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Literacy, Culture and contemporary learning

言語学SFで描かれるフェミニズム・ユートピア~李琴峰『彼岸花が咲く島』

彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞した李琴峰さんの芥川賞受賞スピーチが話題になっているのを目にし、その中で、彼女が受賞式後、数多の攻撃を受けていけながらそれを「彼らは心無い言葉によって、『彼岸花が咲く島』という小説を、寓話的なフィクションから、より一層予言に近づけたのです。」と跳ね返しているのを見て、「これは読まねば」と思い、本書をさっそく入手しました。

 

 www.nippon.com


これまでも「文学にはこんなことができるのか!」と思わされる作品には、いくつか出会ってきたけれど、『彼岸花が咲く島』はそのなかでもトップに入る「実験」度の高さであったと思います。


あらためて、文学というのは「言葉の芸術」であり「言葉の実験場」なのだと、思い知らされました。


一方で、「文学は抵抗のための武器(「武器」とは言わなかったけど)」と言わんばかりの芥川賞スピーチがあまりに社会的なショックを与えたうえに、SNSで政治的であることを微塵も隠さない彼女なので、そのポリティカルな側面ばかりが注目されてしまっていて、なかなか『彼岸花が咲く島』の話にならないのが、残念でした。


そんな中、Business Insiderの記事が、本作の「言葉の実験」としての側面に焦点を当てたインタビューを(一部)掲載していました。

www.businessinsider.jp

 

このインタビューの中で李琴峰さんは、次のように語っています。

 

言語の実験をやってみたかった。SFの小説や映画では、言語の問題は解決された世界が多い。例えば、人間が団結して宇宙人と戦う話では、通訳システムを使って意思疎通することもある。でも人間が言語を乗り越えるのは、そこまで簡単ではないという思いもあった」

 

彼岸花』では、〈ひのもとことば〉〈ニホン語〉〈女語〉日本語をベースにした(と言っていいのかわからないけれど)3つの言語が使われて、それら3つの言葉を使う人たちが「意思疎通できない」場面も取り扱われています。


重なり合いつつ、それでも意思疎通しきれない3つの言語を使う登場人物たちの織り成す相互行為が、日本語によって記述されるのです。


そんな厄介な仕組みの作品なので、何度も「これって〈ニホン語〉での読み方なんだっけ?どういう意味だっけ?」とか言いながら、何度か、前方のページを参照する羽目になったりはしますが、私自身には、それがとても面白い経験でした。

 

彼岸花が咲く島』は、フェミニズム・ユートピア小説として説明されることもあるようです。

news.yahoo.co.jp

 

本書に描かれている「島」の様子が、はたして、「ユートピア」なのか「ディストピア」なのか。

その答えは、おそらく、ひとりひとりの読者によって異なるのではないか、と思います。
いずれにせよ、このような「フェミニズムSF」とでも言えるような作品が、芥川賞を受賞しているということが、ひとつの驚きでもあります。

 

児童文学のようなファンタジー世界、ライトノベルようなストーリー展開でありつつ、それでもやはり純文学でもあるような、不思議な読後感のある作品です。