲームをプレイした後、それらのレビューを見て、なるほど、と納得していたのですが、ゲーム実況動画で、他の人がこのゲームをプレイする様子を見ていくうちに、それとはまた異なった見方を持つようになりました。

 

​それを一言でいうのであれば、「わたし自身の世界の認識のありかたとの出会いを知るゲーム」ということになると思います。

 

本ゲームのキャッチコピー「言葉を知り、世界を知り、君を知る。」と重ねていえば、

「言葉を知り、世界を知り、君を知る。そして、わたし自身を知る。」ゲーム、ということになるでしょうか。
 

それは、思い起こしてみれば、1人でプレイしていたときにも、生じる経験では、ありました。

たとえば、「箸」と「フォーク」と「スプーン」が同じ文字列の単語として示されたときに感じた混乱は、自分がふだん世界を認識するときに前提として有している言語体系の力強さをわたしに印象づけました。

また、2人でプレイしながら、ある文字列で示される対比が「大」-「小」なのか、「多」-「少」なのか、「長」-「短」なのか、あるいはそのどれでもなく、それらすべてを包含するような概念の対比なのかを議論していると、ふだんは同じ日本語で話しているその人が、自分とはまったく異なる枠組みで世界を認識していることに気づきます。


ゲーム実況動画はさらに興味深く、そもそも、自分の発想の及ばないところで、ある文字列の語義が定められていったりして、もはや眩暈に近い感動を覚えます。 

 

そう。

考えてみれば、当たり前のことですが、たとえ、同じ言葉を話していても、そこで意味されているものは、まったく異なるのです。

ゲームという限られた世界のなかで示される物事に対する認識やそこへの名づけの仕方が、こんなに異なるのですから、現実で行われるコミュニケーションのほとんどは「誤解」によって成り立っているといっても、言い過ぎではないのではないでしょう。

​でも、現実におけるコミュニケーションが「誤解」ばかりであるからこそ、私たちは、その「わかりあえない」地点から、対話を始めることができるのだし、それこそが、私たちのコミュニケーションの可能性を大きく開いてくれるものだとも信じています。

​そのような意味で、「7 Days to End with You」は、コミュニケーションの(不)可能性にあらためて気づかせてくれるゲームであるともいえるのかもしれません。

故宮博物館での展示