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kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

芸人が「芸人」でいられるためのシステムとは

今日は、仕事で関わらせていただいている
「小金井110人のストーリー」に参加するため、
JR武蔵小金井駅から徒歩7分、
小金井アートスポットシャトー2Fに行ってまいりました。

◎「小金井110人のストーリー」小金井110人のストーリー


今回のゲストは、東京学芸大学在学中にコンビ結成し、わずか1年でテレビ番組にレギュラー出演も果たしたという学生お笑いトリオの「プラスガンマ」さんということで、『お笑い』好きとしては見逃せない!という感じで、行ってきました。

◎プラスガンマさんによる漫才「怖い話」

「小金井110人のストーリー」では、
毎回ゲストをおよびして、公開インタビューの形式でお話をうかがう・・・ということで、今回も、「お笑い芸人のフリートーク」というよりは、
けっこうマジメに、どういう過程でそれぞれのメンバーがお笑い芸人をめざし、
どういう過程でコンビが結成され、
コンビからトリオになるときに、その新たなメンバーがどういう思いを抱いていたのか、などなど、
「お笑い芸人」と呼ばれる方の、心の底にある声を聞けたような気がして、私にはそれがおもしろかった。

その中でも特に印象に残ったのは、
司会の方の「今後はどのような展開を目指されていますか?」という質問に対して出された、
「芸人が『芸人』としてあれるようなかたちで活動をしていきたい」という言葉。

今年の正月、ほぼ1年ぶりに、テレビでお笑いバラエティショーを見て、深いショックを受けたわたしには、とても印象的でした。

よく、面白いと言われていたお笑いの人が、『エンタの神様』などのバラエティ番組に出るようになるたびに、
「○○さんも、『エンタ』で食いつぶされていくんだね。残念。」
という言葉がつぶやかれます。

こういう言葉を聞くたびに、今のテレビ番組のシステムは、お笑い芸人の方々がきちんと「芸人」としていられるためのシステムになっていないのではないか、と思ってしまう。
確かに、よくありがちなバラエティ番組で、クイズなどのゲームに興じていたり、
後輩やお客さんをネタにしてからかったり、そんなことをしているだけの人を、果たして「芸人」と呼べるのか、というと疑問が残ります。

芸人が、きちんと「芸人」であること。
そのためにはどうしていったらいいのか。
また、それを支えるためには、どういう社会や経済のシステムを作っていったらいいのか。

そんなことを考えさせられました。

とはいえ、そういうことを考えることができたのも、いわゆるテレビ芸人でない、これから自らの道を定めようとしている、プラスガンマの方をゲストとしてお迎えして、公開インタビューを行う・・・という今回の機会があったからこそ。
「お笑い」にせよ、アートにせよ、
その作り手側にある人と、受け手側にある人が、率直にその言葉を聞き合う機会というのは、こういう意味でこれから重要性を増していくのではないかなぁ、と思います。

最後には、なんと新作コントも見せてくださいました!

こういう10人弱くらいの場で、「このコントの『受け』感はどんなもんやろ?」的な感じで発表の場があり、
そこに参加できるというのもなんか良いなぁって思います。

漫才でもコントでもダンスでも音楽でもアートでも、地道に少しずつオーディエンスを育てていくことが大切。
そのためには、大きな規模で発表する場があるだけでは不十分で、
小さな集まりのなかで二人称的なコミュニケーションが確保されつつ発表する場、
もう少し大きくなって少しフォーマル度の高くなった中規模な場など、
さまざまなレベルの場が存在しなければならない。
そういう場のひとつのありかたを見たような気がしました。

「お笑い」志望の方々が増える中で、突然思い立ったように、舞台だ!テレビだ!さもなければスクールだ!・・・となりがちですが、本来だったら、たとえば中学校や高校の部活・サークルや文化祭のような場が、まずは必要なんですよね。

作り手と受け手が同じコミュニティの中で、互いに育みあうような場やシステムのありかたを、これからも考えてみたいなぁ、とあらためて思います。