kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

向坂くじら『とても小さな理解のための』を読みました

向坂くじらさんの第1詩集『とても小さな理解のための』が、今年8月に世に出たとのお知らせをいただいたので、入手しました。

shironekosha.thebase.in

向坂さんは、詩人でありながら、今年、国語専門塾「ことぱ塾」も開塾された方。

topics.smt.docomo.ne.jp

子どもたちに、(塾講師として)学校的学習としての「国語」を教えながら、詩人として自らも活動されているという、(いわゆる学校「国語」に半ばトラウマを持ちつつ、研究を進めている)わたしみたいな人間にとっては、とてもとても不思議な魅力をもつ方です。

わたしが向坂くじらさんと、偶然に出会ったのも、全国大学国語教育学会の公開講座として開催された詩創作のワークショップでしたし*1、その後、自身も詩作を行っている研究室の修了生の研究発表も聞きにきてくださって、「詩創作の教育」に対してもとても真摯に取り組まれている方なのだな、ということをしみじみと思っておりました。

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そんな向坂さんとお話ししていると、言葉に真摯に向き合ったり、(既存の言葉からの逸脱ともいえるような)新たな言葉の意味が立ち上がる瞬間を大切にしたりすることと、油断するとすぐに過剰に意味を限定していってしまうような学校国語とを、どう対話させていくことができるのだろう、どうバランスを取ることができるのだろう……と、つい、考えてしまいます。

――それは、わたし自身が、常日頃考えていることでもあるのですが、それがより強く意識されると言ってもいいかもしれません。

 

さて、前置きがが長くなりました。

そのようなわけで、向坂さんが詩集『とても小さな理解のための』を世に出されたと聞き、そしてそのタイトルのなかにある「小さな理解」という言葉に魅かれ、いったいどんな詩がそこに集まっているのだろう、ととても興味を持ちました。

そして、この詩集を読んでみて、あらためて、この「小さな理解」という言葉のとおりこの詩集に収録されている詩には、わたしが、日々、理解することをあきらめてしまっているような、あるいは、理解しないように目をそらしてしまっているような、そういう「何か」がたくさんあふれている…と、そう思いました。

ひとつ例を挙げるとすれば、それは、ある人やものに対して、あるときには、ものすごく愛おしい、近づきたいと思うのに、その次の瞬間には、見るのも嫌になって、目も耳もすべてを閉じて一人になりたくなるような、そんな、自分自身のなかの感情の動きのようなもの。

わたしたしは、あるときに、なにかの対象に対して、なんらかの感情を表現したとたん、(少なくとも「変わったこと」を周囲に納得可能なかたちで理解されるまでは)、そういう感情をそれに対して持ち続けていなければいけない、と、どこかで思っているんじゃないかと思います。

本当は、もっと、自分のなかでの勘定はざわざわ、ざわざわ動き続けていて、一瞬一瞬でそれは極端に変わっているのかもしれなくても、それでも、一貫した自分であり続けられるように、世界に対しては、一枚岩な自分を表明しつづける。

そして、自分自身に対しても、そんなざわざわしたものなんてないと、繰り返し繰り返し説き続けている。

でも、きっとそれはウソで、単に、ふだんは見ないようにしているだけ。

そういうものが、ある「出来事」が起きたときに、ワッと表に出てきて、自分のなかでもどうしようもなくなることがある。

そういう自分でも理解不可能な自分や、同じように理解できない「何か」を抱える誰かのことを、ごまかさないように、ウソをつかないように、そのまま、言葉で捉えること。

もし、そういうことができたなら、こういう詩が生まれるのかもしれない…とそんなことを考えながら、1つ1つの詩のなかにある言葉を目で追っていっていました。

 

こう考えていくと、上に紹介した記事のなかにある,「言葉を通じて他者を理解し、自らの思いを伝えようとする喜びは、誰にも共通するのではないか」という言葉が、不思議なリアリティをもって、浮かび上がってくるように思います。

「言葉を通じて他者を理解すること」。まさに、そのことが、この詩集のなかの詩で行われていたわけで、他者を理解するために言葉を紡ぐこと、それに対する真摯さのようなものは、たしかに、学校や塾で学ぶべきことのひとつとして、たしかに存在し、大切にされているように思いました。

 

向坂さんの詩は、生まれついた性で生きることに藻掻いている一人の個人として、個人的にも、「わかってもらえない」「(自分でも)わかりたくない」ことの間で生きることの苦しさを掬い取ってくれるものでもあり、一方で、言葉を教えるものとしての葛藤のようなものに光を投げかけてくれるようなものでもありました。

 

わたしが向坂さんと出会ったのは、本当に偶然で、奇跡的なことでしたが、その偶然や軌跡によって、この詩集と出会えたことがよかった、と、思えます。

渦を描く波

 

*1:なお、公開講座のオンラインブックレット(PDF)はすでに、全国大学国語教育学会のページで公開されています。詩創作のワークショップの内容の詳細についてはそちらをご覧ください。