kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

「物語の段階」を遊ぶ!~『じっくりミレー』と鑑賞教育

大学院の授業では、『メディア・リテラシーの教育(ことばの授業づくりハンドブック)』(奥泉香編、2015、渓水社)をテキストにしながら、主に、中学校・高等学校の国語科でのメディアを用いた言葉の教育や、メディア・リテラシーの教育について議論しています。

本書の第2部には「国語科教育としてのメディア・リテラシー教育実践」と題して、絵図や写真、広告・CM、アニメーション…などの媒体(メディア)ごとに、実践が紹介されているので、受講生にそれぞれ、その中でひとつ取り上げてもらい、本書で紹介されている実践を批判的に紹介しつつ、自分自身で考えた教材提案を行ってもらうという内容です。

今週の授業では、たまたま発表にあたっている受講生がいなかったこともあり、

また、先週末に全国大学国語教育学会第136回大会に参加するために訪れた水戸で、水戸芸術館の方と、「対話型鑑賞」のありかたについてお話しする機会があって、わたしの中で、猛烈に「対話型鑑賞」「鑑賞教育」について考えたい、誰かと話したい時期でもあったので、受講生たちと、絵画作品の鑑賞による言葉の学びについて、体験を通じて議論をする会とすることにしました。

 

まずは、わたしの中で、アート作品を鑑賞しそれを言語化していくことの教育・学習的な意義についてかんがえるきっかけになった、森村泰昌(2011)『「美しい」ってなんだろう?:美術のすすめ』(よりみちパン!セ)の最終章の一節を共有したあと、

 

わたし自身が、水戸芸術館現代美術ギャラリーでの高校生との対話型鑑賞のフィールドワークに基づいて書いてきた論文をいくつか紹介したりしました。

-石田喜美(2009)「アート・リテラシ―教育における言語化の支援:現代美術館での鑑賞教育における高校生のグループ活動の分析から」(『学校教育学研究紀要』)

-石田喜美(2011)「国語科教育における「見ること」の学びに関する一考察:現代アートの鑑賞教育プログラムにおける学習者のテクスト生成過程の分析から」(『人文科教育研究』

 

わたし自身としても、自分自身の論考はともかくとして、2011年の論文に引用している松井みどりさんのテキスト「アートについて書くための5項目」(高校生アートライティング事務局『アートライティング』記録集に寄稿していただいたもの)は、これまでに価値が定まっていないアート作品の言語化をいかに考えていくか、を考えていくうえで、非常に本質的なことが書かれていると思っています。

『アートライティング』記録集が絶版になってしまった今、この引用部分だけでも読んでもらいたい!とすら思います。

松井みどりさんは、「アートについて書くための5項目」の論考の中で、高校生が「夏への扉マイクロポップの時代」展のなかで展示された半田真規作品のギャラリーガイドとして示したテキストを事例に、このような言葉を生むためには、以下の5項目のプロセスをたどってきたのではないか、そしてそれこそが、アートを書くために必要な5項目ではないか、と述べています。

①直感(先入観を持たずに今ここにある作品と対峠してそれが自分の感覚に及ぼす影響を感じ取る)

②作品の細部の観察

③直感と作品の細部をつなげる分析(直感をサポートする特徴を作品の細部から選び出す)

④文学や映画などの知識(ふだんから文学作品や哲学やエッセイを読んだり,映画や美術作品にふれる)

⑤現在の作品体験と文学などの場面の関係性についての類推(自の前の作品について感じているのと同じ感じをどこかで体験したことがないか思い出す)

(松井, 2008, p47)

 わたしは、もちろん、対話型鑑賞について書かれた書籍や論文などについてもいくつか読んできていて、アビゲイル・ハウゼンの「美的発達段階(Aesthetic Developmental Stage)」モデルについて、ハウゼン自身による論文も含めて、いくつか読んできたのだけど、なんだか、(そもそも、「発達段階(developmental stage)」という考え方に違和感があるからかもしれないけど)しっくりこないんです。

vtshome.org

そもそも、階段のようなかたちで記述しうる「発達段階」として、この5つが位置付けられるのかも謎だし、一般的な鑑賞者の多くは、はじめの2段階(「Accountive Stage(物語の段階)」と「Constructive Stage(構成の段階)」)にあるというよく言われる説明にも、反発を感じてしまう…。(結局、アートを創造的に見られるのは、一部の特権的な人たちってこと!?)

松井みどりさんの「アートについて書くための5項目」は、けして大規模調査に基づいた、科学的知識ではないけれど、松井みどりさんのようなプロの批評家と、現代アートに出会ったばかりの高校生とに共通する、「アート作品と出会い、それを言語化していくこと」のプロセスを描き出していて、とてもエキサイティング。

ハウゼンのいうところの第1段階「物語の段階」や第2段階「構成の段階」にあったとしても、幅広い文化的な経験と結びつくことで、それが他ならぬその人自身の言葉を、「批評」を紡ぎ出すことへとつながっていきうることをクリアに示してくれているように思います。

 

そんな話をしたあとに、アート作品の言語化にかかわる2つのカード型教材を体験してもらいました。

 

ひとつは、鑑賞教材「国立美術館アートカード・セット」

神奈川では、横須賀美術館アートカードや、岡本太郎アートカードゲーム(PDF)などもあり、アートカードを使った鑑賞教育はけっこう一般的に行われていたりします。

わたしが担当する教育実習生が、実習先の研究授業でアートカードを使った鑑賞教育をやったりするレベル。

そんなわけで、まずは現在かなり普及している「アートカード」を使ったアクティビティ「My美術館」と、「アートカード」を使ったあてっこゲームを体験してもらいました。

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art card

もうひとつは、かわぐち(@guchi_fukui)のご厚意でご提供いただいた、『じっくりミレー』というカードゲーム。

chaga2.jimdo.com

こちらについては、かわぐちさんご自身が、「[募集][サンプル提供]名画で遊ぶボードゲーム「じっくりミレー」を美術館、図書館、学校、施設などで遊んでみたいという方にサンプルを提供いたします。」という呼びかけをされているのを見て、「これは!」と思ってお願いしてみたところ、快く、2セットご提供いただきました。

 

『じっくりミレー』は、ミレー《刈入れ人たちの休息》や《鳥獣戯画》をはじめとした、名画の中に出てくる人物たちの「感情」を考えながら、その場にいる人たちが、その「感情」をどう読み取っているのかについてのおしゃべりを楽しむゲーム。

 

大学院の授業では、「アートカード」を使ったアクティビティのあとに、『じっくりミレー』のカードゲームに取り組んみたのですが、「アートカード」ではほとんど何も語れなかったような学生でも、『じっくりミレー』では自分がその絵画のなかに読み取っている物語を、(妄想も入りつつ)自由に語れていたのが印象的でした。

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ZikkuriMillet

もしかしたら、「アートカード」で、しかも「My美術館」をつくるという活動になると、抽象度を少し上げたかたちで作品の批評的な解釈をしなければならない、という制約がかかってしまうのかもしれません。

それに対して、『じっくりミレー』では、そもそもはじめに話し出すきっかけとなる「感情」はカードに書かれているし、お題を出す側(「芸術家」役)の人は、みんなが「その人はどう思っているのか」を考えてくれるので、「話さなければ」というプレッシャーもなく、逆に、「芸術家」役の気持ちを当てる側も、自分のことではないので、「自分ではそう思わないけど、〇〇さんなら…」と気軽に突飛な解釈を話せたりもするようです。

「芸術家役の人が考えていることを、あてっこする」というゲーム的な環境が、「自分だけが見えていることを語らなければ」というプレッシャーから、みんなを解放してくれる。でも、それによって、逆に、いろいろな人たちのいろいろな見方が、浮かび上がってくるというのが、とても面白いと思いました。

 

授業の最後に、もともと小学校で働いていた経験のある院生が、「こういうことを、小学校の図工の鑑賞でやったことがあります」とお話ししてくれたので、そのエピソードをもっと聞きたかったのですが、夜時間が遅かったこともあり、十分に聞けなかったのが残念。

これまで小学校・中学校で、図工・美術の鑑賞教育や、国語での鑑賞文教育のなかで行われてきたことをつないでいくことを、これからももっと考えていきたいですし、鑑賞だからこそできる、教育・学習の可能性をあらためて考えさせられた時間でした。

必要とすること/ギブを願うこと

以前、こちらのブログで、ニューヨークのカスティロ劇場で行われているプログラム「若者のための発達支援学校(Development School for Youth)」について、ご紹介しました。

わたしたちは、今回のイマージョン・プログラムの中で、カスティロ劇場での公演も観劇したのですが、わたしにとっては公演そのものと同じくらい、その前に行われていたレセプション・パーティでの会話が印象深いものでした。

 

わたしがレセプション・パーティーでたまたま出会った女性に、「あなたは、どのようにカスティロ劇場と関わっているの?」と尋ねると、彼女はとても自信に満ち溢れた様子で、「わたしは、ファンド・レイザーよ!」と答えてくれました。

 

彼女によると、ビジネスなどでの経験から、いろいろな方々に一人一人電話をかけて、寄付を願い出て、資金集め(ファンド・レイジング)をすることに自信もあるし、そのことでカスティロ劇場に参加していることに、喜びを感じている様子。

自分の今のおすすめは、大人のための発達・学習の場である「UX」で、「UX」の開講講座リストをもとに、電話をかけて、それについて人々と話しをし、寄付を願いでているのだとのことでした。

 

事実、カスティロ劇場の地下にある一室には、彼女のようなファンドレイザーたちが、ボランティアで活動するための部屋があり、3~4つの丸テーブルにそれぞれ、5台くらいの電話が置かれていました。

部屋の中のホワイトボードには、こんな感じで、ファンドレイジング目標(?)が示されていたりして……資本主義のシステムがビッチリと張り巡らせたその根の中に寄生するかのように存在する贈与経済システムに、クラクラと目眩がするような感覚になりました。


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自信たっぷりに「わたしは、ファンドレイザーよ!」と答えてくれた彼女との会話のあと、日本に帰ってからずっと、「必要とすること」「欲すること」と、(彼女が誇りを持って行っている)「願うこと」との違いについて考えていました。

 

フレド・ニューマン『みんなの発達!』の中に、次のような文章があります。

望むことと必要とすることについて、少し追加しましょう。ソーシャルセラピーの視点に立てば、望むことは大いにギブに関連しています。必要はよりゲットに関連します。誰かに望むのは、その人が誰なのかに関連します。誰かに望まれるというのは、知られていて、そしてギブされることです。必要とするのは、通常、必要とするのは誰なのか、必要とされる、ギブしなければならないのは誰なのかに関係します。(『みんなの発達!』, p44)

みんなの発達! ?ニューマン博士の成長と発達のガイドブック

 

すでに知っている人に対して何かを望むことは、ひとつのギブ(贈与)であり、誰かの何らかのニーズに基づいて「これが必要なので、提供してほしい」と訴えることは、ゲット(獲得)の文化に関連づいている。

 

こう考えてみると、その提供を求めたり、求められたりするものがどんなものであったとしても、そこに基づくものが、ゲット(獲得)の原理である限り、結局は何も変わらず、自分や他人を苦しめるだけなのではないか、コミュニティをより貧しいものにするだけなのではないか、と思えてきます。

 

このような考えがあり、しばらく、自分がこれまで「何かの役に立てれば」とか「恩返し」とかの気持ちで関わってきたコミュニティと距離を置かなければという気持ちが強くなりました。

特に、アートや地域コミュニティに関する活動対しては、そもそもわたしからギブできるものが何なのか、いろいろ考えてみてもよくわからないので、しばらく意図的に関わらないようと、なんとなく距離を置いてきました。

 

そうして、しばらく時間がたって、ゴールデンウイーク。このまま、水戸芸術館現代美術センターの「アートセンターをひらく」にも行かないまま、そっと時間が過ぎさっていくのかな…と思っていたところ、いろいろあって、5月5日に、水戸に行くことになりました。

 

自分のなかで何かが変わるのか、変わらないのかはわからないのですが、それを含めて、わたしにとってはひとつのチャレンジの機会なので、まずは、逃げずに行ってみようと思います。

文学×ゲーム×プログラミング!『ミッションメーカー:マクベス』パイロット調査版の参加者募集

 3月下旬に、NPO法人ratikより、アンドリュー・バーン『19歳までのメディア・リテラシー:国語科ではぐくむ読む・書く・創る』を無料公開しました

ratik.org

本書のまえがきにも書きましたが、著者のアンドリュー・バーン先生は、国語教育(English)、メディア教育、ドラマ教育を横断的にとらえた理論や実践を展開されているかたで、「映画も!演劇も!アニメも!マンガも!ゲームも!小説も!みーんな大好き!」という、わたしのような人間にとっては、大変ありがたい存在なのです。

 

そんなバーン先生が、現在どんなプロジェクトをなさっているかというと…これ!

マクベス』をデジタル・ゲーム化するソフト開発!

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Missionmaker Macbeth

 『マクベス』といえば、あれですよ!ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇のひとつ!念のため、解説を加えると、こんなあらすじです。

スコットランドの武将であるマクベスが凱旋の途中3人の魔女と出会い、魔女から自分が王になると告げられる。この魔女の予言と男勝りの夫人の教唆によって野心をつのらせたマクベスは、王ダンカンを暗殺して王位を奪うものの、その後、王の遺児による討伐軍によって討たれる。

 

日本だと、黒澤明監督の映画『蜘蛛巣城』(1957年、東宝.主演:三船敏郎)が、『マクベス』を日本の戦国時代に置き換えた作品ということで、有名だったりもしますよね。


Kurosawa's "Throne of Blood "(1957) 蜘蛛巣城

 

しかも、このプロジェクト、単に、研究者やゲーム開発者がかってにやっているだけではなくて、大英図書館British Library)の協力を得て進められていて…であるがゆえに、なんとゲーム中に、大英図書館所蔵のシェイクスピア初期作品集(First Folio)の画像が入れられちゃう!という…なにそれすごい!みたいな仕様なのです。

 

そんな『ミッションメーカー:マクベスですが、現在、このゲーム制作ソフトのパイロット調査版を試してみてくださる、教育者(小学校~大学で教師をしてくださる方はもちろん、図書館や博物館・美術館、地域のスペースなどでワークショップを開催してくださる方でもかまいません)を、募集しております

 

また、そのような機会のないかたでも、ぜひ一度使ってみていただいて、アンケートにお答えいただきたいということですので、ご関心がおありのかたは、ぜひ下記のアンケート・フォームより参加を申し込んでいただけるとうれしいです。

docs.google.com 

以下、関心のある皆さまへのご案内です。
PDF版はこちらからダウンロードしていただけますので、印刷版のほうがご都合のよいかたは、こちらをダウンロードしてください。(PDF版

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『ミッションメーカー:マクベス*1調査版をお試しくださる先生方へ

 

このご案内は、ゲーム制作ソフト『ミッションメーカー:マクベス(Missionmaker Macbeth)』の調査版を試してくださる教育関係者の皆様に向けて作られました。

 


HOW TO MAKE MISSIONMAKER MACBETH GAMES Japanese titles

 

本プロジェクトの背景と経緯

 

本ソフトウェアミッションメーカーマクベスは、ロンドン大学(University College London)・UCLナレッジラボ(UCL Knowledge Lab)にある「マジカル・プロジェクト(MAGiCAL Projects)」によって開発されました。

Andrew Burn教授が率いるこのチームは、Burn教授の他、演劇(ドラマ)の専門家であるTheo Bryer、シェイクスピアの専門家であるJane Coles博士が所属してます。

また、ゲーム会社のDDZ社からAbel Drew、Bruno de Paulaがソフトウェア開発に携わってきました。「ミッション・メーカー:マクベス」プロジェクトの詳細については、「マクベスをプレイする(Playing Macbeth)|D. A. R. E」のホームページ(英語版のみ)をご参照ください。

darecollaborative.net

 

本ソフトウェアは、英国の英雄叙事詩ベオウルフ(Beowulf)の物語をもとづいてゲームを作成するバージョンをもとに開発されました。

 

『ベオウルフ』、『マクベスどちらのバージョンも、『ベオウルフ』の原稿、シェイクスピアの初期作品集のデジタル版を所有する大英図書館の協力を得て作られており、近いうちに、高解像度の画像を使用できる予定になっています。『ベオウルフ』のプロジェクトについては、以下のホームページの動画をご覧ください。『ベオウルフ』をプレイする:図書館をゲーム化けする(PLAYING BEOWULF: GAMING THE LIBRARY) | D.A.R.E.(英語のみ))

 

darecollaborative.net

もともと、これらのプロジェクトの着想は、かなり前から始動していた、イマーシブ教育社(Immersive Education Ltd)との共同開発によって作成されたものから始まりました。イマーシブ教育社との教育開発のバージョンは、シェイクスピア作品の物語に基づきゲームを作る最初の試みであり、それは、シェイクスピアの「グローブ座」を現代に再現した複合型の劇場施設『シェイクスピア・グローブ(Shakespeare Globe)で使用されました。 このプロジェクトについては、以下のホームページの動画をご覧ください。(「シェイクスピアをプレイする(Playing Shakespeare) | D.A.R.E. (英語のみ))

 

darecollaborative.net

 

本プロジェクトにおけるアイデアの概要

多くの教育用ゲームは、学習者が遊ぶために、指導者など学習者以外の者がゲームを作成するという前提で作られています。私たちのアプローチは、それとは異なるものです。 本ソフトウェアでは、児童・生徒が自分だけのゲームを制作します。その過程で、通常とは異なるかたちで文学を学び、ゲームデザインについて学び、そして論理代数など、プログラミングの基礎を学びます

 

これは、必ずしも、シェイクスピア作品が有する価値を下げることにはなりません。これまでの研究によると、ゲームを通して文学を学ぶことは、物語の構造や視点、登場人物の動機や心情、さらには言語や比喩について、子どもたちが想像力豊かに考えるよう促すと言われています。これは,知的でやりがいのある、創造的かつ革新的なアプローチです。一方、私たちは、ソフトウェアだけでこれらを達成できるとは考えていません。熟練した指導法も必要です。そこで、ノースヨークシャー州で国語科(English)の指導主事をしているJames Durran氏による、「教師用導入パッケージ」を作成しました。

 

情報教育・プログラミング教育にかかわるの先生方と、国語科の先生方との協同で、本ソフトウェアを用いた実践を行うことができれば、より理想的です。ぜひ同僚の先生方と、『シェイクスピア』がいかに「演算」しうるのか、プログラミングによってどれだけ素晴らしい物語が生み出せるかを、話し合ってみてください。

 

ぜひ私たちの研究チームと、古典文学のテキストを教えるための新たな方法を見出しましょう。 研究段階にある『ミッションメーカー:マクベスはさらに発展し続けていく予定です。そのため、教育関係の先生方や児童生徒から、どのように改善しうるのかかについて、ご意見をお待ちしています。

ぜひ参加をお申込みください!

docs.google.com

また、本ソフトウェアを使用してゲームを作成し登録した際には、簡単なアンケートの質問に答えていただければ幸いです。

  ①教師(指導者)用アンケート(日本語版)

https://redcap.slms.ucl.ac.uk/surveys/?s=P3PKDPRTRJ

 

 ②児童生徒(学習者)用アンケート:

https://redcap.slms.ucl.ac.uk/surveys/?s=K48XW4NWN8

 

簡単なビジュアル紹介

『ミッションメーカー:マクベスで作られたゲームが、どのようなものなのかは、以下のサイトでご覧いただけます。このゲームは、マクベスとマクダフの最後の戦いを、魔女の視点から写しています。


Macbeth and Macduff

https://www.youtube.com/watch?v=F8KA6h-8BNs&t=32s (英語版)

 

こちらは、『ミッションメーカー:マクベス』を作成するプロセスがどのようなものなのかを示す映像です。


HOW TO MAKE MISSIONMAKER MACBETH GAMES Japanese titles

 

よくある質問

 

Q:『ミッションメーカー:マクベス』は、どの年齢層の学習者に適していますか?
A:10歳から博士課程の学生まで、幅広い学習者に使用されています。


Q:武器の使用は暴力を助長しますか?
A:『マクベス』の物語で使用されている以上の武器(や血)は出てきません。しかし、どのように武器を使用し、戦闘をゲーム上で表すかはユーザーである児童生徒と教師によって異なります。


Q:ゲームを作るのにどれくらい時間がかかりますか?
A:90分で短いゲームを作成した10歳の子どもがいました。しかし、より時間をさければ、より良いゲームが出来るでしょう。ソフトウェアを持ち帰って家で作成することもできます。


Q:どのようなコンピューターが必要ですか?
A:『ミッションメーカー:マクベス』は、WindowsMacに対応しています。Mac版は最近完成したので、まだ広く試されていません。)


Q:ゲームは共同作業で作れますか。
A:はい。ゲームを他のゲームとリンクさせることができます。例えば、生徒がペア学習で作成した15個程度のゲームを統合して、クラス全体のゲームとして完成させることができます。


Q:バグはありますか?
A:すべてのソフトウェアにはバグがあります。特にこのソフトウェアは商業会社によって作られたものではないので、私たちが気付いていないバグが発見されるかもしれません。そのような場合はぜひお知らせください。私たちは本ソフトフェアを改善するために、絶えず取り組んでいます。


Q:生徒は自分のビジュアル・オブジェクトを作成できますか?
A:自分の2D画像をメディアファイルとしてインポートできます。これらはソフトウェアのBrank Roomという機能を使って、壁に取り付けることができます。このテクニックを使って作成した『ベオウルフ』のゲームはこちら(https://www.youtube.com/watch?v=f3l515DhiJM)からご覧いただけます(英語版のみ)。

 

 

調査にご協力ください
最後に、簡単なアンケートに回答して、私たちの研究にご協力ください。
教師(指導者)用のアンケートと児童生徒(学習者)用のアンケートがあります。

 

  ①教師(指導者)用アンケート

https://redcap.slms.ucl.ac.uk/surveys/?s=P3PKDPRTRJ

 

②児童生徒(学習者)用アンケート:

https://redcap.slms.ucl.ac.uk/surveys/?s=K48XW4NWN8

 

ご協力いただきありがとうございます。

Andrew Burn
英語、メディア、演劇教授
UCL教育研究所

*1:マクベス(Macbeth)について

英国の劇作家ウィリアム・シェイクスピアによる四大悲劇のひとつ。スコットランドの武将であるマクベスが凱旋の途中3人の魔女と出会い、魔女から自分が王になると告げられる。この魔女の予言と男勝りの夫人の教唆によって野心をつのらせたマクベスは、王ダンカンを暗殺して王位を奪うものの、その後、王の遺児による討伐軍によって討たれる。なお、黒澤明監督の映画『蜘蛛巣城』(1957年、東宝.主演:三船敏郎)は、『マクベス』を日本の戦国時代に置き換えた作品である。

インターン受入担当のための異文化間発達トレーニング~若者のための発達学校(Developmental School for Youth)

East Side Instituteのご厚意で、日本の研究者や実践家、学生のために特別プログラムとして開講された、3泊4日の「Immersion Program for Japanese scholars/students」(3/6~3/10)に参加してきました。

loisholzman.org

「Immersion Program」の名のとおり、朝から晩までみっちりプログラムが詰まった、充実の4日間で、なかなかそこで自分自身が考えたことなど、整理しきらずにいるのですが、少しずつ、できる範囲でまとめていきたいと思います。

 

まず、邦訳されているいくつかの文献でそのプログラムの存在が語られていながら、なかなか詳しい情報が日本に入ってきていない(ように思われる)若者のための発達学校(Developmental School for Youth)」(DSY)について。

www.youtube.com

 

DSYは、貧困コミュニティに暮らす若者たちの発達をサポートするプログラム。

貧困コミュニティに暮らす若者たちは、そもそもコミュニティの外に出ていくことが難しく、貧困コミュニティで生活し仕事をする以外の自分自身を想像することもできないし、また、自分自身が、貧困コミュニティに暮らす今の自分とは異なる存在になれる、と思い描くことも困難な状況です。

つまり、今ある自分自身に囚われて、自ら「なることのできる自分」を狭めてしまっているんです。

 

DSYでは、そんな貧困コミュニティの若者たちに、「なることのできる自分」を拡張して想像する機会を提供します。

 

具体的には、ニューヨーク市に本拠地を置く名だたる企業に、CSR活動(社会貢献活動、慈善活動)の一環として、貧困コミュニティの若者をインターンとして受け入れてもらい、数週間、有名企業での生活を経験してもらう、というプログラムです。

 

これらの有名企業において人びとが通常行っているパフォーマンスー話し方、振るまい方などーは、若者たちが慣れ親しんだ貧困コミュニティのものとは、まったく異なります。

 

DSYでは、若者たちに、今までの自分にはないパフォーマンスをするチャンスを与えることで、若者たちが思い描くことのできる「なることのできる自分」の限界を突破しようとしているのです。

 

日本でも、2007年に、山田昌弘希望格差社会』という本が話題になったりしましたが、そういう意味で、想像力の限界、「なることのできる自分」の限界を突破していこう、とするDSYの発想は、とてもパワフルだと思います。

 

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DSYについては、ロイス・ホルツマン『遊ぶヴィゴツキー:生成の心理学へ』(新曜社)にも紹介されていますが、わたしが、今回のプログラムでぜひ聞いてみたい!と思っていたのは、キャシー・サリット『パフォーマンス・ブレークスルー』に書かれていた、企業側のインターン受入担当へのトレーニングに関してでした。

 

DSYでは、貧困コミュニティの若者たちに対し、企業でのインターンが始まる前に、14週間にわたるトレーニングを実施しています。

この14週間のプログラムでは、ソーシャルセラピーの理論に基づいた、パフォーマンス中心のアクティビティが行われるわけですが、その中で、たとえば、「毎日、職場に行くこと」「遅刻をしないように、時間に余裕をもって職場に向かうこと」などの指導も含まれます。

何しろ、そういうパフォーマンスそのものが、彼らの親しむカルチャーの中にないので、新たなパフォーマンスとして、それらをやってみる必要があるわけです。

 

しかし、わたしにとってより新鮮だったのは、DSYがこのような若者向けのトレーニング・プログラムを行うのみならず、企業の受入担当者(DSYのプログラム担当者は「スーパーバイザー」と呼んでいました)へのトレーニング・プログラムを実施していたことです。

 

キャシー・サリット『パフォーマンス・ブレークスルー』のなかには、彼女がCEOを務めるPerformance of a lifetime(POAL)が、どのようなかたちで、企業の受入担当者へのトレーニングを行っているのかが、少しだけわかるエピソードが記述されています。

そのエピソードでは、意気揚々と、社会貢献のために貧困コミュニティーの若者を受け入れようとした担当者が、トレーニング・プログラムの一環として、「インターン初日」のシーンを即興的に演じています。

インターン初日」のシーンを演じてみるおとを通して、そして、一緒にシーンを演じてくれた「貧困コミュニティーの若者」役のボランティア(DSYの卒業生!)とPOALからのアドバイスを通して、受入担当は自分自身のパフォーマンスのありかたを見直し、パフォーマンスを変えていくというエピソードです。

 

「勝手に休む」「職場に遅刻してくる」「話しかけても、きちんと対応できない」「わからないことを、きちんと聞けない」…などなど、日本のインターンシップだったら、即座に「最近の若者のコミュニケーション能力ガアアア!!」とはじまりそうな問題を、企業受入担当者へのトレーニング・プログラムの中で、受入担当者がパフォーマンスを変えれば解決しうる問題、異文化間コミュニケーションの問題として扱っているというのが、まず面白いと思いましたし、それがどのくらいの時間をかけて、どのようなプログラムとして行われているのかを知りたい!と思いました。

 

これについて、DSYプログラム担当者に聞いてみたところ、企業側の受入担当者(スーパーバイザー)へのトレーニング・プログラムは、4時間の1dayプログラムとして行っているとのこと。

具体的には、次のようなプログラムが実施されているようです。

 

① アイスブレイク(インプロ・ゲーム)

ライフヒストリー:DSY卒業生によるDSYの経験についての語りを聞く

③ グッド・プラクティス:これまでの「グッド・プラクティス」の紹介(資料も配布しておく)

④  情報共有:各企業によるインターン受入プランの説明と情報共有

⑤ スキット:インターン受入にかかわるシーンを即興的に演じ、それについてディスカッションする

 

わたし自身、教員養成にかかわる中で、教育実習などのインターンシップに学生を送り出す立場になることも多くあります。

インターンシップを、異文化の出会いの場と捉え、出会うことによる双方のパフォーマンスの発達・学習を図ろうとする、DSYのアプローチには、学ぶ点が多くありそうだと感じています。

「リフレクション(省察)で教師は育つ!」@紀伊国屋書店新宿本店 イベント・レポート

紀伊国屋書店本店9階イベントスペースで開催された、リフレクション(省察)で教師は育つ!~『リフレクション大全』『リフレクション入門』『小学校の模擬授業とリフレクションで学ぶ 授業づくりの考え方』刊行記念セミナーに参加してきました。

www.kinokuniya.co.jp

 

 以前、このブログでもご紹介した、渡辺貴裕『小学校の模擬授業とリフレクションで学ぶ 授業づくりの考え方』、REFLECT(一般社団法人学び続ける教師のための協会)編『リフレクション入門』、ネットワーク編集委員会リフレクション大全(授業づくりネットワーク No.31)』の著者・編者が集まり、最近、教育界でますますホットになりつつある「リフレクション」についてトークする(!)という、トークイベントでした。

 

kimilab.hateblo.jp

 

 

わたし自身の問題意識としては、今、教育界のみならずいろいろな業界で、「リフレクション(reflection; 省察)」という用語が氾濫しすぎていて、それこそ、同じ「リフレクション」という言葉でも、ピンからキリまである状態…さらにいうと、リフレクト(省察)すべきだとされている内容や、その目指すべき状況も、バラバラだったりして…いったい、この先どうなっていくんだろう…?と思っていたことがあります。

そんな中、教育業界における「リフレクション(reflection)」という用語の氾濫、その雑多な感じをそのまま提示してきたような『 リフレクション大全(授業づくりネットワーク No.31』を見て、逆に、感動を覚えたり、

『リフレクション入門』を読んで、2012年に邦訳が出版された『教師教育学』以降のコルトハーヘンの理論が、ますます、個としての教師の実存に気づくことに向かっていることに、ハッとさせられたりしていたところだったので、この三者が、今、「リフレクション」について何を語るのか、果たして、そこにクロスポイントは見出せるのか?という点が、非常に気になっていたわけです。

 

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結果として、なにかわたしなりに、「これが答えだ!」と言えるようなクロスポイントが見いだせたわけではなかったけれど、それでも、これら、教師のリフレクションにかかわる書籍の編著にかかわった、三者の現在の問題意識についてかなりクリアにできたことで、わたしが、これから考えていくべきことも明確になった気がしています。

 

おそらく、今回のトークイベントは平日の午後開催でしたし、会場もほぼ満員でしたので、「行きたいけど、行けなかった」方が多くいらっしゃるのではないかと推測します。

そこで、わたしなりに、トークイベントの内容のメモをとりました。本イベントの司会でもある渡辺先生にご許可もいただきましたので、そのメモの内容をブログで公開します。

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『イン・ザ・ミドル』読書会

 先日、横浜国立大学の研究室にて、「ナンシー・アトウェル『イン・ザ・ミドル』読書会 」を開催しました。

 

 

ナンシー・アトウェル(2018)『イン・ザ・ミドル:ナンシー・アトウェルの教室』(

三省堂

 

読書会に参加してくださったのは、リーディング・ワークショップ&ライティング・ワークショップの実践家でもある小学校の先生お二人と、国語科における「単元学習」に関心を持ちつつ、自分自身の次にやってみたい実践を探っていらっしゃる中学校の先生(4月から着任予定の大学院生を含む)お二人、そして、わたしの計5人。

 

わたしの大学の研究室内で開催できてしまうほどの小さな読書会。だからこそ(?)かもしれませんが、初対面の人たちがいるにも関わらず、すごく議論が盛り上がりました。

 

もともと、『イン・ザ・ミドル』の読書会をしたいと思ったのは、私自身がこの本のはじめの方(前書き~第1章)を見て、「これは、一人で読む本ではないな」と思ったことがきっかけでした。

わたしは、そもそも他の人に比べて、「これは一人で読む本ではない」と思うことが多いのですが、この本については、きっとわたしでなくとも「他の人と読みたい」と思うのではないか、と思いました。

事実、東京都青年国語研究会(青国研)で開催された『イン・ザ・ミドル』の読書会をはじめ、いくつかの研究会などで、読書会が開催されたという話も聞いていました。そのたびに、「やはり、この本は、一人で読む本ではないな」と思い、その思いは、第2章、第3章と読み進めるたびに広がっていきました。

 

そこで、青国研にも参加したことのある知り合いの先生方や大学院生、地域で、リーディング・ワークショップ&ライティング・ワークショップの実践をされている先生に声をかけてみたところ、快く、読書会への参加にOKをいただき、ひとりあたり、1~2つの章を担当して、分担しながら報告&ディスカッションしよう!と決めて、読書会を開催することになりました。

 

そして迎えた、読書会当日。

 

尽きない議論。湧き出てくる疑問。

3~4時間程度では、まったく終わりませんでした。

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【リレー企画】学生たちによる、ALPを用いた模擬授業の振り返り

【リレー企画】と題された、ロカルノさんのブログ記事ALP(アクティブ・ラーニング・パターン)で研修しよう」「【リレー企画】ALPで授業の考え方を共有しよう」と、

それに続く、Yacchaeさんのリレー記事、「【リレー記事】ALPを使ったブログでの授業振り返り①!〜続いてくれる先生を募集します!」に影響を受け、

「せっかく『リレー企画』なんだったら、集団競技っぽく参加しちゃおうじゃないの!」ということで、大学2年生を対象とした教職課程科目「初等国語科教育法」の模擬授業について、「アクティブ・ラーニング・パターン《教師編》」を用いた振り返りレポートを、5人の学生たちに書いてもらいました。

 

ロカルノさんによるこちらの記事には、自分の経験をうまく他人に手渡す、受け取るそんな方法」として、ALPでブログを書く(あるいは、ツイートする)という方法を提案されているようなので、まだ教師としての経験のない学生たち、(ましてや学部2年生!)による記事に、どのくらいの意味があるかはわかりません。

 

でも、今回5名の学生たちにレポートを書いてもらい、それをブログ記事にアップしてみて思ったのは、学生たちがここでピックアップしているパターンや、その解釈の仕方こそが、教育実習で現場の先生方が学生たちとコミュニケーションを始める際のスターティングポイントになりえるのではないか、ということ。

そして、逆にいえば、現場の先生方にこれらのブログ記事を見ていただくことで、「大学内の授業ではこのくらいのレベルまで、『観察』や『振り返り』の視点を持てるようにしておいてほしい」というディスカッションをはじめるためのスターティングポイントになりえるのではないか、ということでした。

 

もちろん、ここに挙げている5つのブログ記事を見比べてみれば、明らかなように、学生によって、引っかかりを見出せるポイントも、その深さもかなり異なっているので、これらを見比べたところで、どこに、大学と現場の学校とが、ともに教師教育に携わるためのポイントを見出したら良いのかは、まだ、定かではないのだけれど。

 

それでも、ここにこうして、大学2年生なりの授業の見え方、振り返り方がわかる記事を、比較可能なかたちで置いておくことには、意味があると思う。

ぜひ現場の先生方にごらんいただき、教師教育のために何ができるのかについて、考えたことを教えていただけたら、うれしい。

 

なお、以下にしめす第1番目の記事に書いていますが、わたしの担当する「初等国語科教育法」では、自分の好きな・得意な言語活動いもとづき、授業を一緒に受けている大学生たちに向けて、20分程度のみじかい模擬授業を計画し、実施してもらっています。

 

ynukokugo.blogspot.com

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