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kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

黒人女性ラップにおける対話―『ブラック・ノイズ』

2015年5月6日に、トリーシャ・ローズ(2009)『ブラック・ノイズ』の輪読会が行われました。

 

私は、第5章「悪女たち:黒人女性ラッパーと性の政治学」を担当したのですが、本章で行われている議論がとても面白く、私自身が、今後、サブカルチャーやポピュラーカルチャーを含む、さまざまな文化的コンテンツを分析するうえで、とても有用だと思ったので、自分自身の復習もかねて、(今更ながら)まとめの記事を書いてみます。

 

第5章「悪女たち」は、黒人女性ラッパーをめぐる性の政治学についての概説からはじまり、(便宜上、この記事では「0 はじめに」とタイトルをつけます)その後、3つのケース・スタディが続き、最後に、黒人女性ラッパーたちが、「フェミニズム」の文脈で位置づけられながらも、それと距離を置いてきたこと、その背景にある性的言説・政治的言説との対話関係における分析が続きます。

0 はじめに(黒人女性ラッパーと性の政治学)

1 恋という名の災厄

2 傑出したMCたち:ボスは誰さ?

3 あなた自身を出しなさい:公共領域における黒人女性の身体

4 私の出番:白人フェミニズムと女性ラッパー 

 

 

この記事では、はじめに述べられている問題意識と、ケース・スタディとして挙げられてている黒人ラップ女性の動画を紹介することで、本書の議論の一端を皆さんにご紹介しようと思います。

 

0 はじめに(黒人女性ラッパーと性の政治学)

 

「男性ラッパーの社会批判が頻繁に警察官の嫌がらせや黒人男性の『取り締まり』に向けられるのに対し、女性ラッパーが闘う舞台は、性の政治をめぐる場なのである。」(p.282)

「女性ラッパーは…性的に発展的で反性差別主義の声を代表していると画一的に決められることが多い。」が、「男女のラッパーの対立図式は、ラップにおける性の政治の複雑さを見ることを妨げ、想像上の明瞭性を捏造してしまうのだ。」(pp.282-283)

 

ここではまず、女性ラッパーを、①男性ラッパーとの関係性、および、②フェミニズムの政治的言説との関係性から位置づけています。

後者の引用にも書かれているように、男性ラッパーとの性の政治をめぐる対抗として歌い上げられる数々の歌詞は、「反性差別主義の声を代表している」と捉えられることが多いのですが、実際にはそうではない。「私はフェミニストではない」と考える女性ラッパーたち、男性ラッパーの性差別主義的な歌詞に対して意見を求められた際、沈黙する女性ラッパーたちの姿が触れられています。

 

それに対して、トリーシャ・ローズが提案するのは、女性ラッパーたちを、社会や歴史との対話的な関係性のなかで捉え直すことです。

「黒人女性ラッパーは、多様な社会的障壁やアイデンティティと交渉しつつ、男性ラッパー、他のポピュラー音楽のミュージシャン(この場合はサンプリングのような改訂行為を通して)、黒人女性ファン、さらにはヒップホップファン一般と対話的な関係を結ぶ。」

「(ダイアロジズムは)男と女を共感で結ぶ人種的絆と、黒人男性の性的抑圧に対する黒人女性の苛立ちを、解消不能な矛盾として保存する。」

 

1 恋という名の災厄

 

トリーシャ・ローズは、まず、男性との関係性の中に位置づけられるラップを検討しています。

黒人女性の書いたラップの中には、とりわけ、男女関係に関するものが多いこと、その「数ある歌の中には、女の自立や誠実さを解いたりせず、男を『操る』女友達(シスター)を祝福するものもある。」(p.295)と言います。

男性ラップの中にはよく「金づる探しの女」が登場するのですが、これはそのような女性像への対抗になっています。あるいは「捨てられてしまうかもしれない」という女性たちの不安を描くものとしても、このようなラップが歌われることがあります。

 

「金づる探しの女」像への対抗という意味では、Salt-N-Pepa “Tramp”の事例が面白いです。

“Tramp”とはもともと「尻軽女」を意味する言葉であるわけですが、Salt-N-Pepaはこの言葉を、このラップのなかで、いろいろな女性に声をかける「多情な男」へと変換している。

 

 

男性に捨てられることの不安を表しつつ、それを語ること、歌うこと自体がエンパワーメントになっている事例としては、MC Lyte “Paper Thin”が挙げられています。

「ライトがサムの愛の表現は紙のように薄っぺらだと他人に暴露する時、その事実は当惑の原因から、力を獲得する手段への変化する。」(p.301)

 

 この動画のなかで、ライトは地下鉄に乗り込み、自分の元彼にライムで、おまえの愛の表現は「紙のように薄っぺらだ」とまくしたてるわけですが、最後の最後に、彼女は地下鉄に乗り合わせていた他の男性と目を合わせて2人で地下鉄を出ていきます。

恋愛を主導すること。自分自身の欲望で、自分と男性との行動を管理すること。

恋愛そのものを否定するのではなく、女性が自分自身で恋愛を主導していくそのモデルを、彼女は示しているようです。

 

2 傑出したMCたち:ボスは誰さ?

次に論じられるのは、より広い社会や歴史との対話関係です。

ここではまず、女性ラッパーという存在そのものの持つ意味について述べられています。

「ラッパーは公共のステージを制圧し、聴衆の注目と賞賛を勝ち取らねばならない。彼らのライムは冷静で攻撃的なアイデンティティと、にじみ出るような自信や力に根差している。」(p.308)

「激しい競争を経て公のステージを手中におさめ、聴衆を感嘆させた女性ラッパーは、現代の女性の演技芸術や大衆文化アイデンティティへの介入を代表する、重要なモデルなのだ。」(p.309)

 

このような「冷静で攻撃的なアイデンティティ」と「にじみ出るような自信や力に根差し」ながら、現代の女性たちのアートやカルチャーにおけるアイデンテティ・モデルを変えた重要な例として挙げられるのは、Queen Latifa です。

本書ではいくつか、Queen Latifaの作品がこのような事例として挙げられていますが、特に、Queen Latifa ft. Monie Love "Ladies First"は、「黒人女性の力強い公的主張を中心化した記念碑的作品」(p.309)と評され、丁寧な記述が行われています。

 

 

“Ladies First”では、マルコムXの言葉(「ここで何か変化が起きつつある」)が戦略的に引用され、 黒人女性の地位の変化を支持する声として位置付けされていることが着目されています。

もともと異なる意味で示された言葉を置き換え、書き換えることによって、黒人女性たちにとっての新たな領野を切り開くような戦略が、ここでは展開されているわけです。

 

3 あなた自身を出しなさい:公共領域における黒人女性の身体

ここでは、さらに複雑な性的言説・政治的言説との対話関係が描き出されます。

事例として挙げられているのは、Salt-N-Pepa "Shake your thang"。

 

 

このラップの中の、「これはあたしの体なの。だからあたしの思うがままに動かすわ」というメッセージはとても力強いもので、「適切な女性の表現様式」なるものを求める道徳的規範をバカにし、無視することを楽しむという意味で、政治的言説への対抗的な対話になっているのですが、一方、「お尻を強調」することで身体の自由を描こうとする戦略は、非常に危うい矛盾をはらんでいます。

 

黒人女性の「お尻」は非常に否定的に捉えられてきた身体的部位です。

こちらの記事「黒いヴィーナス」で詳しく説明されているので、こちらをご覧いただければと思いますが、歴史的に、黒人女性の「お尻」の強調は、「黒人女性の身体を異端化・官能化する手段」でも

あり、それを黒人女性自身が強調することは、自らを異端的・官能的な存在として差し出すことにもなってしまうわけです。

 

事実、男性ラッパーの描く世界のなかで強調される「お尻」は、男性たちの獲得すべき「獲物」であったりもするわけで・・・。

 

 

そのような意味で、黒人女性たちの身体の自由を歌い上げるメッセージが、皮肉なことに、そのまま男性ラッパーの(性差別的な)世界観に符号してしまうという矛盾が生じます。

「全ての女性の身体化が物象化される一般的趨勢から見て、ソルト・ン・ペパが揺さぶる体が持つ集団的な意味は、当然単純でありえない。」(p.316)

 

しかし、それでも、性的に物象化され続け、歴史から消され続けた黒人女性の存在を考えると、黒人女性ラッパーたちが、黒人女性のセクシュアリティをオープンに表現するための、女性本位の空間を開拓したことには、大きな意義があります。

「…ラップにおける性的対話は、意味、言葉使い、男女関係における条件をめぐって繰り広げられる、激しい陣力闘争に関連している。」(p.320)

 トリーシャ・ローズは、男性ラップにおける性差別的な言説は、黒人男性たちが置かれている「男らしさ」の危機(経済的・社会的に自明な権力を持てなくなったことによる「男らしさ」の危機)に起因する、黒人女性への敵意や不安によるものだと言います。

「みんなで体を揺さぶろう!(Shake your Thang)」というSalt-N-Pepaのメッセージは、自分らしく生き、性的にも経済的にも自立した女性として、「女なしでは自分のセックスの力も確認できないような男たちに問題の焦点を移す」(p. 324-325)もの。

 

矛盾をはらみつつ、対話を重ねながら、問題の焦点を移行していくこと。

それがSalt-N-Pepaのラップの中で行われている対話であると言えるでしょう。

 

「4 私の出番」では、黒人女性ラッパーとフェミニズムとの関係について述べられています。男性の性差別的な言説と批判的な対話をおこない、女性たちのための公的な場を作り上げようとする女性ラッパーたちが、なぜ、フェミニズムと距離を置こうとするのか、がここでは述べられています。

フェミニズム」=白人女性の運動であると捉えられるがゆえに阻まれる人種を越えたシスターフッドについての問題は、現代の問題を考えるうえでとても興味深いものでした。