kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

ゲームのメカニクスと、ボードゲームによる学び~『ボードゲーム教育概論Ⅰ』を読んで考える

 

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日本ボードゲーム教育協会(2022)ボードゲーム教育概論Ⅰを読みました。


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booth.pm

sites.google.com

2023年12月に行われたゲームマーケット2日目に参加でき、そこでも委託販売は行われていたようだったので、本来だったらそこでゲットすべきだったのですが、委託販売の情報に気づけなかったため、通信販売でゲット。

 

ボードゲーム教育概論Ⅰ』では、下記の記事にも書かれているとおりメカニクス(mechanics)」に注目しそれを網羅しながら、「メカニクス」と教育・学習上の可能性とを結び付けようとした試みがなされています。

gamemarket.jp

この「メカニクス」は、ゲームデザインの議論の際によく引き合いに出されるMDAフレームワーク」(「メカニクス(mechanics)」「ダイナミクス(dynamics)」「遊びに見出す楽しさ・美的価値(Aesthetics)」*1の「メカニクス」というよりは、もう少し幅広く、「ゲームを実際にプレイするための仕組み」のようなものととらえたほうが良いかもしれません。Jesse Terrance Daniels/金井哲夫訳(2022)『自分だけのボードゲームをつくろう』では、ゲームを構成する要素を「ルール」「メカニクス」「コンポーネント」にわけて考えていますが、こっちのイメージのほうに近いのかもしれません。…が違っていたら、すみません。

makezine.jp

メカニクス」に着目したうえで、そのようなゲームプレイのための仕組みを成立させるために、あるいはゲームプレイをうまく運ぶためにどのような「力」が必要かを考えつつ、その能力を言語化していく…というかたちで、ボードゲームの「メカニクス」とそのゲームプレイによって育成可能な(?)力が考えられていったようです。

  ボ教概論制作よもやま話(29)律する系の学び」や、「ボ教概論制作よもやま話(30) 「自分から系」能力」には、そのあたりの考えのプロセスが書かれています。

徹底的に「メカニクス」に着目しながら、それと、そこで必要とされる資質・能力や、あるいはそのゲームプレイによって育てられるであろう力や態度を、実践家が集まって言語化し、それを整理していくこと。そしてそれをマッピングし、ひとつの体系のようなものを示していこうとすること。

それそのものは「パターン・ランゲージ」のように、実践家の知を集積し、それを公開・共有する試みとして評価できると思います。

これまで漠然と「ボードゲームには教育的効果がある」という言葉だけが独り歩きして、その内実がなかなか明らかになっていないなか、東京大学大学院藤本徹研究室が2022年3月に教育的観点からのゲームレビュー(2022年3月版)(PDF)が発行されたり、2023年12月に『ボードゲーム教育概論Ⅰ』が発行されたりしたことは、ゲーム×教育・学習の研究・実践に関わるものとして、単純にありがたいし、喜ばしいです。

ludixlab.net

本書に示されている学びの要素のリストは、紙面デザインとしての見やすさなど、いろいろなことを考えて選ばれ配置されたもののようなので、これが網羅的なリストとは言えないし今後も議論の余地があるものとはいえ、ボードゲームを教育に活用しよう、と考えはじめる人たちのスターティングポイントにはなりそうです。

が、一方で、これまで、どちらかというと、国語教育や読書教育の立場から、コミュニケーションや言葉、物語・文学関係のゲームと教育・学習との結びつきを考えてきた者としては、「メカニクス」に焦点を当てすぎることで見えなくなってしまう、何かが気になってしまうような気がして、ちょっとだけ、もやもやした思いを抱えたのも、確か。

たとえば、本書のなかで『はぁって言うゲーム』よりもさらに進んだ学習者のためのおすすめゲームとして紹介されている『ヒットマンガ』は、純粋に「メカニクス」だけ切り出してしまうとしたら、単なる「カルタ」になってしまうようにも思います。

同じように、ゲームのメカニクスとしては、単なる「カルタ」だけれども、プラスアルファでさまざまな「遊び」(『ヒットマンガ』でいえば、セリフをそれっぽく言う・演じること)を組み合わせることで、新たな「楽しみ・価値(Aesthetics)」を生み出しているゲームはけっこうあり、コミュニケーションとか、言葉や物語、文学を主軸として扱ったゲームの場合、そのプラスアルファの部分こそが、ゲームの楽しみ方、ゲームの価値そのものにとって、より大きな意味を持っていたりもするんじゃないかなぁ、と思いました。

これは実際にプレイしてみた人でないとわからないかもしれないけれど、2023年12月のゲームマーケットで新作として発売されていた『むずかしくない広辞苑かるた』と、これまでの『広辞苑かるた』のプレイ体験は、まったく違っていて、驚くほどです。

でも、これら2つの違いは、そこで選ばれている語彙の違いでしかない。まったく誰も知らない語彙で遊ぶことと、知っているけれどもその語釈がどのように書かれているかがわからない語彙で遊ぶことは、まったく異なる質の「遊び」なのだということに、気づかされる瞬間でした。

言葉の学びという観点からみれば、これら2つで可能になる「学び」は、まったく異なるわけで、そういう観点からすると「メカニクス」だけで分析できる学習・教育の範囲は、かなり限られたものになってしまいそうです。

これは、おそらく、言葉や読書の教育にかかわる私たちの、今後の課題になってくるのかもしれません。


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*1:MDAフレームワーク」についてはこちらの開設がざっくりしていてわかりやすかったです。「時代遅れと言われようとMdaフレームワークの紹介」-Slideshare

ボードゲームの体験を言葉にし、思想にする~『ボードゲームで社会が変わる』

那覇潤・小野卓也 (2023)『ボードゲームで社会が変わる:遊戯(ゆげ)するケアへを読みました。

「「ボードゲームを思想にする」ために」(p.3)作られたという本書。

その言葉どおり、ボードゲームを思想にする」ための数々の試みが、書籍全体にちりばめられており、その切り口そのものが興味深いです。

こちらのレビューでは、「目的」に縛られることによって奪われものについての議論に焦点が当てられているようですが、わたしは論じられている思想以上に、本書が、ボードゲームをプレイするという経験に根付きながら、その経験を言語化し続けることによって思想にたどりつこうとしていることに、感銘を受けました。

 

たとえば、いいだ・なむ(2022)『ゲームさんぽ 専門家と歩くゲームの世界』のアナログゲーム版みたいな感覚で読めてしまう、第2章。
文芸オタクのわたしが教える バズる文章教室』などのエッセイで有名な三宅香帆 さん(日本古典系の書評家、ライター)さんの記すDixit(ディクシット)論(正確にいえば、『Dixit』から見る現代若者論)も面白いし、『「その日暮らし」の人類学』、小川さやかさん(文化人類学者)の『 ハイソサエティ論も面白いです。『ハイソサエティ』なんて、めちゃくちゃシンプルな賭けゲームなのに、よくあれだけ書けるなぁ…と普通に感心してしまいました。

そして何といっても面白いのが、歴史学者・辻田真佐憲さんの主計将校レビュー(というかプレイレポート)。

ボードゲームによる歴史の書き換え(日本・ドイツ・イタリアが、連合国軍に勝っちゃいました!)を、歴史家的文体(?)で語っているのを見るとワクワクします。


様々な分野の研究者・専門家がそれぞれのアカデミックな知見と文体で記述される「ボードゲームをプレイする」経験を読むのは、とてもエキサイティングです。

そしてこれらを読むことで、「ボードゲームを思想にする」ために我々はいかなる言葉で、何を語ることができるのか、という問いを突き付けられます。

また、與那覇潤氏と小野卓也氏の二人が、それぞれに異なる言葉を重ねながら、ボードゲームをプレイすることの「本質」を語ろうとする対談(第1章・第3章)では、まさに「対談」だからこそ可能になる、対話を軸とした言語化と思想の探求が行われています。

那覇氏が、自身のゲームプレイ経験に基づく経験を分類・整理しながら言語化すると、それが即座に、インド哲学者であり住職でもある小野氏によって、宗教的な実践と結びつけられその実践の意味が重層化されていく様は、まさに思想が作られていく瞬間を見ていくようで、それ自体がとても興味深いです。

 

そのようななか、個人的にもっとも印象に残ったのは、與那覇潤「ボードゲームはなにをわたしに考えさせたか――リワークデイケアでの体験から」(第4章)での、「人狼」についての考察でした。

那覇氏はリワークデイケアで何度も「人狼」のファシリテートをしてきた体験をもとに、本来、「遊び」であったはずの「人狼」が「必勝法」の持ち込みによって「作業」になってしまうことを指摘しながら、それを避けるために私たちができることのひとつに、「長くつづけること」を挙げています。

つまり、同じメンバーで対面で集まりながら長く続けていくことによって、お互いのことがわかってくること、お互いのことを気にかけあうことで、みんなでみんなが楽しめるようなゲームプレイのありかたができあがってくる――與那覇氏は、ここに、「社会思想としてのボードゲーム」の可能性を見出します。


このことは、同じメンバーで何度も何度も同じゲームをプレイする機会そのものが珍しい中、どうしても見過ごされがちであると思います。

嫌な思いをするプレイヤーがゼロになるように、ゲームシステムのルールを複雑にすることでみんなが楽しめるようにすることが、ベストソリューションだと短絡的に思われがちですし、わたし自身もよくそういう方向でゲームプレイに関わってしまっていると思います。

でも、そんなかたちでファシリテーターに依存しなくても、私たちは、ゲームを自分たち自身で楽しめるようにするための場を、自分たち自身で作り出せる。
ボードゲームが、そんなかたちで、私たち自身がその場にいる人たちと皆で楽しみあえる場をつくる「練習場」になるのだとしたら、そういうプレイの場を易々と放棄するのは、あまりにももったいないのではないか。

そうであるとすると、「ボードゲームで社会が変わる」「ボードゲームで社会を変える」ために、わたしたちは、どんなプレイの場を用意できるのか。

そんなことを考えさせる本でした。

ボードゲームで社会が変わる: 遊戯するケアへ (河出新書)

わかちあえない記憶をともに支える共同体は可能なのか~サトウアヤコ「日常記憶地図 in 福島県双葉町」

日本質的心理学会・研究交流委員会企画として開催された、サトウアヤコ「日常記憶地図」のワークショップに参加してきました(チラシPDFはこちら)。

 

日本質的心理学会研究交流委員会企画「日常記憶地図」ワークショップ・フライヤー

【研究交流委員会企画 サトウアヤコ「日常記憶地図」ワークショップ開催のお知らせ】 – 日本質的心理学会

my-lifemap.net

今回は、「日常記憶地図」オンラインプロジェクトで実施されているようなオンラインでのワークショップと、福島県・双葉町にて双葉町役場の職員の方々とともに行われる「日常記憶地図インタビュー*1が実施されました。

同じタイトルの下で開催される企画のなかで、かなり質の異なる2つのワークショップが実施されることを興味深く思いつつ、両方に参加することはせず、双葉町で行われる「日常記憶地図インタビュー」のみに参加することにしました。

*1:TOKAS(トーキョーアーツアンドスペース)の公募企画で開催された展覧会の、関連イベントとして実施された「日常記憶地図インタビュー」の概要はこちら

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社会文化的コミュニケーションの中の読書~日本国語教育学会大学部会シンポジウム「自立した読者を育てる読書指導」

2019年8月の対面開催依頼、4年ぶりの対面開催となった日本国語教育学会の全国大会に参加してきました。( 2023年度大会のプログラムはこちらからPDFでダウンロードできます。)

日本国語教育学会の集まりに参加することが苦手なわたしが、今回、なんとか参加しようと思った理由がこちら。

昨年2月に発売された、『中高生のための文章読本:読む力をつけるのフィクション選』(澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳編, 筑摩書房, 2022)の編者3人がシンポジウムにご登壇!しかもテーマは「自立した読者を育てる読書指導」!ということで、この御三方がそれぞれ「自立した読者」に対してどのようなことを考えていて、さらに、それを巡ってどのようなディスカッションをされるのかが楽しみで楽しみで、居てもたってもいられなくなったのでした。

シンポジウムの概要は、以下のとおりです。

日本国語教育学会令和5年度研究大会

大学部会シンポジウム「自立した読者を育てる読書指導」

日時:2023年8月11日(金・祝)13:00~15:00

会場:筑波大学附属小学校・講堂

テーマ:自立した読者を育てる読書指導

シンポジスト:澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳

コーディネーター:松本修

日本国語教育学会・全国大会チラシ(PDF)より)

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書く。部@「アートセンターをひらく:地域をあそぶ」展~人々の記憶を担うものとしての作品について

水戸芸術館現代美術センター「アートセンターをひらく  第Ⅱ期」展にひきつづき、「アートセンターをひらく:地域をあそぶ」展でも、「部活動」のひとつとして「書く。部」を実施することになりました。

 

www.arttowermito.or.jp

「アートセンターをひらく 第Ⅱ期」展では、「アートセンター」としての美術館の新たな使い方をいろいろと試みている展覧会でしたので、「アートセンターをひらく」ということはいかなることなのか?ということを、参加者全員で考えながら、それぞれに「アートセンターをひらく」展にふさわしいギャラリーガイドを考え、かたちにしてみる活動を行ってきました。

kimilab.hateblo.jp

水戸芸術館現代美術センターは、日本の他の多くの美術館とは異なり、コレクションを持たない美術館です。たとえば、以下の記事では、水戸芸術館現代美術センターを、「日本では現在も珍しいとされる、『クンストハレ』型の美術館」であると紹介しています。「クンストハレ」とは、「常設コレクションを所有しない、企画展専用の美術館施設」のこと(「クンストハレ」-『日本大百科全書』)。

drive.media

それもあってか、2000年代後半から水戸芸術館に通うようになったわたしは、ほとんど、水戸芸術館が所管する作品(以下、所管作品)を目にする機会がありませんでした。椿昇+室井尚《インセクト・ワールド──飛蝗》以外にどんな作品が所管されているのかをはじめて知ったのは、たぶん、2009年に開催された「現代美術も楽勝よ。」展だったと思います。2020年に、コロナ禍のなか、「ひかりといのちのある風景―現代美術センター所管作品から」という所管作品の展覧会が開催されてますが、逆にいえば、この20年間を見てもその程度しか、所管作品を観る機会はなかったように思います。


www.youtube.com

 

そんななか、今回の「アートセンターをひらく:地域をあそぶ」展では、水戸芸術館の所管作品が出展される!ということで、10年以上にもなる「書く。部」の歴史のなかでもなかなか出会えなかった、大きなチャンス!

これは「仕事で忙しいから」とは言ってられないぞ!?ということで、思い切って、「書く。部」を開催することになりました。

 

書く。部
2007年より始まった部活動。「一味違った」視点で展覧会を鑑賞し、街歩きやワークショップを通じて対話を重ねながら、展覧会ごとに異なるスタイルで、オリジナルのギャラリーガイドを創りあげてきました。今回は「過去・現在・未来のなかの作品」をテーマに、所管作品にちょっと変わったかたちで関わった人々へのインタビューや、これまでの痕跡を探す街歩きを通じて、作品がここにあり続けるとはどのようなことなのかを考え、書く活動を行います。活動日:9月9日(土)、30日(土)、10月1日(日)「アートセンターをひらく 2023-地域をあそぶ」関連プログラム 部活動|現代美術ギャラリー|水戸芸術館
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「ひらく」ためのウィキペディア ~ウィキペディアタウン in 茨城

7月22日に茨城県立図書館で、開催された「ウィキペディアタウン in 茨城」に参加してきました。

茨城県立図書館での初のウィキペディアタウン!」と聞いて、「あれ?以前、水戸で開催していなかったっけ?」と思ったのですが、あれは、茨城県立図書館ではなく、水戸市立図書館での開催だったのですね。今回の講師でもある小池隆さんのresearchmapにしっかりそちらの情報も掲載されていました。

小池 隆 (Takashi Koike) - 社会貢献活動 - researchmap

 

今回、記事執筆の対象となったのは、茨城県立図書館から徒歩3~5分くらいのところにある水戸市水道低区配水塔

ja.wikipedia.org

水戸市水道低区配水塔」といえば、水戸芸術館現代美術センター「高校生ウィーク2013」のときに、「面白建築研究会」のまちあるきの中でも来訪した、あのファンシーでカワイイ建築物じゃないですか!

水戸市水道低区配水塔を訪問する面白建築研究会(「高校生ウィーク アーカイ部」より)

高校生ウィーク2013「面白建築研究会」の成果物である「面白建築地図」には、残念ながら取り上げられていない、水戸市水道低区配水塔ですが、わたしのなかでは、クイーン・シャトー(当時)と並んで、水戸市内で好きな建造物ベスト5には入る大好きな建物です。

そんな水戸市水道低区配水塔の内部に入れる!ということを事前情報で聞き、当日は本当にワクワクでした。

そして当日はそれ以上のサプライズ(?)もあり、水戸市水道局の方から直々に、笠原水道から始まり近代水道の導入へと至る水戸市エリアの水道の歴史をじっくりお聞きしたあとに、これまた水道局のスタッフの方直々に、配水塔内部のご案内をいただくという贅沢ツアー!神奈川への移住が決まった際、地名に「水道」が入るか否かで、引越先を判断してきたわたしにとっては、贅沢すぎる時間でした。

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「デジタルゲーム関連本ビブリオバトル!」参加レポート

図書館総合展期間外企画として開催された「デジタルゲーム関連本ビブリオバトル!」に、バトラーとして参加してきました。

今回、バトラーとして登壇したのは、『ゲーメストEX』元編集長で現在もライターとして活躍されているMW岩井さんVtuber「ゾンビ先生」こと岡本健先生近畿大学・准教授)、ゲーム好き司書さん(仮名)と、ご存じ格闘系司書さん日本図書館協会認定司書/ゲーム司書/図書館とゲーム部)そして、わたしでした。

 

先に引用した、格闘系司書さんによるツイートにもあるとおり、この企画は、2022年11月に発刊された、岩崎夏海・稲田豊史(2022)『ゲームの歴史1』『ゲームの歴史2』『ゲームの歴史3』に対する一連の批判と、SNS上での「炎上」に端を発しています。
これら一連の批判や炎上の様相については、Togetterでまとめられています*1

togetter.com

本イベント「デジタルゲーム関連本ビブリオバトル!」が開催されたのは、4月11日(火曜日)でしたが、その前日には、講談社から「『ゲームの歴史』全3巻販売中止のお知らせとお詫び」が示され、「カウンターとして『素敵なゲームの本を紹介』しあう」ということがどういうことなのか、ということを、あらためて考えざるを得ませんでした。

aoitori.kodansha.co.jp

すでに、岩崎啓眞さんによる18ページの小冊子『書籍「ゲームの歴史」を批判する。概論』をはじめ、『ゲームの歴史』に記載されている事実上の間違いなどを指摘する動きそのものが、(それこそ「炎上」していると言ってよいくらい)大きなうねりを見せていましたし、「では、本当に読むべき価値あるゲーム史の本とは?」ということについてもすでに話題になっているように感じていました。

realsound.jp

本イベントの数日後、今回のイベントにバトラー兼司会者として登壇された格闘系司書さんが、ラジオ「アフター6ジャンクション」に出演していましたが、そのときのトークテーマも、まさにそんな感じでした。

 

henauru.hatenablog.com

すでに、そういう方向で話題が出ていた、とわたしが感じていたことからも察せられるように、おそらくこのイベントが行われたタイミングは、まさに、世の中の人たちが「より確かな『ゲームの歴史』を知るためにはどうしたらいいのか?」ということを知りたがっていた、また、それについて語りたがっていた、というタイミングだったんだろうと思います。

そのようなこともあってか(?)、今回、チャンプ本に選ばれたのは、小山友介(2020)『日本デジタルゲーム産業史』でした。

calil.jp

バトラーとして本書を紹介してくださった、Vtuber「ゾンビ先生」は当日その場にはいらっしゃれず、事前録画した動画をその場で視聴するかたちになりました。
あとから、その動画をYoutubeにアップしてくださったので、「チャンプ本」の紹介動画をこちらでご覧いただくことができます。


www.youtube.com

わたし個人としては、この『日本デジタルゲーム産業史』とか、中川大地(2016)『現代ゲーム全史』とか、もう少し気軽に入手しやすく読みやすいところで、さやわか『僕たちのゲーム史』なんかはきっと誰かが紹介するだろう、と思って外したところがあります。

calil.jp

calil.jp
案の定というか、なんというか、このイベントの翌日に『REAL SOUND』で公開された記事・「『ゲームの歴史』炎上騒動から考える、「本当に読むべきゲーム史に関する本」(向江駿佑, 2023)には、これらの本が紹介されていて、何度も頷きながら読んでしまいました。

…というわけで、本格的なゲーム史を知りたい!という方はここまでの情報で十分、情報が得られるかと。
ここから先は、ビブリオバトルとしての醍醐味(?)!いろいろな立場の人たちが、それぞれにアツい思いから選択した、「素敵なデジタルゲーム関連本」についてのご紹介となりますので、そんなデジタルゲーム関連本(あるいはビブリオバトル)に関心のあるかたのみお読みください。

*1:この「まとめ」を作成された方が、このTogetterまとめそのものによる炎上を回避するため、Mintiにまとめの記録場所を移管されていますが、ここでは直接そちらへのリンクを貼らず、そちらへのリンク先が紹介されているTogetterのほうを記事に貼っています。

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