kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

「Yes, and」と「Creative Disagreement」とネガティブな感情と~「ワタリーショップ×学びのリフレクション」

2018年3月30日に、横浜国立大学にて、教育×即興×省察 春の体験会「ワタリーショップ×学びのリフレクション」が開催されました。

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watari-bouya.com

 

6dim+(ロクディム)渡猛さんによるワークショップ(「ワタリーショップ」)と、上條晴夫先生(東北福祉大学)井谷信彦先生(武庫川女子大学)による「協働的な授業リフレクション」のコラボレーション企画。

 上條先生によるリフレクションについては、以前、上條先生のご著書『実践・教育技術リフレクション あすの授業が上手くいく〈ふり返り〉の技術(1) 身体スキル』のレビューも書きましたので、そちらも御覧いただけるとうれしいです。


kimilab.hateblo.jp

 

「ワタリーショップ×学びのリフレクション」は、定員を超える方々に参加申込をいただき、当日のワークショップおよびリフレクションも大変盛り上がりました!

ワークショップ後、SNSのグループなどで盛んにコメントのやりとりがなされ、参加者の方々の興奮冷めやらぬまま、新年度へと突入した感じがしています。

 

私自身、ちょうど、諏訪正樹(2018)『身体が生み出すクリエイティブ』(ちくま新書)を読んだばかりだったこともあり、本書に記載されている「からだメタ認知に関する議論、クリエイティブになるための道筋などが、まさに、このイベントの中の、「ワークショップ(ワタリーショップ)」→「学びのリフレクション」の往還のなかで、ぎゅぎゅっと凝縮して体現されいる気がして、あらゆる瞬間が「ああ!これこれ!」という感じで、とてもエキサイティングでした。

 

一方、そんな中、ある参加者の方から、個人的に、ワークショップやリフレクションの中で生じる、ネガティブな感情の行く末、それとの接し方についてお問合せをいただきました。

わたし自身、今回のイベントの中で、そのことに少し違和感を感じていたこともあり、あらためて、インプロ・ワークショップやそれをめぐるリフレクションでの、ネガティブな感情の扱い方について、考えさせられてしまいました。

 

ネガティブな感情の扱いについて、考えさせられた場面。

それは、《プレゼント・ゲーム》(だと思う。違っていたらごめんなさい)の活動が行われた場面です。


【インプロTV18】《プレゼントゲーム》発展編!

 

今回の「ワタリーショップ」のなかでは、相手が喜ぶような「プレゼント」を相手に渡すことが求められました。

とはいえ、参加者はほとんど初対面同士なので、何が相手にとって「うれしい」ものなのかはわからない。だから第一印象で思いついたものを「プレゼント」したりせざるを得ないわけです。

だからこそ、自分がGiveした「プレゼント」が受け入れられたときは、すごく幸せなエネルギーが二人の間に生まれる。「プレゼント」をGiveすることに対して、相手がポジティブな感情をGiveしてくれる。二人の間に、Give & Giveの関係が生じ、幸せのエネルギーが渦巻いていく…そんな姿をいくつも目撃しました。

事実、リフレクションの中でも、《プレゼント・ゲーム》で生じたポジティブな感情について語ってくださる方も多かったように思います。

わたしは、このワークに参加する皆さんの姿を見ながら、「ああ…渡さんは、こういう関係ので創り出される、幸せのエネルギーの循環や、そこから特別なパワーが溢れ出ていくような空間や時間を、すごく大切にしているんだろうな」と思いました。

それは、わたし自身が、6dim+での、渡さんのパフォーマンスを見ていて感じることでもありました。

 

一方、相手の「プレゼント」=オファーに対して、「Yes, and」と肯定的に受け入れなければならないことは、時に、苦しいことでもあります。

もちろん、渡さんもそのことには配慮してくださっていて、無理に肯定的に受け入れなくても良いというようなことはおっしゃってくださっていたのだけど…、それでも、参加者の多くが、相手から与えられる「プレゼント」を肯定的に受け入れ、それによって幸せのエネルギーが渦巻いている場のなかで、「No」を言うことは、とても大変なこと。

 

わたし自身のことでいうと、《プレゼントゲーム》の中で、食べ物の「プレゼント」をされされると、毎回、けっこう困ってます。

「おっきなバースデーケーキ」とか、例として持ち出されることも多いような「プレゼント」なんだけど、毎回、「うーん…食べられないなぁ…カロリー高そうだし、困るなぁ…」って思う。

でも、「プレゼント」を渡そうとする人の、「これだったら、喜んでくれるはず!」「喜んでほしい!」という気持ちもめちゃくちゃわかる。

でも、わたし、万年ダイエッターなんです!拒食症経験者なんです!

そもそも胃腸が弱いし、カロリー高そうなものははじめからお断りなんです!ごめんなさい!

…とも言えないし、うーん…という感じ。

 

思い出してみると、同じような《プレゼントゲーム》にもとづくアクティビティであっても、6dim+カタヨセヒロシさんのワークショップでは、かなり「No」をいうことを大切にされていたように思います。

カタヨセさんには、2012年から数年間にわたって、水戸でインプロのワークショップを開催していただきました。

6dim.com

こちらのページのワークショップ紹介にも書かれているけれど、カタヨセさんのワークでは、「うまくいかないけど楽しい」「失敗するからおもしろい」ということが大切にされていて、「No」といえる環境のデザインが、そのなかに自然に溶け込んでいる感じがしました。

 

《プレゼントゲーム》ようなアクティビティにおいても、アクティビティを始める前に、「自分が『これじゃないな』と思ったときには、優しく『Non!』(指を顔の前で振って)って言ってね」という、コメントがあります。『Non!』と言われたら、役割交代をすることになっているので、逆にいえば、「Non!」と言わないと、アクティビティが進んでいかない。

だから、自分がちょっとでも「あんまり気が乗らないかも」と感じたら、すぐに「Non!」といえる環境がありました。

 

そんなわけで、「No」をいうことは、わたしにとってとても自然なことだったのですが、キャリー・ロブマン&マシュー・ルンドクゥイスト(2016)『インプロをすべての教室へ』の翻訳に関わるなかで、いろいろインプロについて知る機会が増え、インプロにおいて、「Yes, and」の価値観が中心的な価値観としてとても大切にされているということがわかるにつれ、カタヨセさんのこのやりかたが、けして、「当たり前」でないということもわかるようになりました。

そういう経験を踏まえて、あらためてカタヨセさんのワークショップを受けてみると、

「『Yes』って言わなくてもいいんだ!」とあらためて感じたりして。

で、そのことを数年前に、カタヨセさんに聞いてみたところ、「とにかく「Yes, and」であることをかたくなに守ろうとする人たちもいらっしゃるとのこと。

そのときにはじめて、「Yes, and」に対する解釈や立場が、インプロに関わる人たちのなかでも様々であることを知りました。

 

 

2017年3月に、キャリー・ロブマンさんが来日し、ワークショップと講演会が開催されました。

そのときのワークショップで、前半に「Yes, and」に関わるアクティビティが行われ後、ロブマン先生が、

「日本の人たちは、『Yes, and』と言いながら、実はその人の話を全然聞いていないのね。むしろ『No, but』を言うときのほうが、その人の話を聞いて関係を構築しようとしている」というような趣旨のことをおっしゃり、

後半のアクティビティとして、「不平オーケストラ(complaining orchestra)」といったネガティブな感情に関わるゲームや、「創造的な不一致(Creative disagreement)」に関するゲームを行ったことを思い出します。

 

 

わたしたちは皆が違う存在であり、誰かが「良い」「幸せだ」と思うもので、他の誰かがネガティブな感情を抱いたりことがあります。

わたしたちは、常に、幸せな状態で「Yes, and」と言い続けられるわけではありません。

そういう価値観が多様な世界のなかで、みんなが共生していく方法としてのインプロのありかたを考えるときに、ネガティブな感情をどう扱うのか、「Yes, and」をその中でどのように位置付けるのか。

この問題は、とても大きな問題であるように思います。

 

 

わたし自身の立場としては、もちろん、感情の抱き方、感情の在り方そのものも、みんなで発達させていけるような学びの場として、インプロ・ワークショップのような場を捉えていきたい。

そういう学びの場を実現するために、考えるべきことは、まだまだたくさんあるのかもしれません。