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Literacy, Culture and contemporary learning

見捨てられた街の「石」と「魔女」の物語~松本美枝子《海を拾う》

メゾン・ケンポクの『何かはある』 の一環として、2020年1月31日(金)~3月1日(日)まで開催されている、松本美枝子《海を拾う》を見てきました。

ホームページなどを見ても、あまり詳しい作品の説明がなく、フライヤーにも、「今回の展示では、日立の人、および地質と地形に着目し、市内各所を周遊して鑑賞する作品を制作、展示します」としか記載されていません。

なので、いったい、どんな作品なのか、どんな体験ができるのか、わたし自身も直前までまったくわからぬまま、日立に向かうことになってしまったのですが、「写真展」という言葉でイメージされる展示を真向から裏切る実験的でドラマティックな作品だったので、ぜひ、そのことを皆さんにご紹介したいと思いました。

はじめから、情報を知ってしまうと、鑑賞体験を大幅に減退させてしまうような仕掛けもいくつかあり、どのような角度で、何を、レビューとして書くことが良いのかわからず、試行錯誤した結果、自分自身の見たこと、感じたことをそのまま、飾らずに書いていくというスタイルを選ぶことになりました。

あまりに、「そのまま」なので、作家にとっては「新たな発見」といえるようなものもないだろうし、まだ本作を見ていない人たちには「作品性」が見えにくいようなレビューになっているようにも思いましたが、そのまま、これをレビューとして公開することにしました。

よろしければ、ぜひお読みください。

そしてぜひ、今週末に、この奇妙なな街とそこで展開される物語を経験してもらえたら、と思います。

 

* * * * 

松本美枝子《海を拾う》

 

「日立」は、とても不思議な街だ。ひどく現実感が失われている。

駅前にある、発電所用大型タービン。左手を見ると近未来を思わせるメタリックグレーの建物に埋め込まれた巨大な天球。そういえば、日立出身だという友人たちは、口をそろえたように、この街のことを「見捨てられた街」と言っていた。パパ・タラフマラ《SHIP IN A VIEW[船を見る]》でも、原風景としての「日立」は、自然と人工物とがひしめきあう混沌とした工業港湾都市として描き出される。

 


パパタラフマラ ship in a view

 

 これらの記憶も、わたしのこの街に対する現実感を失わせていく。妹島和世がデザインの監修をしたという全面ガラス張りの駅舎も、そんな現実感のない世界の中に、すっかり包み込まれている。

 

松本美枝子《海を拾う》の物語は、そんな、日立の駅舎から、始まる。


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ロータリーから続く透き通った空間を抜けて、海に近づくと、ガラスケースの中に、いくつかの小石が展示されているのが見える。よく見てみると、なんだか奇妙な小石である。色がいくつかの層に分かれているものもある。展示近くに設置された解説によると、どうやら、このあたりの山には、かつて海底火山だった時代の地層が含まれているのだという。


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そんな解説に誘われるように、古い趣のある料亭にたどりつく。出迎えてくれたのは、一人の女性。そこから始まるのは、その料亭の2階でカフェを営む「魔女」の物語だ。――いや、「魔女になりたい」と思っていたらいつしか「魔女」になっていた少女と、その家族の物語と言ったほうが良いかもしれない。

 

魔女の宅急便』は、キキが海辺の街に降り立ち、パン屋さんにお世話になるところから物語が始まるけれど、そんなふうにして、見習い魔女が大人になり、ケーキやプリンを作り始めたら、こんなふうになるのかもしれない、とふと思う。

 

 

 

「cafe miharu」としてひらかれたその料亭の、すこし奇妙な間取りの中に、「プロローグ」からはじまる5つの物語の断片と、岩や石、地図の写真が、展示されている。


どことなく不思議なつながりを持つ廊下や階段、部屋のところどころには、ずっと昔からその場にあったとも、この展示期間にあわせてそこに置かれたともいえるものたちが並ぶ。まず目に入るのは、廊下の棚に、大小入り交じり並べられた何組もの雛人形。そして、二列に整然と並べられたニワトリの木製玩具たち。ぼうっと、あらゆるものを見過ごしていると、いつの間にか、異世界の中に迷い込んでしまいそうになる。


幾つもの雛人形を見ていると、「雛人形、大好きなんですよ。妹が集めてて。」とうれしそうな声がして、現実に引き戻される。が、雛人形をいくつもいくつもいくつも集めてきた姉妹……それは、果たして現実なのだろうか。現実にしてはあまりに幻想的だ。


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このようにして、奇妙なフィクションと曖昧な現実が入り混じった物語が展開される。小説でいえば、それはまるでマジックリアリズム魔術的リアリズム)のようでいて、どこかそれとも違う。そんな不思議な世界とその世界での出来事が、ツアー型演劇のように目の前に広がっていく。

 

物語の最後は、「秘密」の場所だ。
私たちは、そこでふたたび「日立」の原風景に再会する。


かつての海底火山が、幾重にも重なる歴史の中で山の岩石となり、それが巡り巡って、ふたたび、海の中に、小石となって戻ってくる。その繰り返しの中で創り出されてきた、混沌の街「日立」。


この作品が誘うのは、「見捨てられた街」として語られるその街の奥深くに、これまた幾重にも重ねられた物語の地層なのだ。